柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

ごまかし

2007-05-05 09:51:46 | Weblog
松坂四球禍、です。期待が大きい分、やっかみが大きい分、不全感は叱責から落胆、否定へと繋がりましょう。野村がよく口にしていたことですが、称賛はすぐに非難否定に変わり、やがて無視されるようになるんです。一流の一流たるところは高品質の維持にあります。単発的にびっくりするようなことをやるのは二流です、見た目は派手で喝采を浴びますがそれだけのこと、清原や長嶋が典型でしょう。一流はイチロー、王、金田(400勝投手)のレベルです。ですから松坂は未だ steady さに欠けるところ一流になり切れていないんでしょうね。まだ26歳ですからこれからのことなんでしょうが、あの歳で日本中の期待を背負うのもしんどいこととは思います。どうか突っ切ってもらいたいとも思います。
 スポーツライターの二宮某が高校野球特待制度についてコメントして曰く、プロと厳然たる一線を画す野球憲章の意義は認めるが時代にそぐわない点が多く出てきている、経済的に恵まれない生徒に対する、特待生制度に替わる制度を考えなければならないと。私立学校の団体は、スポーツ特待生を野球の場合だけ禁ずるのはバランスを欠く、この制度がなくなれば学業を続けられなくなる生徒が出てくる、などの理由を付け反対声明を出しています。高野連会長はこの規則を変えるつもりはないと言明します。高野連への意見はさんざ書きましたのでもう言いません。しかし、二宮某までも口にしているこの経済的云々の謂、このごまかし、問題のすり替えが気に入りません。何人いるんですか、本当に貧乏で授業費も払えないような生徒が。ここを明確にするべきでしょう。5/3には憲法問題、5/5には外車乗って給食費払わない、学校の費用を払おうとしないバカ親たちを誹る記事が型通り新聞に載りますが、同根です、外からワーワー言うばかり、当人が一言吠えればすぐに黙り込む、経済的問題なんて具体的に見えて実はとても概念的な「人の命は大切だ」的な正論の前にはたちまち貝になる。吠えたもん勝ちです。ですから、野球で引っ張られた生徒の親が、うちは私立高校に行かせるだけの金がないなんて言えばそれで終わりなんではありますが、本当のそうなのか?です。私立のほうが公立より学費は高い(普通はそうでしょう?)、金がなければ公立に行かせるばかりのことです。これが常識です。でも野球の上手な子は、金は要らぬからうちに来てくれ、という誘い方をされる。この制度は、この高校へ行きたいけれど授業料が払えないから何とかしてくれないかといった生徒側の要請懇願が主、本人の学業なりスポーツ技量なりの優越さを学校が勘案して決定するのが従となって成立すること、であれば世間は何も言わないわけです。が現況は、野球の上手な生徒を捜して学費免除を優待条件(餌)にして勧誘している(釣り上げる)わけです。どこにも生徒の家庭の経済的な云々は関与していないのです。貧乏か否かをどこで線を引くのかとか経済的理由というのは単に親の収入だけでは測れないだろうなんて反論があるんでしょうが、屁理屈の典型です。世間の目を馬鹿にしてはなりません。そんなことは見ていれば分かります。それでも尚、例えば貧乏のふりをしてください、なれば特待生で迎えられます、ですから是非本校へ、なんて交渉が必要な世界であるのなら、それこそ甲子園礼賛こそが悪ということになりましょうね。ですから、警官やら医者やらの不祥事を咎めるときに、こんな奴らだけじゃない、一所懸命に任務を全うしているお巡りさんやお医者さんはたくさん居るのだ、でも・・というレトリックと同じ言い方です、本来の制度の恩恵を受けてまっとうに過ごしている生徒もそれはいることでしょう、でも決して全てではないのでしょうし、いわば悪用が常態化しているということなんです。なのに、こういう時にだけ本来の原義を持ち出して正論でもって黙らせようとするこのごまかしが気に入らぬと言うわけです。ここにも「弱者こそが最強者」風潮が見え隠れするのです。埃をかぶっている原義で、拡大解釈の末の多数のウソをごまかそうとするこの態度が気に入らない。得々と当然の如くしらっと喋る奴らが気に入りませぬ。
コメント
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