私は高原の町に居住している。
そんな高原の町は、おそらく都会の人々から見れば、自然に囲まれた「美しい定常社会」に見えるかもしれない。
言い換えれば、それはいわゆる識者(知の巨人とか呼ばれる人々)が次の時代のモデルとして提唱している「理想郷」と勘違いする人が出るかもしれないということだ。
しかし、実際はそんな生易しいものではない。
例を挙げよう。
私の母が14年前に亡くなった。
親戚縁者、近所や職場関係等々、たくさんの人々が通夜と葬儀に参列した。
香典の数は延べで、なんと400超であった。
これだけなら、人と人のつながりが強いんだなぁと解釈されるかもしれないが、そんなに簡単な話ではない。
頂いた香典はすべて記帳し、「〇〇 〇〇様 *****円」と記録をつける。
そして、今度、その香典をもらった相手の家で不幸があった場合に、そのリストを参照して、前にもらった金額を「お返し」しなくてはならないのだ。
その情報共有のために、現在でも各家庭に光ファイバーを通し、コミュニティ放送で毎日亡くなった人の情報が放送される。
わざわざそういうシステムを導入し、維持しているのだ。
住民である私たちは、その放送を聞き逃さないように気をつけて、もし以前に香典をもらった家庭に不幸があったとわかった場合は、過去帳を確認して、通夜か葬儀のどちらかに参列して、以前もらったのと同額の香典を供える。
当然、香典に書かれている名前を知っているだけではだめだ。
香典をくれた人の親だったら、配偶者だったら、子供だったら。
事前にそういう家族情報等も頭に入れておかなければならない。
どうだろう。
この義務を果たしてまで、この町で住みたいと思うだろうか。
何もこれは明文化された規定ではない。
しかし、昔から続く、暗黙の了解なのだ。
古びた因習という意味では、「村の掟」のようなものである。
私の親世代は、それを当たり前のこととして引き受けてきたし、私もまた、生きているうちはそれに従わざるを得ないと考えている。
また、母が死去した際、父に今まで他家の香典にどのくらいの金額を使ったのか尋ねたことがあった。
すると父は、なんと「家二軒分はゆうにある」と答えた。
あまりの金額の多さに私は驚いたものだ。
さて、都会で「定常社会」に憧れる皆さんは、これを聞いてどう感じるだろうか。
「そんなもの、やめればいいじゃない」とおっしゃる方が大半ではなかろうか。
そりゃそうである。
法律で決まっているわけでも、罰則があるわけでもない。
現代の自由主義・資本主義社会に暮らしている人の普通の感覚なら、それでいいのだろうし、都会なら最低限の義務(ゴミ出しのルール等)を守れば、基本的にそれ以上のことを要求されることはない。
では、なぜこのような風習が広まったのだろうか?
これには、自営業を営む人々の言葉にヒントがあった。
ある程度の小さな経済圏の中だけで、お金をぐるぐると循環させるための「ひとつの知恵」だというのだ。
都会の資本主義が徹底した社会で暮らしている人には想像が難しいかもしれないが、これはまさに非-資本主義の社会運営のための、いわば「苦肉の策」なのであり、より積極的に言えば「払うべきコスト」なのだ。
酷な言い方ではあるが、「それが嫌なら出ていけ」である。
「個人の自由は維持したい。でも、定常社会で暮らしたい」というのは、少なくとも私の町では両立しない。
そこまでしなくてはならないのなら、都会のほうがいいと思う人がほとんどではないか。
もちろん、時の流れとともに変化はある。
コロナのお陰で、葬儀のほとんどが「家族葬」になり、香典も辞退という家が増えた。
しかし、考えてみてほしい。
その変化は、「田舎の定常社会が、資本主義に染まっていく」過程なのだ。
不合理な因習を捨てて、各自が自由に振る舞うことで成立する社会。
決して、「ある定常社会から別の定常社会への変化」ではない。
いま残っているものは、いわば「資本主義の外部」である。
そして、それが資本主義化していく流れは止められず、不可逆的なものだ。
仮に残ったとしても、それは決してラクなものではない。
なにか安直で抽象的な理想論で「定常社会」を語るのは悪手であると思う。
そこには、生活があり、経済を動かさなくては生きては行けない。
具体的な生活に落とし込む作業が必ず必要になる。
その際、自由と義務はトレードオフの関係になる。
その事実を無視して「定常社会」を称揚するのはいかがなものか。
資本主義社会が成熟し、脱成長の時代がやってくるというのは、端的に言って間違いなのではないか。
脱成長のその先に夢想されているのは、「成長しきった高レベルでの社会を維持し続ける」ことではないだろうか。
そんなことが可能なのだろうか。
もちろん、高名な女性社会学者が「平等に貧しくなろう」などという空手形を切り、見事にそれを破ったことはつとに知られている。
「ひとは貧しくなれない」のだ。
いったん、禁断の果実の味を知ってしまったら最後、もとには引き返せない。
では、できることはないのか。
それは、地味ではあるが、「手入れ」をしていくしかないのではなかろうか。
「改革」、「革命」ではなく、地道に日々の手入れをすること。
近道はない。
楽な道もない。
しかし、それを引き受けるということの中にこそ、人の成熟というものが存するのではなかろうか。