柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

字義

2024-03-17 10:45:49 | Weblog

同性婚判決、時間の問題だったとはいえとうとう札幌高裁が合憲判決出しました。要は条文の解釈次第なのですが、その背景の方が大切のようです裁判官の心証とやらでです。つまり裁判官といえども人間ですからその人独特の思想や考え方、嗜好や情の強弱があるわけです。だからよくドラマであるように予断の加わらぬように彼らは極力第三者であることに努めるわけですが、彼らがどう考えるかだけですつまり。完全無欠の超優れ者でもなんでもない者の判断です。だから世につれるのですが、もっと端的にはこの裁判長一人の判断です。正しいという措定です。これに従いましょうという決まりです、争いごとの解決策の最終手段。何が言いたいか、この判断には世論が大きな力を及ぼすということです。その時代時代の社会規範に沿うべきという大正論です。時代に合わぬ決まりは変えろ。新聞やTVでの解説でもそうあります、この課題も世論が許してきたからだと。岸田さんが、まるで安倍さんが言うように、同性婚問題は日本の社会を変えてしまうほどのことだから軽々に決めてはならぬと言いましたね。この判決の後にも林官房長官が同様の慎重発言してましたよ。社会を変えるなんて大仰なことではない、同性婚したいという少数者も認めてくれと言うてるだけだ、とは原告たちの言い分でした。新聞によれば国会が立法措置を怠ったとする損害賠償の民事分は原告敗訴だったそうです。これは国政選挙での一票の格差裁判で、一票の格差は違憲だけれど選挙結果は合憲、選挙のやり直しなどはしないという結果と同じ流れですね。もう一つの争点、違憲かどうかの判断でこれが大事だったのですが、いままでどれかが合憲判断されていた三項目すべてに違憲判決下して画期的だと扱われてます。要は憲法文言上の両性とか夫婦とかの定義解釈問題に過ぎぬのですが、退けるには字義通りを主張すればいい、それを覆すにはやはり「文章力」が要りますいかに牽強付会であったにしても。今回の判決文読むに、両性や夫婦の意味を人と人との自由な結びつきという意味に超拡大解釈してのものです。そんな無茶な。中学生が言いそうなことじゃのうと思いました。もちろん表現法として形は為してあるのでしょうが、両性や夫婦という言葉は人と人との結びつきを表すって?そりゃ無理筋ですよ。でも、こうやって同性婚が認められて異性婚と同じ法律上権利を手にしていくのでしょう、たしかに彼らが言うようにあなた方(そうでない多数側)に何の迷惑もかけないのでしょうが。でも、こうやって変わっていくのです、そう変わってきたのが歴史ですから。自分がどちら側にいるか。それだけの違い。これも人の社会の歴史そのものですけれど。

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