☆原作・監督の和田秀樹氏が、フジサンケイグループの「正論大賞・新風賞」を受賞したということもあってか、雑誌『正論』主催で、この作品の上映会が行われるということで、都内に出向く。
主演が寺島咲なので、気にはなっていたが、機会がなくて観に行けてなかった2008年の作品。
会場の九段会館の大ホールは満員だった。
◇
いや、これ、激オモです^^
私の大好きな「熱血」物である。
何と言いましょうか、映画を作るのが念願だった和田秀樹氏が、その想いを観念的な方面に流されてしまうようなことなく、幾つもの深刻なテーマを内包しつつも、エンターテイメントとして突っ走った、なかなかの傑作だった。
どのように面白かったかと言うと、
話はコテコテで、「受験の神様」として人気・実力を誇っていた予備校の教師イガラシが癌を発病・・・、そして、自分の人生を省みたとき、今や、商業主義に堕してしまった自分の、受験指導者としての初心を思い出す。
そんな折、遊びに夢中で夫に去られた母親との二人の暮らしを守るため、高校を中退し働いていたマキは、不遇の中でも希望としていた男にこっぴどく振られ、生きる希望をなくしていた。
イガラシは、ひょんなことから、そんなマキと知り合い、マキの中に可能性を見出し、「人生は変えられるんだ!」と、ともに東大合格を目指すことになるのだ。
一つ間違えれば、時代錯誤な話になったかも知れない。
しかし、主演の二人、寺島咲と豊原功補の演技が見事なので、リアルなのである。
寺島咲は、『櫻の園(2008)』の演技で、ナカデミー最優秀助演女優賞もとっており、その演技の自然なうまさはわかっているつもりだが、泣かされた^^;
正直、私の好みではないのである。
しかし、『櫻の園』と言い、『魍魎の匣』と言い、私の郷愁を誘う何かを、この子は持っている。
豊原功補もうまい。
私は一昨々年に、父親を癌で亡くしているので、その末期、緩和ケアにおける「だるさ」を見ているので、その点での演技も見事だと思ったが、前半の、経済的に大成し、やや傲慢になってしまった男としての所作もうまいと思った。
何よりも、最初の空撮から、作り手の、映像の撮り方もうまかった。
全編を通し、テレビドラマ的なちゃちさはなく、映画として良かった。
また、「何で、ここで、この役者の表情をちゃんと捉えるのだろう、うまい!」と、思わせられる箇所が多々あった。
話は、受験版『ロッキー』であり『あしたのジョー』、最近では『4分間のピアニスト』、ちょい『プライド』みたいな話なのだが、エンターテイメントをエンターテイメントとして成立させるためには、高度な「段階の積み重ね」が必要である。
和田監督は、それをきっちりと行なっている。
武田樹里さんの脚本は、散文にならざるを得ない物語を、最近では珍しい黒澤脚本的な散文として「段階の積み重ね」を行い、ちょいと洒落た言い方をさせて貰えば、バッハの対位法的な計算通りの盛り上げをしてくれている。
で、その中にも、五十嵐のチョコボール嗜好や、マキが教えて貰う場としての喫茶店のマスターの愛想、マキが渡す次の講義のための精一杯の500円玉、五十嵐が毎度マキに渡す「受験の心得(これが、『あしたのジョー』の丹下段平の「明日のためにその1」みたいなんだ^^)」を体のひょんなトコから取り出す面白さ、五十嵐の元同級生の主治医との友情など、作品の独自性としての「こだわり」をさりげなく織り交ぜる。
・・・結末はもう分かっている。
勝利(合格)である。
マキは、イガラシを失ったショックを乗り越え、イガラシとともに勝ち取った「桜の枝(未来)」を見つめるのだった。
◇
トークライブでは、『正論』の編集長・上島嘉郎氏の司会で、監督の和田秀樹氏と、脚本の武田樹里さんの話をたっぷりと聞けた。
話を一つづつだけ書く(覚え書き)。
武田 『・・・以前、「ナンバー1より、オンリー1」と言う歌詞の歌が流行りましたが、頑張りもしないで「自分はオンリー1」と最初から決めてしまうのは違う・・・」
上島 『・・・私にも、マキにとってのイガラシ先生みたいな存在があった。人には、かけがいのない出会いが誰にでもある・・・』
和田 『この物語は根性・努力の物語でもあるけど、更に、その根性・努力を活かすテクニックの重要性についても語っています。どうか、受験に限らず、努力してもうまく行かない人は、自分のやり方がおかしいのかも知れないので、自分の方法の再点検を考えてみて下さい・・・』
