人生、消去法
世捨て人のつぶやき




オバマ新大統領の就任演説がいろいろなところで取り上げられている。
私の愛読するfinalvent氏、内田樹氏等々。

で、これだけ日本という国で他国の大統領の演説が話題になるのも
何か変な気がしてしまう。
やっぱり「日本はアメリカの植民地」という意見も
あながち間違いではないのかな、と思ったりした。

そこからの思いつきでしかないのであるが
ほとんどアメリカの植民地でありながら
国民の大半が戦後60年を経てもなお
英語をしゃべれるようにならないというのは
ある意味で「反植民地闘争」なのでは?
なんてね。

フィリピンや、イギリスの植民地だったインドなど
英語が公用語として定着している国がある。
一方で、なかば植民地として
占領政策もその後の外交関係からいっても
成功しているように見える日本においては
私も含めていっこうに英語は話せそうにない。
ていうか、話そうという気がない。ほんとのところは。

生きていくためになんとしてでも英語が必要になってくるような
そんな環境自体が日本のなかには存在しなかった。
少し前にブログで話題になっていた、国内だけで生きていける日本という
特殊な事情が、奇跡的に成立していたのだ。

逆説でしかないが、われわれ日本人は
英語を話すことを拒否し、かつ植民地であり続けても来た。
生存は確保しながらも、完全には従わなかった。
そう考えることはできないだろうか。




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昨年後半くらいから、戦争がやってくる、という
なんというか、漠然とした不安を感じるようになった。

もちろん、そのまえに「希望は戦争」なんていう議論があったのも事実だが
そんなレベルではなく、なんか殺しあうしかないか、みたいな
あきらめとも絶望とも言える気分がどうしても拭えない。

自分などは、さっさと死んでしまったほうがよいのだろうが
これがけっこうしぶとく生き続けてしまっていて
どうやら自分では始末をつけられそうにない。

さんざん生きることに絶望してきたのだから
もうそろそろいいんじゃないかという気もするが
一方で、生物としての「私」はやはり生きようとしているようだ。

「戦争」
それは戦後教育のなかで育った私には
絶対悪であり、同時に現実になるはずもないものでもあった。
それがいま目の前に姿を現しつつあるように思う。
もはや避けることのできないようなものとして。

そしてまたそこには大義といったものも存在しないだろう。
ただ、野蛮な生き残りをかけた戦いと
その結果としての人の獣性の再興があるだけだろう。

なにもない。
もう、なにもないのだ。

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私はあまり感情の変化のない男だと思うが
疲れてしまったとき、ふと哀しくなることがある。
年に一二度にすぎないけれど。
そんなときに聴きたくなる曲がある。

アメリカのEels(イールズ=うなぎ)というバンドの
Novocaine for the soul(魂に麻酔を)
http://jp.youtube.com/watch?v=6nBOROExwE0

泣ける。
ただ、いわゆるバラードではない。
どうしようもないくらいの絶望を通り抜けて
もうなんか悲惨すぎて笑うしかない、みたいな。
なにもおかしくはないのだけれど。



私はあまり感情がない。
でも、どこかに感情はあるようで
ふとしたときにやってくる。

忘れた頃にやってきて
でもまたすぐに消えてしまう。

私はふだん哀しくもないし、寂しくもない。
ところが、ほんとうは哀しくて寂しいんだということに
年に一二度気づかされる。

私の一部なのに、私の一部ではないことにしている部分。
いつまでも傷口がふさがらないところ。

魂に麻酔を。魂に鎮痛剤を。




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Wikipediaの統合失調質人格障害の項はなかなか更新されない。
しかも、なんか眉唾なことが書いてあるんだが・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/統合失調質人格障害

いわく、
特に、田舎から都会へ出てきたばかりの人物に発症しやすいとされている。田舎の、特にムラ社会が色濃く残っている地域では、自由やプライバシーが保障されない代わりに「自分は自分の人生をどうしたい」などの意思表示を求められることも少ない。こうした文化の中で生まれ育った人が都会において急に「自己表現」を求められてパニックに陥り、それを求められるような社交的な場を避け、引きこもりに近い精神状態に陥ってしまうものと考えられる。
だそうだ。なんだかな。

この部分の最後には「要出典」とつけられているので、私と同じような感想を持った人がいるということだろう。
しかし、それにしてもひどい記述だと思う。差別的・侮蔑的な視線を感じる。
そもそも、人格障害は病気ではないはずなのに、「発症」という単語を使ってしまっているのが、もうダメダメでしょう。
要出典とかそういう問題じゃないと思う。

そもそも、シゾイド型を含めて「人格障害」の概念自体は主にアメリカのDSM-IVで定義されていたのではなかったか。
この項の冒頭の記述にも「DSMの人格障害のなかで、大きな区分である「クラスター A」に属する一型である。」と書いているのに、なぜか診断基準にはICD-10のものしか書いていない(ICD-10はWHOが策定しているものだから、こっちのほうが主流なのだろうか)。

