銀河夜想曲   ~Fantastic Ballades~

月が蒼く囁くと、人はいつしか海に浮かぶ舟に揺られ、
そして彼方、海原ワインのコルクに触れるを夢見、また、眠りにつく……

ジョルジュ・サンドの言葉

2006年07月24日 23時33分55秒 | 文学(一般小説)
ジョルジュ・サンド著 “ 愛の妖精 ” (岩波文庫)の端書に、以下の様な記述がある。ちなみにその前半部分は割愛してある。



ダンテの如く、鉄と火もて鍛えられた魂の持ち主でなくては、地上の悲嘆という苦しい煉獄を眼前に見ながら、象徴の地獄の醜悪な事物の上にその想像力を傾け尽くすというような事は、到底成し得ないのである。

今日では、芸術家はもっと弱く、感じやすくなっていて、自分と大体同じ様な時代全体の人々を反映し反響する人間に過ぎず、したがってこの場合にも、視線を逸らし、想像力を他に転じて平穏と淳朴と夢想との理想郷に想いを馳せたいという、やみ難い欲求を感ずる。彼がかかる行動をとるのは、その弱さのためである。が、それを恥じてはならない。何故なら、それはまた彼の義務でもあるのだ。

人間が誤解し合い憎み合う事から世の不幸が生じている様な時代においては、芸術家の使命は、柔和や信頼や友情を顕揚して、清浄な風習や、優しい感情や、昔ながらの心の正しさなどが、まだこの世のものであり、もしくはあり得るという事を、或いは心を荒ませ或いは力を落としている人々に思い出させてやる事である。現在の不幸に直接言及したり、醗酵しつつある激情に呼び掛けたりする事は、決して救済への道ではない。むしろ、1つの甘い歌、鄙びた鳥笛の一声、幼な児たちを怯えも苦しみもなく寝付かせる1つの物語の方が、小説の色付けによって一層強烈に陰鬱になった、現実の不幸を見せつけるに勝るのである。

人々が殺戮し合っている際に和合を説く事は、砂漠で叫ぶに等しい。人々の魂が、直接の勧告は一切耳に入らぬほど激動している様な時代があるものだ。

--(中略)--

自分と同じ苦しみを感じている人々、すなわち憎悪と復讐の忌まわしさに悩まされている人々を喜ばす事は、この人々が受け容れる事のできる幸福の全部を彼等に与えるものだという事を知っている。誠に儚い、一時的な慰めには違いない。が、それにしても、熱烈な宣言よりは現実的であり、もったいぶった自己表明よりは胸に迫るのである。

1851年12月21日 ノアンにて」




作品の “ 愛の妖精 ” はなかなかに素晴らしいものであった。しかし、このサンドの『芸術家たるもの、かくあるべし』の信条には、読んだ当時かなりの感銘を受けたものだ。

サンドよ、あなたは本当に、燦々と輝かんばかりの言葉を綴った。

サンドよ、あなたのこの想いの丈をこのブログの最初に記す事で、僕のこれからも大いに揺らぐであろう日々の心情を、生活を、行くべき道へと、その都度軌道修正して欲しい…。