人生、消去法
世捨て人のつぶやき




アベフトシが死んだ・・・
「ミッシェル」のギタリスト死去(gooニュース)

おいおい、どうなってんんだよ。
いい加減にしてくれよ。もう。

ま、おれはブランキー派だったけどさ、ミッシェルもまぁ好きだったんだよ、悪いかよ。

はぁ・・・、ますます生きる気なくなるよなぁ。死にたい。

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いよいよ衆議院が解散になり、総選挙が行われることになった。
が、職場でそのことを話題にしている人はひとりもいず、みな、目の前の仕事と、そして、漠然とした生活への不安で、押しつぶされそうになっているように見えた。

選挙自体は、おそらく地滑り的な民主党の大勝に終わるだろう。
よくなるという保証はないが、もうとにかく民主党にやらせてみる他ない、といった気分が蔓延しているように感じるからだ。

わたしは政治には疎いほうなので、ま、一種の放言だが、民主党も政策自体はバラマキに近いことを言っているし、政権交代したところでじつは何も変わりませんでした、はい、おしまい、ってな感じになる可能性がいちばん高いのではないか。

いわゆる左派政党に関しては、次のブログの指摘が鋭くかつ面白いと思った。
[雑記][政治]総選挙氷河期世代を救うのか(他山の石書評雑記)

どの政党も、若者、あるいは氷河期世代の救済を訴えようとはしない。これは自民から共産まで皆そうである。恐らく、氷河期世代よりも高年齢層の方が人口も多く、投票所に行く人も多いので、自然と高年齢層が優遇され、その結果高年齢層向けの政策をどの党も訴えるということになる。

ま、そうなんだろうな。
で、こんな本の紹介記事がはてな界隈で話題になっている。
4000万円も損している日本の若者たち
20代:約1500万人に対し、約500万人。
 70代:約1200万人に対し、約900万人。

 20~35歳未満:約2500万人に対し、約1000万人。
 70歳以上:約2000万人に対し、約1300万人。

 これらの数字はその年代の人口と2007年に実際に投票に行った人の数の対比である。20代と70代を比べても、35歳未満と70歳以上の数字を比べても、若者の方が人口は多い。ところが、実際に選挙に行っている人はお年寄りの方がはるかに多いのだ。

 とにかく若者は選挙権を放棄しているとしか言いようがないデータである。20代では3分の2が権利を放棄し、35才未満では実に1500万人が選挙に行かなかった。「これでは政治家が若者のために政治をしようなどという気になるわけがありません」(森川教授)

前者のブログが政党側の問題を指摘しているのに対して、後者の記事では若者の投票行動の問題が指摘されている。
どちらにせよ、今後の政治の風景を変えるためには、政治家も有権者の側も、高齢者から若者への世代交代が行われなくてはならないということだろう。

わたしももはや若者とは呼べないような歳になってしまったが、就職氷河期世代という意味では、まだ若いほうの世代である。
そして、既得権益もなく、(わたしの場合は自分の性格的な問題のせいというのが多分にあるのだが・・・)社会的に孤立気味にしか生きることのできない人間にとっては、少しでも世の中が生きやすい方へ変わって欲しいという、一縷の望みを託す選挙になるのだろう。

投票には必ず行くつもりだ。
そしておそらく民主党に入れるだろう。
民主党政権になることを望むというよりは、民主党政権になることで日本の政治が流動化して、その後のより大きな変動につながることを期待して、と言ったほうが正確だろう。

麻生自民が形勢逆転を狙うとすれば、「自民党をぶっ壊す!」と言った小泉に倣って、「ダメな日本を自民党ごとぶっ壊す!」くらいのスローガンを掲げるしかないのではなかろうか(ていうか、それでも無理か)。

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脆弱な魂の殻
それを包み込むぼんやりとした「こころ」
わたしはひとり
生まれてからも、現在も、そしてこれからも

わたしが触れるものはみな命を失う
生きたバラも、あなたのその存在も

むしり取ってしまいたい、この自分の魂の殻
それはもう死ぬしかないということなのかもしれない
そして、たぶん、わたしは死ねない
一度も生きることができなかったから

生物学的に死んでも、<わたし>は死ねない
<わたし>は死の状態で、今まさに生きてしまっている
それはもう取り返しがつかない
わたしにはどうすることもできない
そしてもう謝るしかない
それ以外にどうしろというのだ・・・

世界が終わるときが来るとすれば
いや、そんなことは希望に過ぎない
わたしにできることと言えば
謝りつつ、祈ることだけだ

この私の生のすべてが幻であって欲しいと・・・

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今日は朝の4時頃にいったん目が覚めて、そのあとで二度寝したのだが
そこで久々に奇妙な夢を見た。

中学時代の初恋(天地がひっくり返るような強烈なやつ ※1)の女の子と
ダイニングらしき部屋でテーブルを挟んでむきあって座っている。

歳はいまの私と同じように年をとっているようだ。
顔の表情とかははっきりとは見えない。
ただ、「あの子だ」と分かるというだけだ。

静かに向き合っていて、それとなく退屈な感じと落ち着いた感じが同居した、
不思議な空気に包まれている。

二人は同居しているようだが、結婚はしていない。
なんというか、「相棒」のような感じとでもいおうか。

特に会話はなく、見つめ合っているわけでもなく
なんか昼下がりか、3時のお茶してるみたいだ。

当然、中学生の頃のときめきのようなものはなく、
どちらかというと、それなりに生活に追われていると言うか
疲れというのではない、ある種の生活感みたいなものが漂っている。

それで、どちらからだったか分からないが
これからの生活についてみたいなことを少し相談しているようだった。

かつての彼女はとても活発で人懐っこく、はつらつとした女の子だったが
大人になって、相応の落ち着きのようなものを身につけて
とてもリラックスした様子に見える。

目が覚めてから、不思議に思ったのは、夢に彼女が出て来ることは今までにもほとんどなく
ひじょうに珍しい出来事だということだった。
出て来て欲しくても出て来てはくれない、そんな存在だったのだ。

目覚めが悪かったせいもあって(結局二度寝の目覚めは12時前だった)
ぼんやりそのことを忘れないように夢の記憶を反復していた。

そして、ふとなぜこんな夢を見たのだろうと考えて
万葉時代とか平安時代の和歌に歌われたように
ひょっとすると、彼女が私のことを思い出してくれたのではないかと思った。
(むかしの人は、夢に愛しい人が出てこないと、その人が自分のことを思っていないからだと考えた。だからその逆)
だって、そう考えると、私が彼女の夢をほとんど見ないということと整合性がつくからだ。

ま、むなしい想像だが・・・

なにはともあれ、この歳になってもいまだにこんなむかしのことに影響されるというのは
なんだかこっぱずかしいようでもあり、不思議な安堵感もある。
これまでの人生は、私の人生であり、これからもやはり私の人生であり続けるのだ。
それはおそらく誰にも邪魔できないことなのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※1:好きな女の子は小学生の3年くらいから意識した子が何人かいたのだが、この中学のときのは、もうなんというか次元が違うと言うか、それまでのいいなと思う女の子への感情とはまったく違うもので、結局、「ああ、好きだったんだな」というのを自分で納得するまでにだいぶ時間が掛かった。本当に腑に落ちたのは高3くらいだったかな。
つきあいたいとかもうそういうのじゃなく、なんか崇め奉ってたって感じだった。
で、おそらくほんとの意味での初恋はこのときだったのだろうと自分では考えている。

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