ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

下筌ダム(再)

2022-06-11 22:00:00 | 大分県
2022年5月24日 下筌ダム(再)
 
下筌(しもうけ)ダム(再)は左岸が大分県日田市中津江村栃野、右岸が熊本県阿蘇郡小国町黒渕の一級河川筑後川水系津江川にある国交省九州地方整備局が管理する多目的アーチ式コンクリートダムです。
1953年(昭和28年)の西日本水害を契機に『筑後川水系治水基本計画』が採択され、筑後川上流部への松原ダム・下筌ダム建設事業が着手されます。
しかし『蜂の巣城紛争』と呼ばれる13年に渡る激しい反対運動によりダムの完成は大きくずれ込み、1972年(昭和47年)にようやく竣工しました。
下筌ダムは国交省が直轄管理する特定多目的ダムで、松原ダムの上流3.9キロ地点の松原ダム湖直上にあり、両ダムは完成当初から一体運用されています。 
当初は筑後川の洪水調節と九州電力下筌発電所(最大1万3000キロワット)でのダム水路式発電を目的としていましたが、1986年(昭和61年)にかけての再開発により有明海の海苔養殖業者向けの不特定利水容量が追加されました。
また津江川上流に取水堰を設け、自己流域だけでは湛水が賄えない熊本県の竜門ダムへの補給も行われています。

蜂の巣城闘争はその後の公共工事に大きな影響を与え、これを契機に『水特法』が施工されます。下筌ダムはダム建設の在り様の大きなターニングポイントとなった点も考慮し日本ダム協会により日本100ダムに選ばれています。

洪水期に向けて松原ダムの水位が低下する5月~6月のみ、下筌ダム直下まで近づくことができます。
クレストラジアルゲート3門とコンジット高圧ローラーゲート2門というアーチダムらしいゲート配置。
ダム直下で川が左方向に蛇行しているため、コンジットゲートはダムの右岸側(向かって左)に配置されています。


クレストゲートズームアップ。


コンジットゲート。


堤高98メール、堤頂長248.2メートルの本格的アーチ
広角で撮るとどこも似たり寄ったりになるのは致し方ないですね。




右岸の管理事務所から堤体や崖に張り付くようにキャットウォークへと続く階段棟。


天端から減勢工を見下ろす。
エンドシルのすぐ先がもう松原ダム湖。


右岸から超広角で。


コンジットゲートをズームアップ。


天端高欄のダム銘板はダム反対運動を指揮した室原知幸氏の書が使われています。

ダム湖名は反対運動闘争から『蜂の巣湖』と命名されました。


天端は県道12号阿蘇天瀬線になっています。


対岸右手はインクライン、左手は九州電力下筌発電所の取水口。


下筌ダムでは豪雨の際には大量の流木や塵芥を捕捉するため、ダムとしては非常に珍しく自前のゴミ焼却プラントを保有しています。


上流から
クレストゲートの下にはコンジットの予備コースターゲート
訪問時はゲートの点検中で右側のゲートの動作チェックが行われていました。


(追記)
下筌ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

2775 下筌ダム(元) 
左岸 大分県日田市中津江村栃野 
右岸 熊本県阿蘇郡小国町黒渕 
筑後川水系津江川 
FP 
 
98メートル 
248.2メートル 
59300千㎥/52300千㎥ 
国交省九州地方整備局 
1972年 
---------------- 
2797 下筌ダム(再)(1848) 
左岸 大分県日田市中津江村栃野 
右岸 熊本県阿蘇郡小国町黒渕 
筑後川水系津江川 
FNP 
 
98メートル 
248.2メートル 
59300千㎥/52300千㎥ 
国交省九州地方整備局 
1986年
◎治水協定が締結されたダム


コメントを投稿