この画像は深良水門のある「芦ノ湖」の西北側から、仙石原方面を写したものです。
「金時山」もハッキリと見えていますね。
私たちは一休みした「三国山」頂上を後にして、この芦の湖畔を目指して下ります。
午後2時近くになって、影も大分長くなってきました。
時折姿を見せる富士山は頭に雲がかかっていましたが・・・
晩秋で落葉が進み、尾根道も明るい陽射しの中を歩く事ができました。
ブナ林を下っていくと、正面が開けて湖尻峠と丸山が見えてきます。
斜面に茂ったハコネダケの防火帯の中の道を人が下っているのが見えました。
「乙女峠から長尾峠を経由し、丸山を越えてここまで登山道が繫がっているみたいよ」
Yさんが地図を見ながら言いました。
「では、次回のハイキングはここから繋げましょう」
「決まりね!」即決でした。
「芦ノ湖スカイライン」のすぐ脇に建っている湖尻峠の案内板には、箱根用水の説明が書かれていました。
この下をトンネルが貫通していて、芦ノ湖の水が流れているらしい・・・
当時(江戸時代)の土木技術には驚かされます。
少し先の峠で右に折れ、歩きづらい石畳の急坂を15分下ると深良水門に着きました。
この芦ノ湖西北岸には、釣り人が2~3人いただけで・・・
私たちは、水門から流れる水音だけが聞こえる静寂の中に包まれていました。
芦ノ湖は神奈川県にある湖なのにその水権利は静岡県にあります。
なぜかというと話は江戸時代までさかのぼります。
芦ノ湖から湖尻峠を越えたところに深良村(現・裾野市)がありました。
干害に苦しむ村人を救うために深良村の名主・大庭源之丞は 箱根山の外輪山を貫通するトンネルを掘ることを考えました。
1666年に工事を開始し約4年の歳月をかけて1280mのトンネルは完成。
深良用水は干ばつに苦しむ農民を救いました。
湖の正面には「駒ケ岳」「神山」そして大涌谷周辺の山々が見えていました。
マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい
山々の紅葉はもう終りのようですね。
左端の賑やかな所がバス停のある「桃源台」・・・
私たちはこの水門から、更にあそこまで40分かけて歩きます
湖面には海賊船が行きかっていました。
行楽シーズンの三連休はフル回転なのでしょう。
芦ノ湖に沿って桃源台を目指します。
3時を過ぎて陽が西に傾き、すでに夕景の風情です。
芦ノ湖も神秘的に見えました。
この湖は神奈川県にありますが、水利権は静岡県・・・
箱根用水路が完成した当時、箱根と深良は同じ小田原藩の領地だったため、水権利は何の問題もありませんでしたが・・・
廃藩置県で神奈川県と静岡県に別れてしまってから問題になり、両県で水利権を争ったが裁判の結果、水利権は静岡県にということになったそうです。
およそ300年前の治水工事ですが、現在でも深良の田畑を潤し、山の傾斜を利用して水力発電も行われてとのことでした(案内板より抜粋)
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桃源台近くの散策路の紅葉が辛うじて残っていました。マウスオンでご覧下さい
観光船の発着場と、大涌谷から早雲山方面に上るロープウェーの駅は、昔とすっかり変わっていて・・・
設備も整い綺麗で立派になっていました。
夕方近くなっても、駅の中はまだまだたくさんの観光客で溢れています。
私たちは冷えた体を温めるために、レストランで「シラスかき揚げ蕎麦」を食べてから、バス停に並びました。
始発のバスはすぐに来て、私たちは一番前の席に座りましたが・・・
「箱根湯本まで2時間かかるよ」と運転手さんに言われてビックリ
通常なら40分で行ける距離です。
バスは満員の乗客を乗せて4時15分に出発しました
バスの窓からは、夕暮れの富士山のシルエットがクッキリと見えていました。
その内に私は眠気を催し
気がつくとまだ仙石原・・・
ここで大渋滞に巻き込まれて、バスは一時間以上も立ち往生していました
動き出してもノロノロ状態、途中のバス停にもたくさんの人々が並んでいましたが、乗れる余地はありません。
箱根湯本に着いたのが8時半近く、ナント4時間以上もかかりました
座っていた私たちでも腰が痛くなりましたが、満員の中立っていた方々の辛さはいかばかりかと・・・
イヤハヤ、イヤハヤ、
行楽シーズンの、好天に恵まれた連休の箱根は、聞きしに勝る凄まじい人出で驚きました。