今年の7月から、月に数回、父とウォーキングがてら近くのお寺に参っている。
近くと言っても、片道2kmくらいはある。
往復すると1時間と少し。
その寺院は真言宗で、小さいが護摩堂などもあったりする。
父と二人で有料の線香を供え、拝む。
父は私のうつの全快を祈ってくれる。
ありがたいのだが、これがなんかプレッシャーに感じてしまう自分がいる。
決して治りたくないわけではない。
治りたいのだ。
切実に。
しかし、お堂の前に並んで、父に「○○(私の名前)のうつ病が全快致しますように」と小声で唱えながら拝まれると、いかにも私の現状が情けないものに感じてしまい、なんともやりきれない思いにとらわれるのだ。
いやはや随分と身勝手だなぁと自分でも思ってしまう。