・・・映画が面白かったので、こうして語られる話にも説得力があった^^
(2010/05/23)
主演が寺島咲なので、気にはなっていたが、機会がなくて観に行けてなかった2008年の作品。
会場の九段会館の大ホールは満員だった。
◇
いや、これ、激オモです^^
私の大好きな「熱血」物である。
何と言いましょうか、映画を作るのが念願だった和田秀樹氏が、その想いを観念的な方面に流されてしまうようなことなく、幾つもの深刻なテーマを内包しつつも、エンターテイメントとして突っ走った、なかなかの傑作だった。
どのように面白かったかと言うと、
話はコテコテで、「受験の神様」として人気・実力を誇っていた予備校の教師イガラシが癌を発病・・・、そして、自分の人生を省みたとき、今や、商業主義に堕してしまった自分の、受験指導者としての初心を思い出す。
そんな折、遊びに夢中で夫に去られた母親との二人の暮らしを守るため、高校を中退し働いていたマキは、不遇の中でも希望としていた男にこっぴどく振られ、生きる希望をなくしていた。
イガラシは、ひょんなことから、そんなマキと知り合い、マキの中に可能性を見出し、「人生は変えられるんだ!」と、ともに東大合格を目指すことになるのだ。
一つ間違えれば、時代錯誤な話になったかも知れない。
しかし、主演の二人、寺島咲と豊原功補の演技が見事なので、リアルなのである。
寺島咲は、『櫻の園(2008)』の演技で、ナカデミー最優秀助演女優賞もとっており、その演技の自然なうまさはわかっているつもりだが、泣かされた^^;
正直、私の好みではないのである。
しかし、『櫻の園』と言い、『魍魎の匣』と言い、私の郷愁を誘う何かを、この子は持っている。
豊原功補もうまい。
私は一昨々年に、父親を癌で亡くしているので、その末期、緩和ケアにおける「だるさ」を見ているので、その点での演技も見事だと思ったが、前半の、経済的に大成し、やや傲慢になってしまった男としての所作もうまいと思った。
何よりも、最初の空撮から、作り手の、映像の撮り方もうまかった。
全編を通し、テレビドラマ的なちゃちさはなく、映画として良かった。
また、「何で、ここで、この役者の表情をちゃんと捉えるのだろう、うまい!」と、思わせられる箇所が多々あった。
話は、受験版『ロッキー』であり『あしたのジョー』、最近では『4分間のピアニスト』、ちょい『プライド』みたいな話なのだが、エンターテイメントをエンターテイメントとして成立させるためには、高度な「段階の積み重ね」が必要である。
和田監督は、それをきっちりと行なっている。
武田樹里さんの脚本は、散文にならざるを得ない物語を、最近では珍しい黒澤脚本的な散文として「段階の積み重ね」を行い、ちょいと洒落た言い方をさせて貰えば、バッハの対位法的な計算通りの盛り上げをしてくれている。
で、その中にも、五十嵐のチョコボール嗜好や、マキが教えて貰う場としての喫茶店のマスターの愛想、マキが渡す次の講義のための精一杯の500円玉、五十嵐が毎度マキに渡す「受験の心得(これが、『あしたのジョー』の丹下段平の「明日のためにその1」みたいなんだ^^)」を体のひょんなトコから取り出す面白さ、五十嵐の元同級生の主治医との友情など、作品の独自性としての「こだわり」をさりげなく織り交ぜる。
・・・結末はもう分かっている。
勝利(合格)である。
マキは、イガラシを失ったショックを乗り越え、イガラシとともに勝ち取った「桜の枝(未来)」を見つめるのだった。
◇
トークライブでは、『正論』の編集長・上島嘉郎氏の司会で、監督の和田秀樹氏と、脚本の武田樹里さんの話をたっぷりと聞けた。
話を一つづつだけ書く(覚え書き)。
武田 『・・・以前、「ナンバー1より、オンリー1」と言う歌詞の歌が流行りましたが、頑張りもしないで「自分はオンリー1」と最初から決めてしまうのは違う・・・」
上島 『・・・私にも、マキにとってのイガラシ先生みたいな存在があった。人には、かけがいのない出会いが誰にでもある・・・』
和田 『この物語は根性・努力の物語でもあるけど、更に、その根性・努力を活かすテクニックの重要性についても語っています。どうか、受験に限らず、努力してもうまく行かない人は、自分のやり方がおかしいのかも知れないので、自分の方法の再点検を考えてみて下さい・・・』
・・・映画が面白かったので、こうして語られる話にも説得力があった^^
(2010/05/23)