人生、消去法
世捨て人のつぶやき




静かに生きたいだけ。

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90年代の空気、それは端的に「僕らは終わってしまった物語を静かに見送っているだけ」という感じだった。
こう書いてしまうとたちまち陳腐なポエムにしかならんのが、なんともはや若気の至りと言うかなんと言うか・・・

実際、ベルリンの壁崩壊、ソビエト崩壊、それに対抗するほうは歴史の終わり、ってな感じで
少しさかのぼれば、70年代に言われた大きな物語の終焉がとうとう来たぞ、と。

ただそこにはなんとはなしに「祝祭的」なものがあった。
いや、「ポスト祝祭的」といったほうが適切かな。
ある種の緊張からの開放感というか、解き放たれた後の脱力感とでもいうか。

そこには少し物悲しい、乾いた空き地の土埃のような印象があった。

それからもう20年になる。
いつしか乾いた風は冷たい大理石の床のようになり、
そして静かに水底に沈んでゆくのに身を任せるしかない、そんな世界になった。

果てしなく広がっていくかのように思えた宇宙(ビッグバン)のあとの「ビッグクランチ」。

ピンチはチャンスと人はいう。
それはそうなのかもしれない。
心から賛成は出来ないけれど、反対する権利も僕にはないのだろうし。

ここで「僕」という言葉を書いて慄然とした。
もはやその語で言い訳が出来ないということに気付かざるを得なかった。

まだ読んでもいない昔の小説のタイトルが頭をよぎった。
「幼年期の終わり」(1953年刊)

もう1回くらい「終わ」れば「僕たち」は「そこ」に追いつけるのだろうか。

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わたしの田舎はわたしが子どものときですでに人口が1万2千人くらい、
いまではどのくらいなのか、正直、調べる気も起きない。

わたしの父は、町役場の公務員だった。
記憶しているのは、朝は家族で朝食をとり、夕飯は6時半くらいに
これも家族みんなでというのが当然だったということだ。

ときは高度成長期を既にすぎていた頃である。
ていうか思いっきり80年代に突入しているわけだが。

今からすれば古き良き時代、もっといえば理想的な時代だったのかもしれない。

しかし、これは地方の(しかもかなり片田舎の)事情である。
父には申し訳ないが、はっきりいって「モーレツ」に仕事をしているように見えたことなど一度もない。
(公務員なのだから当然とも言えるが。でも今の公務員はおそらく大変だろう)

古い農村共同体的な色彩が色濃く残る田舎にあっては
本業よりも、冠婚葬祭にしっかりつきあうということのほうが重要だった。
そして、それをしっかりやっていれさえすれば、大した仕事をしていなくとも
それなりに暮らせてしまうという状況があった。

それを支えていたのは何だったのだろう?

おそらく、都市部の所得を移転していた「だけ」なのだろう。
田舎に大きな箱ものは出来ても、そこに暮らす「輩」のレベルは底上げされることなく
むしろ低下してしまっていたのではないか。

あさ職場に行って「おはよう」といい、
そこに知り合いがくれば雑談をし、
夕方になったら「お先に」といって帰る。
それですまされてしまう、そんな時代が2~30年続いていたのだ。

それも、その地域だけである種の自給自足的に経済が回っているのならいい。
しかし、実際には、都市部からの所得移転を「あーん」と上に口を向けて待っているだけに終始したのだ。

ひな鳥ならそれも許されるだろう。
ひな鳥であるうちは。

しかし、そのような世代の人々がいまや高齢者である。
へたをすれば後期高齢者である。

それも巣立つことがなかったひとたちである。

そしてその巣立つことなく地方のしきたりだけに特化した
そんな親に育てられた子どもには、生きていくすべなどないのは当然だろう。
もはや、地方のしきたりに従っていさえすれば生きていけるような仕組みが崩壊した今となっては。

で、振り返って考えてみると、これはある種のベーシックインカムだったのではないかということだ。

高度成長期において、農村部の家業を継げない次男坊や三男坊以下が都会に出て
集約的な労働力として搾取される一方で、
そこからの果実が国を通して地方のしきたりを維持することにコストを払うひとに
回されるという仕組みが出来上がってしまったのだろう。



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まだ読んでいる途中なのであるが、つらつら思うことがあるので書き留めておきたい。

この本は、去年の年末くらいに書店をぶらぶらしていて
哲学書コーナーで平積みになっていたので
「ほう、なんか話題なのかな」くらいに思って通り過ぎていた。
正直、オビに「革命」という言葉があるのを見て、ちょっとひいた。

そうしているうちに年が明け、今週のはじめに(それでも平積みしてあるので)購入して読み始めた。

予想していたのは、森岡正博みたいなかんじなのではないかということだ。
まぁ、この手の話が分かる人に分かればよい。

と書いてみたのだが、いま上記に記したような「当てこすり」の技芸が物凄いのだ(笑)。
ちょっとまねは出来ないので正確ではないが(なので森岡正博には似ていない)。

文章そのものは読みやすい部類で、その内容も文学こそが重要ってことなので
文学部出身の小生としてはいささかも反論するところはない。と言いたいところだが・・・

しかし、何か違和感が残る。
現在読んだのは138ページまでである。

まず、「暴力」よりも「文学が先である」、という物言いが、「暴力的」だということ。
一見、温和な平和主義者のように見えて、その実、誰よりも暴力的であるようにわたしには見える。
その意味で、彼は正当な「日本的左翼」であるのかもしれない(彼一流の皮肉において)。

もちろんこれは結論ではない。
彼が正しいのかもしれない。
しかし、今現在のわたしの考えを書き留めておこう。

その前者がどのようなものであれ、それは後者との関係において
「先である」という思考そのものに「暴力」があるのではないか。
それは「抑圧」であり、「暴力そのもの」なのではないか。

ついては、物理的な強制力云々ではなく、時局を動かすその「力」こそが事後的に
「暴力」でありまた「権力」と呼ばれることになるのではないか。

ここには”あえて”「抑圧される側」に身を置くことによって
自らを上位におく思考があるのではないか。
それはまさにニーチェが忌避した「畜群的」なものなのではなかったか。

正直に告白すれば、わたしはヨーロッパ哲学の一種の言葉遊びのような
概念操作がどうしても好きになれない。
語源がどうであるとか、なんとかかんとか。
ハイデガーのアレーテイアーの話とか、まさに。

酔いがまわってきたので今日はこの辺で。
続きはまた。

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