塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

適切な批判の方法を探ってみる

2013-02-27 18:57:05 | 日記
 以前からお話ししているように、僕はドゥンガの叱り方が嫌いです。

 あくまで僕の感じ方の問題でしょうが、彼の叱責はどうしてもサッカーの範疇だけに収まらず、歩んできた人生その
物にも食い込んでいる気がしてならないのです。

 もしドゥンガが自分が普段叱責しているような形で、面と向かって罵声を浴びせられたらどうでしょうか?

 「売り文句に買い文句」

 になっているかもしれません。

 「俺はアンタが普段俺を叱責しているのと、全く同じ口調と方法で意見しているだけだ!
  なのにアンタは今猛烈に頭にきているようだが、おかしんんじゃねえのか?」

 と僕ならば言ってみたいものですがどうでしょうか?

 ただ彼の場合は

 「そうか、俺のやり方は批判を受けている方の心をここまで落ち込ませていたのか」

 と思うよりも、言われた事にに怒り狂い、自分の発言を振り返るような事は無いようにも思えますが。

 僕は批判を止めて欲しいとは思いません。

 ただある一つの批判が、そっくりそのまま用いられる、つまり知識に欠けている一般のファンがその発言の背景を深
く考えないままに

 「彼(大御所と言われる記者と仮定します)が批判しているのだから、間違いないな。」

 という形で追随し、選手を批判する可能性があることも忘れてはいけません。

 特に五輪やワールドカップの際、ワイドショーは選手の血縁の家を訪れて一緒に観戦するという、恐らく世界では類
が無いであろう形で番組を作成します。

 2010年のワールドカップでは本田のおじいさん、2011年女子ワールドカップでは澤のおかあさんが知られる
ようになったのは、この方式と無縁ではありません。

 家族にとって息子、娘が糾弾されていることは痛ましい出来事です。

 それが意味の伴わない中傷に近い物や、自分の育て方や彼らの人生にまで足を突っ込むものならば、一層心が萎れて
しまうでしょうから。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 身内から褒められるありがたみ | トップ | もしレアルが国王杯で優勝し... »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事