銀河夜想曲   ~Fantastic Ballades~

月が蒼く囁くと、人はいつしか海に浮かぶ舟に揺られ、
そして彼方、海原ワインのコルクに触れるを夢見、また、眠りにつく……

たあくんのうみ

2007年11月29日 23時06分48秒 | 絵本・童話・児童文学
作/絵 こみ まさやす
ひかりのくに



たあくんという男の子が、段ボールの船に乗って自分だけに見える海を旅する短い話。語り部は、公園で昼寝している犬のボク。

ここ最近、保育園で毎日子供たちから読んでと頼まれる絵本。読み進めていると、彼等が他の絵本とは違った興味を示しているのが良く分かる。

内容に関して細かく紹介してしまうと面白くないので、もし読まれる機会があったら(なかなか入手困難かもしれないが)是非一読を。子供なら誰でもする見立て遊びを、犬の視点から捉えていて非常に面白い。ユニークで、絵本ならではの遊びを活かしている作品。




にげだした パンがし

2007年09月30日 22時06分39秒 | 絵本・童話・児童文学
原作 アンドルー・ラング
文 高見のっぽ
絵 柿本幸造
世界文化社



<粗筋>

とある田舎の、とある家の中。
パンがしの焼き上がる匂いに誘われてネズミと雌鶏が窯の蓋を開けると、何と当のパンがしが逃げ出した。食べられては敵わぬと、ころころすたこら、パンがしは逃げて行く。その道中、パンがしの美味しそうな風貌に惹かれた百姓2人と洗濯婦も加わって、我先に食べると言わんばかりに皆が追い掛ける。
ところが行く手を川で遮られ、途方に暮れたパンがし。そこに声を掛けてきたのは1匹のキツネ。困っているパンがしを向こう岸まで渡してあげると言うのだが…。



“ ふしぎなおきゃく ” 同様、この絵本も僕が子供の頃に飽かず読んでいたもの。現在勤めている保育園に同じものが2冊あり、勤務当初に見付けて以来ずっと手元に欲しいと思っていた。そうして最近になって本棚の大整理があり、それを機に2冊の内の1冊を頂けた。感無量である。

柿本幸造の絵柄は柔らかく、その昔ながらの童話調が読み手の心をすっと撫でてくれる。有名な著作が他にもあるので、大きな書店でなくとも彼の作品は見付けられると思う。この絵本での特徴は、何と言っても主人公のパンがし。実に美味しそうなのである。ふくふくとしていて、絵本といえども容易にその温かみと香りが伝わってくる。食べようと追い掛けたくなる気持ちも分かるというもの。


文章を担当している高見のっぽは、あの『ノッポさん』。NHKのかつての番組『できるかな』でお馴染みだ。本書では文全体にリズムを付けて、幼き者が読んでも愛着が持てて楽しめるよう工夫を凝らしている。更にパンがしのキャラクターに愛嬌を持たせ、且つ、ちょっぴりのふてぶてしさをまとわせているところが面白い。

この作品は今でも入手可能だが、柿本幸造の絵柄による本書は絶版のよう。是非復刊させて欲しい。




ビロードのうさぎ

2007年07月22日 16時51分23秒 | 絵本・童話・児童文学
マージェリィ・W・ビアンコ 原作
酒井駒子 絵・抄訳
ブロンズ新社



Margery Williams Biancoが1922年に発表した名作 “ The Velveteen Rabbit ” は、様々な訳者と挿絵によって今も世界中で愛読されている。トップ画像のものは今年4月に、酒井駒子が挿絵と抄訳という形で出版化されたもの。

読後暫らくは、作品中のうさぎが胸の中に棲み付いたような、僕(読み手)自身がうさぎになったかのような感覚になる。それだけ、うさぎの気持ちの移ろいが丁寧に描かれているし、また、人(大人)の人たる心が如何様なものであるかという事を決して説教臭くなく描いているからだろう。
いつも男の子と一緒にいるうさぎは次第にボロボロになっていくと、文章ではそう説明されているものの、絵としてはそこまでみすぼらしい様子にしていない。それは酒井駒子が男の子の心の視点から描いているからで、画家が違えばその辺りの捉え方、延いては読者への印象も大分変わるだろう。
また、森の情景が素晴らしい。青々とした緑で色付けされていない(黄緑色で統一されている)にも拘らず、森の緑が全体に息づいていて、絵として非常に芳しい。

幼き日々に置いてくるより仕方のない想い出、つまり、一瞬一瞬の人間の成長というものが、霞の向こうに物悲しく、それでいて木の葉を縫って差す光のようにうっすらと呼吸している本作。とはいえそれは人間だけでなく、どんなものにとっても脈々と起こっている事象なのだという事が、この絵本の命題だと思う。それまでとは違う新たな香りを纏ったカーテンを、どんなに歳を経た者に対しても眼前で優しく引いて見せてくれたような作品である。
酒井駒子が抄訳という立場に立った想いがじんわりと伝わってくるので、彼女のファンである者にとってもそうでない者にとっても一読の価値はある。『本物とは何か』、『本当の生き方とは何か』……を考えさせてくれる。
子供(3歳児以上)の情操にとっても十二分に活きたものになるであろうから、こうした作品もまた、保育園や幼稚園等に置かれていればと切に思う。




1000の風 1000のチェロ

2007年05月20日 22時17分57秒 | 絵本・童話・児童文学
作 いせひでこ
偕成社



ぼくは、なににむかって、こんなにれんしゅうしているんだろう。あのこは? おじいさんは?

