うつになって早11年である。
それは正式な診断からであって、その前からうつ的な傾向は強くあったから、実質的には20年くらいになるだろうか。
仕事上のストレス(人間関係)で、まず自律神経がおかしくなり、発汗異常が起きた。
暑くもないのに、足の裏と臀部の発汗が止まらず、心療内科を受診したところストレスが原因ですと言われた。
その時点ではうつ病ではないという診断だった。
安定剤(今となってはどんな薬だったか思い出せないが)を処方されたが、効き目はなかった。
それから数年たち、ブラック企業だった会社をやめ、転職した(辞めたその会社は1年半後に倒産した)。
それに伴い、自律神経の失調も消失し、一安心できた。
しかし、最初はなんとかホワイト企業に逃れられたと思っていたが、ものの2年ほどで業績が悪化し、ブラック化が進んだ。
合わせて、上司がソリの合わない人になり、一気にうつ発症と相成った。
苦手な仕事を無理やりやらされ、にっちもさっちも行かなくなって、自宅で倒れた。
それから数日無断欠勤をして、結局、休職ということになった。
先程書いた心療内科は当てにならなかったので、別の脳神経外科という病院に行ったところ、医師は私の顔を見るなり「休職されてはどうですか?」と言った。
それだけやつれていたのだろう。
その医師に診断書を書いてもらい、休職することになった。
しかし、一旦不調に陥った心身はもとには戻らないままだった。
1年半休職し、それでも治らなかったので、休職期間満了で退職ということになった。
今から思えば、その会社は新卒採用の人には優しい会社だったが、転職組には冷たい会社だった。
私以外にも、心身に不調をきたし、辞めていく人がいた。
退職はしたが、幸いなことに脳神経外科の医師が気を利かせてくれ、自己都合退職であるものの、うつ病の診断書ありということで、すぐに失業給付を受けられることになった。
これはブラック企業勤めで蓄えの少なかった私には大いに助かった。
それから半年の間、通院しながら、日中はウォーキングしたりして、できるだけ早く調子を取り戻そうと努力したのだが、結局はうまく行かなかった。
失業給付も切れ、もう限界だとなり、帰郷を決意した。
年老いた父は一応快く受け入れてくれたものの、その後が大変だった。
というのも、私が帰ってくるなり、周囲に「仕事があったら紹介してくれ」と触れて回ったからだ。
仕事ができない体調だから休むために帰郷したにもかかわらず、すぐに仕事を始めなければというプレッシャーに晒されることになった。
これは正直、きつかった。
周囲の人たちは、当然、健康で帰ってきていると思っているから、いやがうえにも働かなければという気持ちが高まった。
帰郷してからは、地元の精神科専門の大病院にかかっていたが、病状は良くはならなかった。
良くはならなかったが、父からの就職せよとの圧力に負ける形で、一念発起して仕事につくための活動を開始した。
具体的には、ハローワークである。
そして地元の会社の経理部員の募集に応募してみることにした。
私の父は、つてを頼ってその会社の人間に連絡を取り、採用してくれるように裏工作をした(要するに賄賂である)。
そのおかげもあって、採用された。
採用はされたのだが、経理の仕事は私には向かなかった。
全く歯がたたないのだ。
元来数字に弱いということもあるが、上司は「君は頭がいいからすぐ覚えられる」と軽く言っていたが、実務は門外漢の私には動かない頭をフル回転させてもどうにかできるレベルを超えていた。
結局、2ヶ月半でうつの症状が悪化し、診断書を書いてもらい退職する形に終わった。
退職した段階で、父が「こいつはもう仕事は無理なんだな」と理解してくれればよかったのだが、残念ながらそうは行かなかった。
私はそれを感知すると、次の職探しに出た。
今度は、市役所の臨時職員である。
応募者が少なかったのか、無事採用され、仕事を始めた。
仕事は単純な資料整理のような仕事と留守番みたいなものだった。
しかし、楽な仕事だったにもかかわらず、これも長続きはしなかった。
「こんなことしかできない自分」に嫌気が差し、またもやうつの症状が悪化して3ヶ月で退職ということになった。
情けない・・・。
この段階でようやく父も私の病状を理解してくれ、仕事の紹介を求めることをやめてくれた。
それからは、なんとか体調を戻すために、ウォーキングしたり、ヴィパッサナー瞑想を試してみたりなどして過ごした。
しかし、体調は良くなるどころか、年々悪化しているように思われる。
仕事はできないなりに、できることをしようと、食事の用意をしたり、掃除をしたりしていたが、それにも徐々に支障が出るようになった。
現在は、食事の用意はかろうじて続けているものの、掃除の大半は父に頼る日常である。
病院の方も、当初はうつ病ということで、メジャーなSSRIなどを処方されたが効き目がなく、徐々にうつではなく躁鬱ではないかと疑われるようになり、躁鬱の薬を処方されるようになった。
ちょうど1年前からラモトリギンという薬を処方され、それで様子を見る日々が続いている。
医師は、正直なところ私の扱いに困っているような感じで、私自身も心許ないなと感じている。
しかし、今更医師を変更してくれということもできず、現在に至る。
今年に入ってからは、ついにというか、老眼の症候が出始め、自らの年齢を意識せざるを得ない状況になっている。
父も84歳になった。
私も近々、47歳になる。
親子二人の生活は、会話も少なく(父は客が来るとよく喋る)、ギクシャクとしたものだ。
私もこのまま老年を迎えるのだろうか。
不安だけが募る毎日。