私の大学での恩師(当時助教授、現在で言えば准教授)は「インテリは左翼じゃないとね〜」とおっしゃっていた。
四半世紀も前のことだ。
私は深く考えもせずに、「そっすねー」と軽く答え、特段違和感は感じなかった。
それから幾星霜、2009〜2012年のいわゆる
”悪夢の”民主党政権があり、左派への失望が募り、その後の2015年以降の
SEALDs騒動くらいからだろうか、あまりにナイーブな左翼的な思考が疎ましがられるようになり、その反動として、保守的思考が幅を利かせるようになってきた。
そんな今だからこそ立ち止まって、「なぜインテリには左翼が多いのか?」を考えてみることには幾分かの意味はあるのではないか。
【その1】
(私の狭い視野に入ってくるものだけの話ではあるが)保守言論界隈で言われるのは、GHQによる戦後統制の影響だ。
たしかに、戦前の国粋主義的な思考を駆逐するために、GHQは非常にわかりやすい形、すなわち教職追放を行った。
このことが、戦後の思潮を支配する契機になったことは認めなくてはならないだろう。
追放された側の(つまり、「転向」しなかった人々の)「恨み骨髄」は理解できる。
しかし、ここは冷静に観察することが必要だ。
「恨み骨髄」に共感・共鳴しているだけではいけない。
アメリカの占領政策を担った人々、特に日本国憲法の起草に関わった人々は、今で言う「リベラル」な人たちだったというのはいいとしても、「共産主義者」の名で括るのはあまりにも乱暴だ。
輪をかけて困ったことに、保守言論ではここから、共産主義の「悪魔化」を始めてしまう。
いわく、GHQのブレーンは共産主義者、そして共産主義者は世界的ネットワークを駆使して世界中至るところに力を行使していた云々・・・。
確かに当時のインテリは多かれ少なかれ共産主義・マルクス思想の影響は受けてはいただろうことは想像に難くない。
言い換えれば、「資本主義の問題を憂える」というのは、政治的左右を問わず「インテリ仕草」として必須だったということをわきまえる必要がある。
インテリたるもの、その使命として、その時代の問題を強く意識し(19世紀末から西欧で解決すべき最大の問題とされたのは資本主義であり、その結実がマルクスの『資本論』だった)、その上で自らの学問的営為が営まれるというのは、いわば暗黙の了解だったのだ。
だが、そのことを知らないことが「共産主義の悪魔化」を正当化しはしない。
まるで全世界の共産主義者が共謀して狡知を巡らし、陰謀を企て、闇の力を以って全ての裏で糸を引いているかのような言い草は笑止である。
以上の【その1】を受けた上で(GHQの影響は認めた上で)、もう一段考えを進められないか。
【その2】
戦後もすでに78年。
一世代25年と言われるので、単純計算で3回以上代替わりしているはずなのだが、今でもインテリに左翼的傾向の人物が圧倒的に多いという事実は変わらない。
この間、1989年にベルリンの壁崩壊、そして1991年にはついに共産主義の巨頭ソ連が崩壊し、共産主義は目に見えて退潮していった。
この事をもって「歴史の終わり」などという派手で愚かな文言を弄し、後に恥を晒した学者もいた(今、どうしてるんだろう?と思って検索してみたら、少しづつ軌道修正しながら現在もご健在のようだ。右顧左眄してなんとか地位を確保しているというところか。彼のような人物は、いわば一種のイデオローグなのであり、亜インテリとして括るのが正しいように思われる)。
加えて、戦後の最大の左翼思想運動を担った、いわゆる「団塊の世代」が2007年ごろから大量に退職時期を迎え、さらに今年2023年からは彼ら彼女らは後期高齢者となり、いよいよ第一線から消えていくようになった。
※団塊世代の「欺瞞性」については、またどこかで稿を改めて書いてみたいと考えている。
繰り返すまでもないが、いまや共産主義国だったはずの中国は権威主義的国家資本主義国と化し、他の「共産主義国」もその実態はただの独裁の方便であることがはっきりした。
世間的には、すでに「共産主義」は死語であり、なんとか「リベラル」という言葉のうちになんとかその残滓が生き残っている、と言うべきだろう。
普通に考えれば、インテリ層の左翼的思考も変わりそうなものだ。