大切なものを失った男の子と女の子(両者共にチェロを習っている)が、阪神淡路大震災復興支援のチャリティー・コンサートに出演するまでを描いた、短くも印象深い作品。


いせひでこ(伊勢英子)の画風は僕の嗜好と重なるもので、現在何冊かの絵本が手元にある。
この作品では全体的に淡い色彩を配しながらも、人物の大きさ、木の大きさ等がしっかりと据えられているために各頁の中心が明瞭で、故に作品としての説得力があり、またその力強さをストレートに感じ受ける。更に、絵柄はデッサン(スケッチ)の風合いが残されていて、特に男の子がチェロに打ち込んでいる場面とコンサートの出演者達が合奏している場面ではその技法が活かされており、本当に風が起こっているようで驚嘆するのだが、それは生命の流れ、想いの馳せというものを筆者が見事に描いているからである。そしてこの作品を繰り返し読んでいると、頁と頁の間にも風が吹いているような感覚になるから不思議でもあり、それが清々しくもある。

仮にこの物語が阪神淡路大震災復興支援を題材にしていなくとも、チェロを奏する男の子と女の子の魅力が失われる事はないだろう。少ない会話の遣り取りからも、彼等の性格が自然と優しく伝わってくる。

現代を生きる者に一番欠落している『想いを馳せる』という行為。例えば通信手段が発達し、その利便性が手軽になればなる程に人の不遜たる側面は顔を出し、結果、先に掲げた行為が不得手になっていく中で、この作品は人としての1つの在り方を問い掛けているように思う。




チョコレートの妖精

2007年04月26日 23時00分15秒 | 絵本・童話・児童文学
文 片山令子 
絵 100%ORANGE 
白泉社



月刊誌MOEの2005年3月号~2006年1月号に、隔月に渡って連載された “ 妖精ノート ” を大幅に加筆修正して単行本化した、小さな小さな13作品から成る物語集。

100%ORANGEの絵は可愛らしく色彩も鮮やかで、見る者の心は自然と微笑む。それは幼い子供が描いたような風合いでもあるのだが、絵柄全体の構図が緻密に計算されているため印象に残りやすい。
また片山令子の文章は、仮に100%ORANGEの挿絵がなかったとしてもそれだけで充分に引き立っている。詩人でもある彼女の気鋭が、特に各物語の後半部分で光っている。

つらつらと文章が綴られている物語だけではなく、中には漫画風に仕上げられたもの、詩そのものに絵を添えたようなものもあり、両作者の創意工夫が見受けられて好感が持てる。

幼き者が読む絵本というよりは、大人が読んで夜の眠りに就くための作品。
「汚れた水の上の泡みたいな軽い魂なら、ぷかぷか浮いて流されて生きていけばいいさ。だがね、上等の魂は少し重いんだよ」

落ち込んでいる人に、大切な人に贈りたくなるような絵本である。




赤い蝋燭と人魚

2007年02月12日 03時42分12秒 | 絵本・童話・児童文学
作 小川未明
絵 酒井駒子
偕成社



小川未明の代表作として名高い “ 赤い蝋燭と人魚 ” は、いわさきちひろを含め何人かの絵本作家が絵を手掛けている。
その中にあって、この絵本は『幽玄』という言葉が非常に似つかわしく、酒井駒子の仄暗い世界観が文章と上手く溶け合い、また、見事に凝縮されている。原作の童話からして人間の業や人魚の感情起伏を鋭く描き出しているのだが、そこに酒井駒子の絵が挿す事で一層それは能弁さを帯びる。

何より特筆したいのは、物語冒頭における文章と、それに付帯する絵の頁配分である。これ程までに読者をドギマギさせる絵本もそうそうないだろう。原作からこの物語に触れた者としては、「よくぞこの手法で制作してくれた!」という思いにさせられる。
蝋燭の描き方もいい。とりわけ23頁で見られるその美しさには暫し目を奪われる。

荒れ狂う海と、沈静した海。そこに棲む生き物達の、声無き声。作品の全体像は物静かな気配であるはずなのに、酒井駒子のタッチはその感興だけを抱いて読み終えるのを許さない。本を閉じても、海鳴りに交じって底知れぬ、畏敬すべき魂が立ち昇ってくる。

