昭和後期から平成にかけて活躍した史上最重量力士・小錦八十吉(最高位・大関、現役時身長・184cm、現役時体重・285kg)は外国人初の大関昇進者だったが、横綱になれて当然の成績を残しながらも、日本相撲協会理事会や横綱審議委員会の人種差別のために横綱になれなかった悲運の力士だと思う。理事会や横審の不当差別によって、小錦は外国人初の横綱昇進の栄誉を逃してしまった。
小錦は横綱になれて当然の成績だった。小錦は過去に2度横綱に昇進してもおかしくない成績を収めたにも関わらず横綱昇進が見送られた。
(1)1991年(平成3年)5月場所と7月場所を14勝(優勝同点)、12勝(次点)で横綱昇進できなかった。
(2)1991年(平成3年)11月場所から1992年(平成4年)3月場所までの3場所で13勝(優勝)-12勝-13勝(優勝)という極めて安定し、かつ優秀な成績であったにも関わらず、横綱昇進できなかった。
(1)の横綱昇進見送りはともかく、(2)の横綱昇進見送りはおかしい。昭和時代の横綱昇進基準なら横綱昇進がかなり有望視される成績だし、確実に横綱昇進できる成績といっても過言ではない。
1961年11月場所以降で昭和時代に横綱になった力士は16人いるが、2場所連続優勝による横綱昇進は大鵬、北の富士、琴櫻の3人にすぎない。また、小錦と同等又は劣る成績で横綱昇進を果したと思われる横綱もたくさんいる。一部をあげると
柏戸 10勝-11勝-12勝(優勝同点)
栃ノ海 11勝-14勝(優勝)-13勝
玉の海 13勝(優勝同点)-10勝-13勝(優勝同点)
北の湖 10勝-13勝(優勝)-13勝(優勝同点)
若乃花(2代) 13勝(次点)-13勝(優勝同点)-14(優勝同点)
三重ノ海 10勝-13勝(次点)-14勝(優勝同点)
双羽黒 10勝-12勝(次点)-14勝(優勝同点)
柏戸、玉の海は明らかに小錦より劣る成績であるにも関わらず横綱昇進を果した。栃ノ海も優勝1回で、後は次点も優勝同点もないことを考えると小錦の成績より劣る感がする。北の湖、三重の海、双羽黒の成績は次点-優勝同点、優勝-優勝同点と連続しているが、小錦の成績は優勝が連続していないというだけで、3場所でみれば2回も優勝しており、横綱昇進を果した彼らより優りこそすれ劣りはしない。若乃花(2代) も次点や優勝同点を3場所続けているが、一度も優勝していない。この点で、2場所優勝している小錦の成績が劣るとは思えない。
残りの佐田の山、輪島、千代の富士、隆の里、北勝海、大乃国の横綱昇進直前3場所の成績も優勝は1回のみで、小錦のように2場所の優勝はない点で、小錦の成績は彼らに劣るものではない。
このように1961年11月場所以降に誕生した横綱16人中13人まで、つまり2場所連続優勝を果した横綱以外全員が小錦と同等又は劣る成績での横綱昇進であったにも関わらず、小錦が横綱に昇進できなかったのは明らかに不平等であり、小錦の横綱昇進に小錦にとって不利益なバイアスがかかっていると判断せざるをえない。
小錦は13勝(優勝)-12勝-13勝(優勝)と大関で3場所中2場所も優勝している。間の12勝というのも横綱昇進が白紙に戻る成績ではない。それは上記の小錦と同等又は劣る成績で横綱昇進した力士との均衡や近年の魁皇や栃東が13勝(優勝)-12勝(次点)の成績で翌場所の綱とりが白紙にならなかったこととの均衡を考えれば当然である。
優勝が連続していないという理由だけで横綱昇進が見送られるのは、上述の2場所連続優勝以外で横綱昇進を果した13人の横綱との均衡を考えると不公平であり、妥当でない。
小錦が横綱昇進相当の成績を収めたにも関わらず、横綱になれなかったのはおそらく次の2つが原因である。
(3)第60代横綱・双羽黒の廃業事件
第60代横綱・双羽黒が一度も優勝せず横綱に昇進したにも関わらず、横綱昇進後も1度も優勝せず廃業によって、わずか1年2ヶ月たらずで相撲界を去ったことが大きく影響し、その後の横綱昇進基準が厳しくなった。
(4)外国人力士の横綱昇進に対する抵抗感、言い換えれば人種差別
端的にいって、(2)の小錦横綱昇進見送り時に小錦の付き人(おそらく小錦と同じハワイ出身者)が述べた「小錦が横綱になれないのは人種差別のせいだ。」という発言は正鵠を射ており、日本相撲協会理事会や横綱審議委員会は表向きは日本人も外国人も平等に扱うという姿勢をとっているものの、内心は外国人を横綱にすることに抵抗感があり、できる限り外国人力士に横綱になってほしくないのである。