しかし、実際には根強く左翼的インテリというのは存続している。
というか、むしろアカデミアを支配し、左翼でなければ人にあらず、的な風潮がいまだに瀰漫しているというのが現状だろう。
直近では、歴史学者の呉座氏やツイッター論客の一人の雁林(
@ganrim_)氏などがその逆鱗に触れて、アカデミアから排除されるという事件が起きたのも記憶に新しい。
ここまで継続しているという事実から、もっと本質的に「インテリが左翼的思想を好む理由」があると考えてみるのはどうだろうか。
【その3】
インテリは学者・知識人を指す。
「知」というものの基本傾向として、「普遍性」を志向するというのがある。
わかりやすい例を上げるならば、「1+1=2」は地球上のすべて、もっと言えば宇宙全体で妥当するという事実を参照するとよい。
もちろんこれは「端的な例」であるが、学問の理想形として、一種の「普遍性」を志向するのはインテリを自称するものならば、多少の差はあれ持っているはずのものだと思う。
少し話題がそれるが、日本では「文系・理系」の区別がイビツな形で一種の「常識」となり、血液型性格判断に似た、ある種の決めつけを生んでいるのは嘆かわしい限りだ。
本来は、文系=人文知、理系=サイエンスであり、知の基盤として人文知が存在し、その上に人文知と地続きにサイエンスがあるという理解を広めるのが望ましいが、現状の日本の状況を鑑みるに、なかなかに難しい問題である。
閑話休題。
学問というのは、真理の探求である。
真理というのは、究極的にはひとつしかないものだ。
同じレベルの2つの真理が併存するというのは、基本的には考えられない。
それまでに真理だと信じられてきたものは、新たな研究によってより高次の真理が打ち立てられたときには打ち捨てられる。
これが学問的真理というドグマである。
これがインテリの思考の根底にどっかりと根を下ろしている。
【その4】
そのうえで、ここに更にもう一つのレイヤーが加わることになる。
近代以降の政治哲学の大きな流れとしての「リベラリズム」である。
近代以降、市民(中産階級)が力をつけて、政治の主体となっていった。
その過程で、「市民」は「自由」を要求した。
政治哲学は、その市民の自由を理論武装する役割を果たした(実際には「鶏と卵」的な側面はあるのだが)。
そして、ここが重要なのだが、この「過程」はまだ終わっておらず、現在も進行中だということである。
この「運動」は「学問」として、「普遍性」を希求する形で今もなお発展の途上にある。
ここでは、「市民の自由の確保および拡大」に「普遍的価値」を見出すという側面があるということを銘記したい。
つまり、「市民の自由を追求すること」は「普遍的」である以上、それは特定の国にしか適用されるようなものではなく、全世界に共通して適用可能な「普遍的な命題」なのである。
このことが、左翼的人々をある種の「国際人」とし、また彼ら自身も自らを「特定の国」に限定された存在とは認めない根拠となっている。
【その5】
さらに、より大きな視点から言えば、古代からの「学問の自治」とも関係があるだろうとも考えられる。
「学問の自治」とは西欧における「大学」の歴史に由来を持つ。
学問の府としての大学は、現在の日本においては、もはや一種の職業訓練学校的なものに成り下がっているが、明治以降の大学制は西欧近代の諸制度を取り入れる中で、いわば借り物として取り入れられたのではあったが、それは戦後になってより徹底的な形で再構築されることになる。
つまり、それが「学問の自治」である。
もちろん、そこには多分に戦前への反省が込められていたことは間違いないが、それ以上に、本来の西欧における意味の大学として、学問というものの自立と自由を謳うものである。
ここでも「自由」が出てくることになる。
大学はそれぞれに独立し、自由を持っている。
しかし、一方で、大学同士は学問における真理の追求という使命において連帯しており、またここでも「普遍性」の名のもとにInter-Nationalなのである。
大学の起源が国民国家よりも遥かに古い起源を持つことから、この「学問の自治」の力は強い。
うまくまとめられなかった。
また、余力があれば書こうと思う。