塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

父と子の語らいの材料

2014-06-29 22:45:07 | 日記
 カツオが野球観戦に出向いたのは、ノリスケが波平に、頂いたチケットを譲ったためですが、それはカツオの策略でした。

 それだけプロ野球観戦というのは昔は難しいものでしたが、信濃グランセローズのように独立リーグの球団は増加していますから、観戦料金は低価格になっていますね。

 そう、昭和の時代には

 「サッカーを観に行きたい!」

 というのは考えられませんでした。

 トヨタカップはまさに本場、欧州と南米のプライドが国立競技場で激突する、ファン垂涎の戦いでしたし、代表がアジア王者、ワールドカップ出場を目指せるような体裁はありませんでした。

 Jリーグが誕生し、賛否あるわけですが拡大してきたことで、サッカー観戦が日常の風景として定着し始めたことは、やはり大きな意義がありますし、僕も父になれば子供を連れてパルセイロの応援に出向くでしょう。

 皮肉にもこのJリーグの誕生、代表の強化が

 「2004年のトヨタカップは地味な対戦だ」
 「オンセ・カルダスとポルトか」

 というように、かつての憧れから興奮を奪ってしまいます。

 オンセ・カルダスはコロンビアのクラブですが、その10年後に代表が彼らから強烈なノック・ダウンを与えられるとは、当時は思いもしませんでしたが。

 父と子の語らい。

 それは野球が担ってきた時期もあれば、大相撲という時期もありました。

 そこに今はサッカーが加わります。

 でも、変に子供に迎合せず、父が自分なりの姿を見せることも大切でしょうけれども。
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サザエさんで見られた日本の原風景

2014-06-29 22:36:13 | 日記
 今日放送された「サザエさん」の中で、カツオと波平が野球観戦にために、キャッチボールの練習をする場面が出てきました。

 それはホームラン・ボールをキャッチするため、でしたが、波平は一度掴んだボールをこぼしていまい、小さな男の子が拾うと言う形になりました。

 ふたりで入浴しているとカツオが

 「本当は怖かったよ、ボールが飛んでくるのを見た時」

 と語ると、波平は、「カツオにボールが当たってはまずいからな」と、穏やかな表情で答えます。

 日本で父と子を結びつける道具がグローブとバットであり、僕も小学生のころ、父と投げ合いをしたことも思い出しましたし、遊びの定番でもありましたが、今はどうなのでしょうか?

 この風景はアメリカやドミニカ、キューバでも同様なのでしょう。

 そしてこの風景は、南米、アフリカになるとサッカーになるんですね。

 欧州諸国、日本はなまじお金がありますから、サッカーはサッカーでもプレイ・ステーションや携帯電話における代物でしょうし、僕の折り畳み式携帯でもサッカー・ゲームができます。

 「プロ・サッカークラブを作ろう」

 のように、GMを疑似体験できるソフトすら存在しますしね。

 でもそこに、かつての父と子、カツオと波平のような会話、体験はありません。

 僕もお隣のおじいさんが大切にしている鉢植えをサッカーボールで壊してしまい、母が一升瓶を持って謝罪してくれたことがありますし、野球ボールも幾度となく紛失し、ため息をつきました。

 そうした体験が

 「遊びの知恵」

 を生んだものです。

 でも今は万事ゆとりがなく、物を壊した時点で完全に「アウト!!」と叫ばれてしまうのでしょうが。
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僕たちは、今の現状をもっと知るべき時である

2014-06-29 00:03:33 | 日記
 日本サッカーはいつから過信するようになったのでしょうか。

 過密日程を言い訳にして2015年のコパ・アメリカの招待を辞退できるような、実力と質を僕たちが持っていないことが、その中心地であるブラジルで露見したというのに。

 過密日程は2ステージにプレイオフ、そしてナビスコカップと天皇杯を考慮してですよね。

 それはあくまでリーグの収入を増やす事が第一であり、リーグの戦力を向上させるためではない、つまり代表の強化には直結しないわけですから、もっとリーグと代表は歩み寄る。

 そうでなければ

 1・代表監督の交代
 2・選手が現状よりも、もっと海外移籍を歩む事になる

 という効果があったとしても、意味を持たないと思います。

 代表監督が試合の内容、スカウティングやフィットネスに責任をもたねばならないのは確かですが、リーグの構造と収益、フレンドリー・マッチの不具合までを責任の一環として挙げるわけにはいきません。

 2011年は致し方ないと思います。

 あの震災の影響は色濃く、アルゼンチンサッカー協会のグロンドーナ氏も最後まで参加を呼びかけましたが、断るという選択肢をサッカー協会は伝えます。

 確かにアジアカップは大陸王者を決める、大切な大会です。

 また、コパ・アメリカにも何とか参戦したい、手をつくしたがどうにもならなかった!そんな動きが全く見えてきませんし、世界最古のトーナメントの招待を断るなんて

 「日本はそんなにサッカーの世界で優越感を得られる状態か?」

 と他国から笑われても仕方が無いのではないでしょうか。
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