人生、消去法
世捨て人のつぶやき




先日、父がゆうちょに預けていた定期預金が満期になったというので、その金を私の生命保険にしたいと言われ承諾した。
手続きをしながらつらつらと考えたのだが、今年78歳になった父が「受取人」になった私の生命保険というのは、実質、私が死ぬことを期待されているような気がして、改めて、毒親のもとに生まれてしまったんだなぁという感慨にふけることになった。
子供が死んだ時に、掛け金の3倍くらいの保険金を受け取れるようにする親って・・・。
しかも、自分がもうじき死ぬ年頃なのに・・・。
因果なものである。

まぁ、生命保険といっても入院などの傷害も保障するものだから、私にとってもベネフィットはあるわけだが、こと死んだ場合においては、父しか得しない。
そして、父は掛け金の3倍の金を受け取るわけである。

うーん・・・。

そして、それを臆面もなく一人息子に言ってくるというその神経は、もし私が子供を持って親になり、自分の子供に生命保険をかけようとしたら、とてもできるものではないと思った。

普通、生命保険というのは、一家の大黒柱(死語)が死んだ時に、残された家族が路頭に迷わないように掛けるものであって、子供にかける場合には、基本的に傷害保険だけでいい気がする。
おかしいだろうか?

こんな境遇だから病むのだ、というのは、言い訳に聞こえてしまうものだろうか・・・。

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ニーバーの祈りというものがある。
Wikipedia ニーバーの祈り

英語(英語原文)
O GOD, GIVE US
SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,
COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,
AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM
THE OTHER

日本語訳(翻訳者:大木英夫)
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

原文と翻訳を比較してみると、結構ちがう(文の順序、助動詞など)。
が、日本語訳は良く出来ているとも思う。

私は、毎日一度は、このニーバーの祈りを暗唱することを習慣にしている。
生きにくい人生のせめてもの慰めとして、そしてカンフル剤として。

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単純な話だが、生まれたことを苦と感じる者達は子孫を残さず、喜びと感じる者達は子孫を残す、それが繰り返されれば、世の中はもっと良くなっていくだろう。

今の世の不幸は、人間の種としての多様性を確保するために、過剰に「生きることに向いていない人」が量産されてしまったことだと思う。

そろそろリセットしても問題ない頃合いだろう。

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