🔶339『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカ南北戦争(ゲティスバーグの戦い、1863以後)

2022-02-28 17:22:39 | Weblog
339『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカ南北戦争(ゲティスバーグの戦い、1863以後)

 1864年に入っての6月、逃亡奴隷取締法が廃止される。10月、ネヴァダ州が連邦に加入する。11月、リンカーン大統領が再選される。1865年の初めのリンカーンの第二期大統領就任演説には、こうある。

 「総人口の八分の一は黒人奴隷でありましたが、連邦全体に分布しておらず、連邦の南部にだけ存在していました。これらの奴隷をもとにして独特の強力な利害関係(黒人奴隷制度)が作られました。この利害関係がともかく戦争の原因であることはすべての人が知っていました。反乱者たちが戦争にうったえてまでも連邦を分裂させようとしたのは、この利害関係を強め永続させ拡張することが目的でした。しかし、他方連邦政府はそれが領地内に拡大するのを抑制しようとしたほかは何の権利も主張しませんでした。双方とも戦争がここまで大きくなり長期化するとは予測していませんでした。」(同)

 4月9日、グラント将軍に追われていた南部の主力、リー将軍の率いる軍隊が降伏する。4月14日、リンカーン大統領が暗殺され、翌日死亡したことから、副大統領のジョンソンが大統領に就任する。5月、アメリカ連邦(南部連邦)大統領デーヴィスが逮捕・拘禁される。5月26日、最後の南軍が降伏し、南北戦争が終結した。この戦争で死亡した将兵は、62万3千人に達していた。南部連合は4年目にして消滅することになった。残された課題は、南部11州をどのようにして連邦制に復帰させるかになっていく。12月、合衆国は憲法修正を行い、奴隷制廃止を規定した。
 1866年2月 フランス皇帝ナポレオン3世にメキシコからの撤退を要求する最後通牒を手渡す。4月、黒人の権利擁護をはかる公民権法が制定される。7月には、テネシー州が連邦に復帰する。1867年 3月、ネブラスカ州が連邦に加入する。1868年6月、アーカンソー州が連邦に復帰した。11月、共和党のグラントが第18代大統領に選出される。1869年5月には、大陸横断鉄道が完成する。12月、ワイオミング準州でアメリカ最初の婦人参政権法が制定される。
 1870年1月、ヴァージニア州が連邦に復帰する。2月23日、ミシシッピ州が連邦に復帰する。3月、憲法修正が批准され、白人と黒人の公民権の平等が規定される。7月、テキサス州、ジョージア州が相次いで連邦に復帰したことで、南部諸州の連邦復帰が完了した。1872年11月、グラント大統領が再選される。1873年9月、「1873~79年恐慌」が勃発する。「世界恐慌」ガアメリカにも押し寄せた形だ。ジェイ・クック商会が倒産するなどの激震が走り、南北戦争後から続いていた景気拡大が止まる。1875年1月30日、ハワイとの通商互恵条約締結される。1876年 8月には、コロラド州が連邦に加入する。
 ところで、前の南北戦争で奴隷制の廃止を訴えた北部が南部11州に勝利し、黒人に市民権が与えられたのであったが、彼らの前途は多難なものであった。1896年に最高裁が白人と黒人との隔離政策を容認すると、南部諸州では「ジム・クロウ制度」呼ばれる様々な黒人隔離策がまかり通るようになっていく。要するに、公共の場でも、黒人は白人と同じ場、同じ場所、同じ席にはいられないような差別的取り扱いが社会に広がっていった。こうしたアメリカ国民の生活全般に亘る激しい差別は1964年に導入される公民権法成立まで続いていく。

(続く)

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