そのため、小錦、曙、武蔵丸といった横綱になりそうな外国人力士が台頭し始めた時、必然的に横綱昇進基準が厳しくなったのである。外国人力士の昇進基準を厳しくしておきながら、日本人力士だけ以前の緩い昇進基準だと不平等が目立つので、日本人力士にも同じ厳格な基準を適用することで均衡を保っているものの、相撲協会理事会や横審の内心としては昇進において、日本人力士を甘く、外国人力士を厳しく審議したいに違いない。
おそらく日本人力士の横綱昇進の可能性が出てくると、平成時代の厳しい横綱昇進基準が多少緩くなる可能性が多いにある。白鵬が14勝(優勝)-13勝(次点)の成績で横綱昇進が見送られたにも関わらず、日本人力士がその成績を収めた場合横綱昇進することが十分考えられるだろう。
小錦は残念ながら横綱になれなかったが、大関陥落後も立派に土俵人生を歩んだと思う。それは成績の立派さではなく、力が衰えても自分の限界に挑戦し、ベストな相撲をとり続けようとした小錦の相撲に対する真摯な姿勢が大相撲ファンの好感を得たからである。
小錦は横綱になれて当然の成績だった。小錦は過去に2度横綱に昇進してもおかしくない成績を収めたにも関わらず横綱昇進が見送られた。
(1)1991年(平成3年)5月場所と7月場所を14勝(優勝同点)、12勝(次点)で横綱昇進できなかった。
(2)1991年(平成3年)11月場所から1992年(平成4年)3月場所までの3場所で13勝(優勝)-12勝-13勝(優勝)という極めて安定し、かつ優秀な成績であったにも関わらず、横綱昇進できなかった。
(1)の横綱昇進見送りはともかく、(2)の横綱昇進見送りはおかしい。昭和時代の横綱昇進基準なら横綱昇進がかなり有望視される成績だし、確実に横綱昇進できる成績といっても過言ではない。
1961年11月場所以降で昭和時代に横綱になった力士は16人いるが、2場所連続優勝による横綱昇進は大鵬、北の富士、琴櫻の3人にすぎない。また、小錦と同等又は劣る成績で横綱昇進を果したと思われる横綱もたくさんいる。一部をあげると
柏戸 10勝-11勝-12勝(優勝同点)
栃ノ海 11勝-14勝(優勝)-13勝
玉の海 13勝(優勝同点)-10勝-13勝(優勝同点)
北の湖 10勝-13勝(優勝)-13勝(優勝同点)
若乃花(2代) 13勝(次点)-13勝(優勝同点)-14(優勝同点)
三重ノ海 10勝-13勝(次点)-14勝(優勝同点)
双羽黒 10勝-12勝(次点)-14勝(優勝同点)
柏戸、玉の海は明らかに小錦より劣る成績であるにも関わらず横綱昇進を果した。栃ノ海も優勝1回で、後は次点も優勝同点もないことを考えると小錦の成績より劣る感がする。北の湖、三重の海、双羽黒の成績は次点-優勝同点、優勝-優勝同点と連続しているが、小錦の成績は優勝が連続していないというだけで、3場所でみれば2回も優勝しており、横綱昇進を果した彼らより優りこそすれ劣りはしない。若乃花(2代) も次点や優勝同点を3場所続けているが、一度も優勝していない。この点で、2場所優勝している小錦の成績が劣るとは思えない。
残りの佐田の山、輪島、千代の富士、隆の里、北勝海、大乃国の横綱昇進直前3場所の成績も優勝は1回のみで、小錦のように2場所の優勝はない点で、小錦の成績は彼らに劣るものではない。
このように1961年11月場所以降に誕生した横綱16人中13人まで、つまり2場所連続優勝を果した横綱以外全員が小錦と同等又は劣る成績での横綱昇進であったにも関わらず、小錦が横綱に昇進できなかったのは明らかに不平等であり、小錦の横綱昇進に小錦にとって不利益なバイアスがかかっていると判断せざるをえない。
小錦は13勝(優勝)-12勝-13勝(優勝)と大関で3場所中2場所も優勝している。間の12勝というのも横綱昇進が白紙に戻る成績ではない。それは上記の小錦と同等又は劣る成績で横綱昇進した力士との均衡や近年の魁皇や栃東が13勝(優勝)-12勝(次点)の成績で翌場所の綱とりが白紙にならなかったこととの均衡を考えれば当然である。
優勝が連続していないという理由だけで横綱昇進が見送られるのは、上述の2場所連続優勝以外で横綱昇進を果した13人の横綱との均衡を考えると不公平であり、妥当でない。
