今日午前4時30分、作家の灰谷健次郎氏が亡くなった。とても寂しく思う。
僕は彼の作品の全てには接していないが、しかしどの書籍を読み終えてもしばらくはじんわりした読後感に浸らせてもらえたので、現代の作家の中では非常に貴重な存在だと強く受け止めていた。
“ 兎の眼 ” という一等有名な作品があるが、主人公の女性教師の心境と保育園で働く僕のそれが重なって映り、どれだけ励まされただろう。
また、昭和53~54年入学の小学1年生が書いた詩を編纂した書籍 “ 一年一組 せんせい あのね ” には、子供の感性とその鋭さ・柔らかさに驚くと同時に、灰谷健次郎氏の子供と大人双方に対する想いがストレートに伝わってきて、何度この本を読み返しただろうか。
1997年に神戸連続児童殺傷事件が起きた際、新潮社の雑誌・フォーカスが当時中学3年生の加害少年の写真を公開した。これに対し灰谷健次郎氏は「加害少年も保護されるべき存在」であるとして、フォーカス関連記事について抗議のため執筆拒否を宣言し、同時に自身の全ての著作版権を引き揚げたとの事。--こうした行動を起こせる人物はなかなかいない。
72歳での逝去は、彼としてはまだ早かったように思う。非常に残念だ。できる事なら、子供についての四方山話をしてみたかった。
“ 一年一組 せんせい あのね ”の中で、特別に好きな詩がある。ここにそれを転載して、哀悼の意としたい。
かみさま
やました みちこ
かみさまはうれしいことも
かなしいこともみなみています
このよのなか
みんないいひとばっかりやったら
かみさまもあきてくるんとちがうかな
かみさまが
かしこいひともあほなひともつくるのは
たいくつするからです
りんご
たけつぐ けんじ
りんごのあじは
あかちゃんが
あそんでるときのによいだよ
僕は彼の作品の全てには接していないが、しかしどの書籍を読み終えてもしばらくはじんわりした読後感に浸らせてもらえたので、現代の作家の中では非常に貴重な存在だと強く受け止めていた。
“ 兎の眼 ” という一等有名な作品があるが、主人公の女性教師の心境と保育園で働く僕のそれが重なって映り、どれだけ励まされただろう。
また、昭和53~54年入学の小学1年生が書いた詩を編纂した書籍 “ 一年一組 せんせい あのね ” には、子供の感性とその鋭さ・柔らかさに驚くと同時に、灰谷健次郎氏の子供と大人双方に対する想いがストレートに伝わってきて、何度この本を読み返しただろうか。
1997年に神戸連続児童殺傷事件が起きた際、新潮社の雑誌・フォーカスが当時中学3年生の加害少年の写真を公開した。これに対し灰谷健次郎氏は「加害少年も保護されるべき存在」であるとして、フォーカス関連記事について抗議のため執筆拒否を宣言し、同時に自身の全ての著作版権を引き揚げたとの事。--こうした行動を起こせる人物はなかなかいない。
72歳での逝去は、彼としてはまだ早かったように思う。非常に残念だ。できる事なら、子供についての四方山話をしてみたかった。
“ 一年一組 せんせい あのね ”の中で、特別に好きな詩がある。ここにそれを転載して、哀悼の意としたい。
かみさま
やました みちこ
かみさまはうれしいことも
かなしいこともみなみています
このよのなか
みんないいひとばっかりやったら
かみさまもあきてくるんとちがうかな
かみさまが
かしこいひともあほなひともつくるのは
たいくつするからです
りんご
たけつぐ けんじ
りんごのあじは
あかちゃんが
あそんでるときのによいだよ
灰谷さんのお人柄も素晴らしかったので
悲報がとても残念でしかたがありません;;
せんせい、あのね、の詩
久しぶりに読んで、感無量です。
灰谷さんの作品には、子供たちへの
深い愛情がつまってて、
この世には、どんな命も無駄にしてはいけないよと
へたれた心を優しく強く、押し上げるように
響いてきます。
時にはうつむいてる子の背中をトントンたたき、
共に手を引き歩いてくれるような
緩やかな時間の観念を持ってる方だと思います。
へたれた子にとっては、いそがされたり
無理に励まされたりすることが苦しい時があるけど
涙止まるまでじっと待っててくれるような
のんびりした時間の観念をもった大人が、
どんどん少なくなり、みな生き急ぐ…。
置いてきぼりの子供が増えてますよね。
子供がしゃがんだその先に、小さな蟻がいるんだよ。
小さな花があるんだよ。
薄汚い蝿ですら、友達になる子がいるんだよと
灰谷さんの作品を通して多くを教わった気がします。
心を込めてご冥福をお祈りしたいです。
灰谷さんありがとう^^
この記事を書いてくれたショパン三世さんに
感謝です。ありがとう^^
数年前、奈良に行ったとき、西大寺の善財童子を見てきました。
灰谷健次郎の優しさは、“強い優しさ”であるところが好きです。
>へたれた心を優しく強く、押し上げるように響いてきます。
素敵な表現で、実に的を射ていますね。
作品で受け手が押し上げられるというのは、その書き手(創り手)に幅広い人間性がある証拠ですものね。
>のんびりした時間の観念をもった大人が、どんどん少なくなり、みな生き急ぐ…。
世界そのものも、個々人の世界も小さくなってきてますからね…。
文明の迅速なまでの進展に歯止めをかける事は、どうしてもできないものでしょうか?
“ 風の耳たぶ ” が遺作でしょうか。この作品が僕の灰谷健次郎世界への第1歩でした。
『強い優しさ』は僕が焦がれて止まないものです。単に優しいだけではそれが長続きしないし、結局無に帰すだけのような気がして…。
僕は、ひ弱です。あれこれと些細な事で煩ってばかりで…。
僕の敬愛する3者の中に作家(文筆家)はいません。灰谷健次郎の作品をもっと時を重ねて繰り返し読み進めていくと、自然と彼がその筆頭になると思います。
灰谷さんの作品は大学のときにいくつか読みました。
ろくべえまってろよとかは小学校でやったけど。
1年1組先生あのね・・・は実習のとき担当クラスで読まはったような・・
この仕事をしていると、誰しも一度はむだろう作家ですね。
>1年1組先生あのね・・・は実習のとき担当クラスで読まはったような・・
前から聞きたかったのですが、キキララさんは今現在、小学校の先生をしてらっしゃるんですか?保育園で働いていらしたのまでは知っているんですが…。
子供に関わる仕事に携わっていれば、灰谷健次郎の名前をほとんどの人が知っているとは思うのですが、もっともっと認知度が広まっていけばそれぞれの作品からの影響がそこかしこで活きてくるでしょうね。
作品ある限り作家もそこに生きているのですから、僕らは常に教えを請う事ができる幸せにありますね。