世界変動展望

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研究不正の動機について

2012-04-28 23:19:05 | 社会

以前に研究不正が起きる根本原因について執筆した[1]。この記事はある程度注目され、わずかでも啓発効果が出たと思う。研究不正が起きるのは究極的には業績を上げたいという研究者の欲望に基づくといってよく、2000年以降研究機関の法人化の影響で競争がより激しくなったため不正が多くなったことも述べた。

研究不正には大きく分けて個人が単独でやるケースとトップが主導し組織ぐるみで行うケースがあると思う。単独のケースは研究者個人の業績をあげることを目的に行われるもので、上原亜希子の事例はそれに該当する。組織ぐるみの不正は主に医学系の研究など研究室主宰者の権限が強い分野で起こっているケースが多いと思う。具体的には加藤茂明グループの事件やおそらく獨協医大の服部元教授のグループの事件もそうであろう[2]。動機は教授などの業績を上げるためか組織の業績を上げるためだろう。

いずれにせよ究極的には研究者個人か組織の業績を上げたいという欲望のために不正が起きていると思う。また現実の不正を見ると上原亜希子のように同じ人が繰り返し同様の不正を行っていることが少なくなく、研究者の人格的な問題も根本にあると思う。つまり、業績を上げたいという欲望に負けて不正をするのは研究者個人の人格に原因があり、人格に問題があるから何回も不正をするのだと思う。

読者の中には「不正をすれば研究者生命が絶たれるのに、そんなリスクをおかしてまで不正をする理由はあるの?」と疑問に思う人もいるかもしれない。しかし、実際の捏造や改ざんの手口を見ると動機は常識的に推測できることが結構あり、「業績をよくしたい」という著者の意思がよく伝わってくる。真実は業績を上げるために意図的に行われた捏造等なので、そういう意思が伝わっても何ら不思議はない。無論、被疑者は保身のために「うっかりミスだった。」「説明不足だった。」という趣旨の弁明をするに決まっているが、捏造等の客観面からは利害関係を持たない者が常識的に判断すれば業績を上げるための意図的な捏造等と誰でも判断できるものが多い。なぜなら、例えば野球を一生懸命練習する人を見れば誰でもその人が野球がうまくなりたいと思っていると考えるのと同じくらい、捏造等の客観面から著者の意思が常識的によくわかるからだ。だから、調査側が過失だったという被疑者の嘘の主張を見破れないのは常識的思考力がなくおかしいと思う。おそらくそのケースは保身などの理由のためにわざと過失で処理しているだけだろう。

論より証拠、現実の不適切研究の手口を紹介するとよくわかるだろう。現在、具体的な手口を紹介することを検討している。現実にどのような手口で不正が行われ、研究者がどういう意思で不適切な研究発表を行ったか伝えることは不適切な研究が行われる根本原因の認識に役立ち、改善策の立案や不正を防ぐのに役立つと考えられるからだ。また不適切な研究発表などに読者や国民が害される危険を防止できる。

現在の研究界で具体的にどのような手口で不適切な研究発表が行われ、研究機関がどのような手口で不適切な業績評価を行い不当な評価を得ているか、それらをきちんと世間に伝えたい。そしてそのことについて国民全体で考えてほしく、改善を促す世論形成をしてほしいと思う。また記事の執筆を通して私が考える改善策や防止策を伝えたいと思う。

参考
[1]世界変動展望 著者:"研究不正が起きる根本原因について" 世界変動展望 2012.4.16
[2]獨協医大の捏造事件は表向きは服部元教授の単独責任ということで決着しているが、46件も捏造があり、不正論文の筆頭著者が6名もいて誰も不正の責任をとらなかったことを考えると不自然であり、服部が首謀者で組織ぐるみで捏造を行った事件だと思う。そもそも同大の調査は二重投稿を不正として処断しなかったり、不正があったのに科研費を返還しないと主張するなど不公正極まりないもので全く信用できない[3]。
[3]世界変動展望 著者:"研究機関の不当調査裁定と人事・査定への助言- 獨協医大の不当調査裁定を例として" 世界変動展望 2012.2.5



1 コメント

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Unknown (通りすがりの研究者)
2014-04-21 23:20:50
わたしも今回の事件をきっかけに、不正の動機について一生懸命考えてみましたが、どうにも理解できず、結局は人格の問題かな、と考えました。業績をあげたい欲求はすごく理解できるんですが、それは何のために?と考えると、いつかPIになって、自分の好きな研究をやりたい、ためだと思うんです。もしくは、すでにPIで、自分の好きな研究を続けたいために、業績を出し続けなくてはならない、というのもあるかもしれません。汚れた業績の上に、自分の好きな物を積み重ねられるかな?と想像すると、自分は無理だと思いました。楽しいものではなくなっているから。あまちゃんな考えなのかもしれませんが、大多数の人はこれに近いのではないか、と感じています。
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