小錦が横綱昇進相当の成績を収めたにも関わらず、横綱になれなかったのはおそらく次の2つが原因である。
(3)第60代横綱・双羽黒の廃業事件
第60代横綱・双羽黒が一度も優勝せず横綱に昇進したにも関わらず、横綱昇進後も1度も優勝せず廃業によって、わずか1年2ヶ月たらずで相撲界を去ったことが大きく影響し、その後の横綱昇進基準が厳しくなった。
(4)外国人力士の横綱昇進に対する抵抗感、言い換えれば人種差別
端的にいって、(2)の小錦横綱昇進見送り時に小錦の付き人(おそらく小錦と同じハワイ出身者)が述べた「小錦が横綱になれないのは人種差別のせいだ。」という発言は正鵠を射ており、日本相撲協会理事会や横綱審議委員会は表向きは日本人も外国人も平等に扱うという姿勢をとっているものの、内心は外国人を横綱にすることに抵抗感があり、できる限り外国人力士に横綱になってほしくないのである。
そのため、小錦、曙、武蔵丸といった横綱になりそうな外国人力士が台頭し始めた時、必然的に横綱昇進基準が厳しくなったのである。外国人力士の昇進基準を厳しくしておきながら、日本人力士だけ以前の緩い昇進基準だと不平等が目立つので、日本人力士にも同じ厳格な基準を適用することで均衡を保っているものの、相撲協会理事会や横審の内心としては昇進において、日本人力士を甘く、外国人力士を厳しく審議したいに違いない。
おそらく日本人力士の横綱昇進の可能性が出てくると、平成時代の厳しい横綱昇進基準が多少緩くなる可能性が多いにある。白鵬が14勝(優勝)-13勝(次点)の成績で横綱昇進が見送られたにも関わらず、日本人力士がその成績を収めた場合横綱昇進することが十分考えられるだろう。
小錦は残念ながら横綱になれなかったが、大関陥落後も立派に土俵人生を歩んだと思う。それは成績の立派さではなく、力が衰えても自分の限界に挑戦し、ベストな相撲をとり続けようとした小錦の相撲に対する真摯な姿勢が大相撲ファンの好感を得たからである。
将来的に横綱昇進基準がどうなるのかわかりませんが、強く品格のある横綱がたくさん出てほしいと思います。
勝数から考えると、順位とは関係なく1992年3月場所の優勝で横綱昇進でよかったと思います。
これで人種差別とは片腹痛い。
ただ旭富士は昭和63年1月場所を14勝で優勝、続く3月場所と5月場所を各12勝、平成元年の1月場所から5月場所までの3場所を14勝(優勝同点)・13勝(次点)・13勝(同点)なので、直前3場所で優勝が2回ないという点では小錦より低い成績ではないでしょうか。
貴乃花の場合は平成6年1月場所から9月場所で14勝(優勝)、11勝、14勝(優勝)・11勝、15勝(優勝)なので、小錦よりいい成績に思えます。このケースは小錦の昇進見送りのケース(平成4年)の後だったことや既に曙という外国人横綱が2場所連続優勝で誕生していたこともあって、外国人に厳しくしたのに日本人に甘くできないということで昇進見送りになった側面もあったと思います。小錦の昇進見送りに人種差別の側面があったから、それを隠すために昇進を厳しくしたのではないでしょうか。憶測ですけども。
共同通信が稀勢の里について『内山斉委員長は名古屋場所(7月7日初日・愛知県体育館)が綱とりとなるとの認識を示した上で「最高なのは全勝優勝だが、優勝できなくても14勝くらいすれば」と高いレベルの目安を示した。』(2013.5.27)と報じてますが、さすがにこれで昇進させたら外国人差別だと思います。
いくら興行上の理由で日本人横綱が必要だからといって、他の外国人横綱たちと比べて甘い基準で昇進させたら納得できないし、本人のためにもなりません。横綱の実力がないのに昇進してもみじめです。
思えば稀勢の里は大関昇進も他より甘かったですね。通常は3役で3場所33勝以上が基準ですが、それに満たない成績で昇進しました。横綱白鵬をよく倒したということも理由にあったのでしょうが、日本人大関を誕生させて興行上で有利になりなかったのでしょう。
私は公正にやってほしいと思います。
しっかり調べましょうね。
ヒント:双羽黒 旭富士 貴乃花
2場所連続で、優勝か優勝同点か次点
であり、次点に満たなかった例は無いようです。
3場所で2回優勝した力士が横綱になれなかったり
必ずしも横綱が大関より強いとは限らないということですね