履歴を見てみると、一番最初のほうではDSMについても記述するつもりだったようだが、途中で削除され(2006年6月25日)、その直後の2006年8月13日に冒頭で引用した問題の一節をchikumayaさんというハンドルネーム(というのだろうか)のひとが書き込んだようだ。
このchikumayaさん、wikipediaでは、「プロジェクト医療」と「プロジェクト病気」に参加していらっしゃるようで、医師なのだろうかと思ってしまうが、それにしても出典も明らかではない(というか偏見に満ちた)文章を書いてしまわれましたね。
しかも、それから結構な時間がたっているのに、修正されていないところを見ると、Wikipediaの信頼性というのもあやういな、と思ってしまう。

しかし、やはりこのシゾイド型人格障害というのは、医学的にも問題にされることも少なく、当の本人も世の中や他人に働きかけようとしないため、なかなか理解も進まないし、こういったWikipediaの記事でも内容が充実しないのかもしれない。

とはいえ、海外ではけっこう研究はされているようだし、少なくとも英語版の内容を翻訳して載せるくらいはしてもいいのではないだろうか。
これ → http://en.wikipedia.org/wiki/Schizoid_personality_disorder
(ていうか、内容多いな。英語圏ではやはり研究進んでるんだな)

お前がやれって言われそうだが、なかなか精神的な余裕もなく難しいんですよ。
そのうち時間が取れたら、一度書き込んでみようと思いますが。

ただ、できればちゃんとした研究を行っている方にしっかりした記述をして頂きたいところだ。
見ている研究者の方がいらしたら、ぜひ執筆にご協力頂きたい。
書いて頂ければ、お礼に私が観察対象になってもいいですよ。研究に貢献できるなら喜んで。

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AFP 謎に包まれた伝説の作家J・D・サリンジャー、90歳に

1951年の『ライ麦畑でつかまえて』は発表後すぐに反響を呼び、大ベストセラーとなった。現在も年間25万部以上の売り上げを記録し、多くの高校で推薦図書に選ばれている。だが、個人的生活を大切にするサリンジャー氏は『ライ麦畑でつかまえて』で得た名声を負担に感じ、1953年にニューハンプシャー(New Hampshire)州の田舎町コーニッシュ(Cornish)で隠遁生活を始めた。それ以降は公の場に姿を現していない。


すごいな、50年以上隠遁してるんだ。うらやましい・・・

サリンジャー氏は1974年に20年近くの沈黙を破ってニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙の電話インタビューに応じ、次のように語った。「作品を出版しないでいれば、驚くほど平和な毎日だ。何かを出版すれば私の個人的な生活がひどく脅かされることになる。


若い頃の成功でその後も生活していけるくらいの収入があったのだろうが
「私の個人的な生活がひどく脅かされる」というフレーズにシゾイド的なものを感じるのは穿った見方だろうか。

できることなら、私も隠遁したいなぁ



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なんだかんだで2009年になってしまった。
年末に新書を2冊買って、ここ最近としては早く読めた。
読んだのはこの2冊。
『この金融政策が日本経済を救う』(光文社新書)(高橋洋一)
『金融大崩壊―「アメリカ金融帝国」の終焉』(生活人新書)(水野和夫)

あと、もう少し前に買っていたのだが読めずにいたこれもなんとか半分以上は読めた。
『資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす』(竹森俊平)

どの著者もそれなりに好きな書き手だ。
しかし、どの書も2009年の見通しは暗い・・・

最低でも2年くらいは不況だというのが基本線。
下手するともっとひどくなるかも、とのこと。

私は、この半年ほど、だんだんと「戦争」に向かっているように思うようになった。
このぐちゃぐちゃの状況はいったんご破算にしてしまおうという動きがあってもおかしくないし
ま、世界大戦のような形はないだろうが、テロのさらなる広がりのような形で
ある種の「戦争」になるのでは、と。

と思っていたら12/28「たかじんのそこまで言って委員会」で
宮崎哲弥氏と勝谷誠彦氏がともに米国のイラン空爆の可能性に言及していて
こりゃ、下手すりゃ世界大戦か?とか思ったりした。

そしたら今度は朝まで生テレビで、
田原総一朗と佐藤優の共著で第3次世界大戦なんとかという本が出るとのこと・・・

まいったね。こりゃ。

ま、日本ではイスラム原理主義なんかはないが
これからそういうものの代替になるような考え方が出てくるのではないか。
自爆テロ的なものが増えるのではないか。

正直なところ、まさか、自分の世代で「貧困」などというものが
問題になるとは思っていなかった。
そして、自分がその当事者になろうとは。

就職氷河期どん底の2000年に(ブラック企業に)就職して
なんとか転職してようやく400万円台に到達したが、
それも08年度は業績悪化で、もう300万円台に戻った。

もちろん、派遣切りで切られた人々に比べれば
私はまだまだ恵まれているほうだろう。
しかし、先の見通しはなにもない。

どんどん状況は悪くなっている。



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