拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

加持祈祷

2024-05-21 08:26:40 | 歴史

漱石の「明暗」の主人公は病気で入院したのだが、病名は伏せられている。記述された手術の内容、さらに病気の概要として「楽な病気」「大した病気でもない」「下らない病気」等々の記述から「Ji」?と推測した。だが、ひっかかる点がある。「医者の専門が、自分の病気以外の或方面に属するので、婦人などはあまりそこへ近づかない方がいい」との記述である。「自分の病気」が「Ji」だとすると、「医者の専門」=「婦人が近づかない方がいい」とはなんだろう?真っ先に頭に浮かんだのが性病。だが、性病の専門医が「Ji」の手術をするのだろうか?調査開始。調査終了。推測は当たり。漱石自身「Ji」を患っていて(物書きの職業病?)、手術を受けたのは神田錦町にあった佐藤診療所で、佐藤医師の専門は性病であった。小説はそれを土台にしたものであった。佐藤医師は、漱石の主治医であった胃腸病の医師の友人だったことから、漱石の「Ji」の治療をすることになったそうである。

ところで、その治療の様子は素人目には現在の外科手術とさほど変わらない感じがする。漱石が生きたのは(主に)明治。その頃、既に、日本で西洋医学が浸透していた、ということか。

源氏物語では、病気になったら「加持祈祷」である。当時は「光る君へ」の時代=平安時代=今から千年前である。すると、加持祈祷から西洋医学への転換は、この千年の間に生じたこととなる。ウィキペディアには、「日本では1543年の鉄砲伝来以降に西洋医学も伝えられ」とある。なるほど、戦国末期に伝わった西洋医学が江戸時代の250年を通して広まっていった、とガッテンした。

だが、「西洋医学」と言っても、日本で加持祈祷が行われていたとき、西洋ではどうだったのだろう?ウィキペディアには、西洋医学の芽生えはギリシャ時代のヒポクラテスに遡るが、中世においてはまじない的な治療が行われていたとある。なんだ、日本の加持祈祷と同じじゃんけ。せっかくのヒポクラテスもかたなしである。

因んだ話その1。最近の「光る君へ」の放送回で、都の人々が貴族も含めて流行病でばたばた死んだ。西洋でも、中世にペストが大流行した。ボッカチオの「デカメロン」は、ペストから逃れるため郊外に疎開した貴族達が暇に任せて「お話の会」を開いた際に語られた話、という設定である。貴族のご婦人も実は下ネタがお好きだということがこれを読むと分かる。

その2。「(明治時代の)治療の様子は素人目には現在の外科手術とさほど変わらない感じがする」と書いたが、違うなー、と思ったのは、病室に畳が敷かれていて、そこに入るとき襖を開けることである。このことを書きたかったことが、今回の記事執筆の最大の動機である。

その3。学生の頃、聴いていた深夜ラジオ放送のパーソナリティが「Ji」の手術の体験談を語っていて、最初、病室にエロ本が置いてある意味が分からなかったが、術後、麻酔が切れたとき思わず読んだ、そのとき置いてあった意味が分かったと言っていた。

その4。キャンディーズ解散後にランちゃんが芸能界に復帰したのは映画「ヒポクラテスたち」においてである。このニュースを聞いた際は、え?ランちゃん、全然知らない若い監督の映画で復帰するんだー、と思った。その監督こそは大森一樹であり、後にゴジラ映画で随分楽しませていただいた。ランちゃんが復帰する映画の監督であったということ、大森監督が医大出身であるということ知ったのはたった今である。