尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「アイヌモシリ」、少年の心の揺らぎを描く

2020年11月14日 22時31分40秒 | 映画 (新作日本映画)
 ニューヨークを拠点に活動し「リベリアの白い血」(2017、未見)という映画を作った福永壮志(たけし、1982~)監督の新作「アイヌモシリ」を見た。渋谷のユーロスペースで10月中旬に公開され、今後各地で上映が予定されている。見るのが遅れてしまったけれど、これは今年の注目すべき収穫だった。若手が直接外国へ行って映画監督になる時代になったんだと感慨深い。今回は日本を舞台にして「マイノリティの少年」という難しいテーマに敢然とチャレンジしている。

 「アイヌモシリ」というのは「アイヌ」(人間)の「モシリ」(大地)という意味で、アイヌ民族だけだった時代の「北海道以前」のことを指している。昔からある言葉で、アイヌ民族の権利向上を目指す運動ではよく使われてきた。この映画は阿寒湖畔アイヌコタンを舞台にして、プロの俳優じゃなくてアイヌの少年カント(下倉幹人)を主人公にしている。脇を固める母や周辺人物もアイヌ民族としてアート活動をしている人が演じている。リリー・フランキーなども出ている純然たる劇映画だけど、マイノリティ自身が演じているのが貴重だと思う。
(福永壮志監督)
 カントは中学3年生で、Ⅰ年前に父を亡くしたらしい。阿寒湖畔でアイヌ民芸品店を営む母と暮らしている。アイヌ民族に関わる行事に駆り出されるのが次第におっくうになっていて、今はバンド活動に励んでいる。学校で三者面談があったが、将来は判らないけど高校は阿寒を出たいと言って母を驚かせる。そんな中でアイヌの伝統を継がせたいと父の友人だったデボおじさん(秋辺デボ)はカントを山に連れて行き「山の神様へのあいさつ」を教えている。そして飼っている子グマ「チビ」を「二人の秘密」で世話しようという。
(図書館で行った三者面談)
 デボさんが熊を飼い始めたのは、ある思いがあったからだ。「イヨマンテ」(ヒグマの魂を神の国に送り返す儀式)を復活させたかったのである。しかしアイヌ内部の寄り合いでは強硬な反対意見も出た。儀式といっても要するに熊を殺してしまうわけで、今では理解されない動物虐待だというのである。しかし、やはり「マリモ祭り」の時に実施することになる。幹人はそんな大人たちの様子を見て、可愛がっていたチビが殺されることに納得できない。どうすればいいんだろう。
(子グマのチビ)
 マイノリティ共同体の文化は尊重されるべきものだが、現代社会にはそぐわないものもある。若い世代には大人たちの文化が抑圧的に働くこともある。現代では観光で生きていくしかない北海道のアイヌ民族だが、その中で「伝統と現代」という重い課題を突きつけている。この映画は主人公カントを演じる下倉幹人が、その眼差しや素振りに圧倒的な存在感があって目が離せない。強烈なインパクトだが、ストーリーはある程度予測通りに進行してゆくのがちょっと残念か。
(少年カント)
 アイヌ民族が出てくる映画としては、劇中に引用される「イヨマンテ」(二風谷の萱野茂氏によって復活した儀式を姫野忠義が撮影した)などドキュメンタリーはいくつかある。しかし、劇映画は50年代に作られた「森と湖のまつり」(内田吐夢監督)や「コタンの口笛」(成瀬巳喜男監督)という有名な原作の映画化を除けば、観光映画的に出てくるものだけだと思う。前者ではアイヌ青年を演じたのは高倉健だった。アイヌ民族が演じて、アイデンティティの悩みを描くのは画期的なことだ。

 すごく大切な映画だと思うが、ここで提出されたテーマをどう考えるべきかはなかなか難しい。少数民族の文化を守るための政策は必要だが、マイノリティに生まれたからには「民族の文化」を守れと強制はできない。地元に残って、観光のための踊りや彫刻で生きてゆくことばかりが人生じゃないだろう。少年カントの眼差しはいま大人に向かう中で、皆にアイデンティティの揺らぎを訴えかけている。
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