心の奥まで轟いてくる、“ 赤い蝋燭と人魚 ” の傑作である。




ふしぎなおきゃく

2007年01月11日 22時47分22秒 | 絵本・童話・児童文学
作 肥田美代子
絵 岡本颯子
ひさかたチャイルド



<粗筋>

ラーメンが美味しいと評判の『とんちんけん』に、ある日、目深に帽子を被ったお客がやって来る。
「ラーメン いっちょう、とびきり うまいやつを たのむよ」
ところがそのお客、店の主人けんさんがラーメンを出しても一口食べただけで帰ってしまう。
次の日も、そしてまた次の日もお客はやって来るが、やはりほんの少し食べただけで店を後にしてしまう。
自分のつくるラーメンのどこが気に入らないのか確かめたくなったけんさんは、そのお客の後を追ったが……



これは僕が子供の頃に繰り返し読んだ絵本で、昨年12月に復刊された。とにかくラーメンが美味しそうに描かれているのと、その謎のお客が毎回ラーメンを残した理由が子供心に印象深かったものだ。
店内に掲げられているラーメンの値段は初版当時の物価が窺われるし、他の頁でもその場の雰囲気が伝わってくる心地良い工夫が見受けられる。あたかも自分がその状況(物語後半部分)でラーメンを食べているようだ。そして何より、謎のお客がラーメンをほとんど食さなかった訳を知ったけんさんが、その後も以前と変わらずに店を営む結びが良い。温かい当時の世相までもが伝わってくる。

長らく絶版だったこの作品、大きな書店でなら容易に目にする事ができるだろうから、興味を持たれた方は是非。




灰谷健次郎の死

2006年11月23日 23時53分55秒 | 絵本・童話・児童文学
今日午前4時30分、作家の灰谷健次郎氏が亡くなった。とても寂しく思う。

僕は彼の作品の全てには接していないが、しかしどの書籍を読み終えてもしばらくはじんわりした読後感に浸らせてもらえたので、現代の作家の中では非常に貴重な存在だと強く受け止めていた。

“ 兎の眼 ” という一等有名な作品があるが、主人公の女性教師の心境と保育園で働く僕のそれが重なって映り、どれだけ励まされただろう。
また、昭和53~54年入学の小学1年生が書いた詩を編纂した書籍 “ 一年一組 せんせい あのね ” には、子供の感性とその鋭さ・柔らかさに驚くと同時に、灰谷健次郎氏の子供と大人双方に対する想いがストレートに伝わってきて、何度この本を読み返しただろうか。

1997年に神戸連続児童殺傷事件が起きた際、新潮社の雑誌・フォーカスが当時中学3年生の加害少年の写真を公開した。これに対し灰谷健次郎氏は「加害少年も保護されるべき存在」であるとして、フォーカス関連記事について抗議のため執筆拒否を宣言し、同時に自身の全ての著作版権を引き揚げたとの事。--こうした行動を起こせる人物はなかなかいない。

72歳での逝去は、彼としてはまだ早かったように思う。非常に残念だ。できる事なら、子供についての四方山話をしてみたかった。

“ 一年一組 せんせい あのね ”の中で、特別に好きな詩がある。ここにそれを転載して、哀悼の意としたい。



かみさま
         やました みちこ

かみさまはうれしいことも
かなしいこともみなみています
このよのなか
みんないいひとばっかりやったら
かみさまもあきてくるんとちがうかな
かみさまが
かしこいひともあほなひともつくるのは
たいくつするからです




りんご
         たけつぐ けんじ

りんごのあじは
あかちゃんが
あそんでるときのによいだよ





白いおうむの森

2006年10月21日 00時10分13秒 | 絵本・童話・児童文学
作 安房直子 
偕成社文庫



安房直子という名前を知ったのは、4年程前。以来いくつかの作品を読んできたが、この文庫は書店で初めて見かけ、その表紙に一目惚れして買った童話集。
1973年に筑摩書房から刊行された同作品集の表紙もそれなりに味わいがあるが今や絶版で、こちらの表紙の方が僕としては好みでもある。


雪窓
白いおうむの森
鶴の家
野ばらの帽子
てまり
ながい灰色のスカート
野の音


以上7つの物語から成るこの作品集、解説にもあるように遠くにいる人に対する想いを悲喜こもごもに描いていて、そして安房直子らしい不可思議さがそこかしこから匂い立っている。読み手はその霧のような捉え所のない雰囲気に呑まれ、キツネにつままれた感じに襲われるだろう。



僕にとって特に絶品なのは、以下の3作品。

“ 鶴の家 ”
最後の件が素晴らしく、それまでの経緯が非常に上手く昇華されている。構成が1番優れていると思う。

“ ながい灰色のスカート ”
ムソルグスキーの “ 展覧会の絵 ” を髣髴とさせるシーンがいくつか登場し、またスカートの主とやらが異常に不気味でその正体が果たして何であるのかと想像を掻き立てられる。

“ 野の音 ”
女性作家らしく、裁縫を話の軸に据えた哀しい物語。幻想性が秀でている事に加え、勇吉とおばあさん双方の想いが分かるだけに読んでいて辛い一面もある。



こうした作品群に触れると、大人と子供とを分けている日常、あるいは隔てて考える事自体が全て意味を成さないと感じて止まない。
そして安房直子が50歳で早世した事が、本当に悔やまれる。