銀河夜想曲   ~Fantastic Ballades~

月が蒼く囁くと、人はいつしか海に浮かぶ舟に揺られ、
そして彼方、海原ワインのコルクに触れるを夢見、また、眠りにつく……

ちひろの絵・その7

2007年05月30日 23時13分28秒 | いわさきちひろ、その人と作品
青い花と小鳥と子ども
1972年
雑誌 “ 子どものしあわせ ”



さっきまで、遠い国の海を見ていたんだ

ずっとずっと、知らない雨が降っていたよ

なんにも聞こえなかったけれど

おまえたちの声だけは分かっていたよ



だから

おまえたちのピーチクに合わせて

かくれんぼしてたんだ

脱いだ服を木にかけて

ふふふって笑いながら

逃げてきたよ

脱いだ靴下にリンゴを入れて

くすくす笑いながら

走ってきたよ



ここはどこかな

雲の中かな

同じ滴に流されて

僕たち、ここに来たのかな



おまえたち、きょうだいなの?

どうしてさっきから、こっちを見ているの?

鬼はもう、リンゴの木になっちゃったから平気だよ



遠くにいた僕を

おまえたちも見ていたのかな



じゃあ今度はいっしょに

かくれんぼしよう

雨の中に飛んでいっちゃ

いけないよ




1000の風 1000のチェロ

2007年05月20日 22時17分57秒 | 絵本・童話・児童文学
作 いせひでこ
偕成社



ぼくは、なににむかって、こんなにれんしゅうしているんだろう。あのこは? おじいさんは?

大切なものを失った男の子と女の子(両者共にチェロを習っている)が、阪神淡路大震災復興支援のチャリティー・コンサートに出演するまでを描いた、短くも印象深い作品。


いせひでこ(伊勢英子)の画風は僕の嗜好と重なるもので、現在何冊かの絵本が手元にある。
この作品では全体的に淡い色彩を配しながらも、人物の大きさ、木の大きさ等がしっかりと据えられているために各頁の中心が明瞭で、故に作品としての説得力があり、またその力強さをストレートに感じ受ける。更に、絵柄はデッサン(スケッチ)の風合いが残されていて、特に男の子がチェロに打ち込んでいる場面とコンサートの出演者達が合奏している場面ではその技法が活かされており、本当に風が起こっているようで驚嘆するのだが、それは生命の流れ、想いの馳せというものを筆者が見事に描いているからである。そしてこの作品を繰り返し読んでいると、頁と頁の間にも風が吹いているような感覚になるから不思議でもあり、それが清々しくもある。

仮にこの物語が阪神淡路大震災復興支援を題材にしていなくとも、チェロを奏する男の子と女の子の魅力が失われる事はないだろう。少ない会話の遣り取りからも、彼等の性格が自然と優しく伝わってくる。

現代を生きる者に一番欠落している『想いを馳せる』という行為。例えば通信手段が発達し、その利便性が手軽になればなる程に人の不遜たる側面は顔を出し、結果、先に掲げた行為が不得手になっていく中で、この作品は人としての1つの在り方を問い掛けているように思う。




忘れ物

2007年05月09日 02時30分00秒 | 散文(覚書)
ぼくね、お姉ちゃんといっしょに遊んでたんだよ

おうちをつくってたんだ



ちょっとだけ暗かったけど

ちょっとだけこわかったけど

お姉ちゃんの指輪が光ってたから

ぼくたち、それをかざしておうちを建てたの

お姉ちゃんがお母さんのおなかに来る前から

もっとずっと遠いところから

だいじに持ってきたんだって



太陽の近くにおうちができて

やった~って、さけんだら

どこからか大きな水が流れてきて

いつの間にか、お姉ちゃんがいなくなってた

だから緑色のブロック

お母さんのおなかの中に、忘れてきちゃった



ぼく、ずっとおうちのなかに入っていたよ

水はすっかりかわいていたけど

とてもさびしかった

いつも

ひとりぽっちで

でもいつも

ひとりっきりじゃなかったけれどね



それからね

トクトクトクっていう音に合わせて手をたたいてたら

ずっとそばにいた指輪が

お姉ちゃんのおでこからコロンって出てきて

そのまま地面にとけちゃったんだ

こっちにおいで

ってお母さんが呼ぶと

お姉ちゃん うれしそうに立って

あんよのまわりが銀色の

指輪の粉がまかれたみたいで

サラサラまぶしかったよ

ぼく、みんな見えてたんだ



そしてどのくらい いたのかな

どこかでセミが

おかあさ~ん、おかあさ~んって

ないてたよ

それで

ぼくは目がさめたんだ



ありがとう、お母さん

あの緑色のブロック

大事に持っててね

いつかきっと

お母さんの役に立つから



なんだか眠くなってきちゃった

ちょっと おしゃべりしすぎたみたい



ねえ、お母さん

いつかぼく、お母さんの木になりたいな

そしたら

ぼくに頭をのせて眠れるでしょ

葉っぱの帽子だってかぶせてあげる

歌だって 歌ってあげる



でも今は

お母さんの歌がききたいな

そしたら緑のブロックも

さみしくないんだって




デュエット

2007年05月05日 05時51分52秒 | 散文(覚書)
あの坂を上れば

真っ白な雲に会える

大好きなあの人に会える

遠い遠いせせらぎの

夢にも似た想い出が

そっと

瞼に腰かける



ずっと平坦な道のこの先に

あの坂は

いずれ母となる少女の乳房のように

大切に

静かにあるけれど

この胸の中にある泉にも似て

いつも白くなりゆく

ひとつの希望



辺りはかすんで

きっと一切は

どこかへ旅立つ

命の宿りは儚くて

ただひとつのところに皆あるだけなのに




下校の鐘だけが行方を示し

淡い綿のように

ふわふわと転がってきて

いつから

大人になったのだろう

どこから

写真を置いてきたのだろう



あの坂を上れば

大きく広がる雲に抱かれる

掌を透かして二重に映せば

その中で微笑む見えない柱が

この泉と呼応して

涼やかに

凛と生きている



頬を伝う睫毛は

知らぬ間に

白き雲の小さな影となって

ゆるやかに

心を震わせる



指の腹

あの坂よ

小さきものにこそ気高さはあって



柱の陰で

そよぎ立っている

愛しき人たち

デュエットは坂をなぞって

遠くここまで降りてくる