こころの羅針盤

私の人生に待ちうける“感情”という名の大海原・・・生き甲斐の心理学を座右に、感情生活と心の世界を語ります。

幸いな老人になるために

2012年04月16日 | 第4章:愛とゆるし
テレビの誕生日占いで、“〇〇日生まれは老後を幸せに送れる”と耳にして、
すぐに知人の二人の顔が思い浮かびました。浮かべながら、なるほどと思いました。
何を幸せというかは人によって違いますが、私からみて〇〇日生まれの二人は、
自分と人を大切に日々生き甲斐を感じ、幸せな老年期を送っています。
占いのことを告げれば“確かに…”と、本人もきっと頷いてくれると思います。

二人とも山あり谷ありの人生を送ってきました。
それぞれ人生の修羅場も経験してきた(本人の口から聞いたことがあります)二人が、
今、老年期を幸せだと言えるとたら、どのように人生を送ってきたのだろう?
老年期を幸せに送ることのできている二人の共通点は何だろう?
誕生日はさておき、二人の心の世界に興味が湧いてきますが、
両者に共通している要素は恨みを持ち越さない感情生活、これが核心にあると思います。

A子さんは物心両面で恵まれた少女時代を過ごしますが、結婚を境に感情生活は一転。
とりわけ中年期の後半には人間関係や経済的な面でも厳しい時期を過ごしました。
しかし老年に入りつつある今、恨みを残す感情生活とは無縁の心の世界をつくりあげています。
一方、A子さんと違ってストレスの多い、悩み多き子供時代を過ごした知人は、
生育史に根を持つ感情的な葛藤も深く大きなものがあったと想像できますが、
この方の場合も老年期を迎えた今、感情的な囚われから見事に解放されています。

恨みを知らないという人は多分いないと思います。
二人の知人とは対照的に、恨みを残して老年期に突入したケースを見るにつけ、
その人が暗い感情とどう向き合ってきたか、とりわけ恨みとどう付き合ってきたか。
長い人生の中で、恨みをどのように処理してきたか。
それによって老年期の感情生活が決まるといっても過言ではないようです。

生まれた日に関係なく、誰でも心がけと努力次第で幸せな老年期を目指すことはできそうです。

新しい、愛の原型

2012年04月12日 | 第9章:愛
つくづく、お付き合いするのが難しい人です。
何がその人の怒りに触れるか分からないので、
いつも恐々として腫れ物に触るように接しなければなりません。
うっかり失言して、刃物のように鋭く反撃されたり、
言動を素直に受け取ってもらえず曲解されることもしばしばです。

そのような人は、そうせざるを得ない成育史上の理由がありますが、
本人にも、その理由はよくわかっていません。
離れて暮らせる関係ならば、距離を保ちつつ、
刺激しないように淡々とお付き合いするのが無難かもしれません。
誠意や真心が通じ難いので、生半可の覚悟ではこちらが深手を負います。

でも、もし身近にそのような人がいて、他に援助できる人は誰もいなくて、
わたしが関わる立場におかれていて、なんとかしたいと思うのならば、
その人には新しい“愛の原型”が必要であることを覚えておいてほしいと思います。

遠く離れて、たまにしか会わない人であっても、その人には、
そうせざるを得ない成育史上の事情があるのだと理解するだけでも
少し余裕をもって、穏やかな眼差しで接することができるかもしれません。
距離を保つ淡い関係の中でも、“その人の新しい愛の原型”を意識すると、
たとえ一瞬にしても、以前にはなかった暖かなものが流れてくるからふしぎです。

怒りや八つ当たり、猜疑心をまともに受けると堪りませんが、そのような人は、
わたしに向けているように見えても、実は世間と自分自身に向けて爆発しているのです。
それを知るだけでも、ずいぶん気持ちが楽になるでしょう。

愛の原型の「再教育を担当する人は余程出来た人物である事が要求されます」…そうです。
まったくその通りだと思いますが、心の仕組みを学び自分自身を訓練しながら、
身近な人の新しい愛の原型に関わってゆくことは可能です。相当の覚悟が必要ですが。。。

(生き甲斐の心理学・第一章“愛の領域”を参考にしています)

自分を伝える訓練

2012年04月11日 | 第4章:愛とゆるし
人の苦労もしらないで批難するなんてヒドイ。
わたしの努力をまったく無視して、あんなこと言うなんて!…など、
わたしのことをちっとも解ってくれないと腹を立てるのだとしたら、
ちょっと考えてみたいのは、相手にわたしの気持ちを伝えてきたかどうか、
正直にわたしの大変な気持ちや苦労を伝えてきただろうか、ということです。

批難されたり無視されて、怒りだけでなく、ふて腐れたり虚無的に反応する場合も同じです。

ストレスを感じているところを格好つけて平気な顔したり、
無理をして不安を隠して楽しんでいるふりをしたことがなかったかどうか。
つまり素直に自己開示してきたかどうか、腹を立てる前に考える必要があります。

伝えているけれど相手に伝わらないのであれば、それは別の問題ですが、
とりあえず、わたしは気持ちを伝えているか、正直に表現してきたかどうか意識してみると、
相手が解らないのも無理はない…ということも案外多いのではないかと思います。

正直に伝えていなかった自分を意識できれば、そこから道が開けます。
自分の問題として意識できれば、相手を責める必要はなくなるし、
もし伝えることが下手な自分と思えば、なぜそうなったか考えるきっかけになります。
これまで考えてもみなかった大事なことに気付くかもしれません。

自分を正直に伝えようとすることは、
愛の訓練へ向けて、一歩踏み出すことなのだと思います。

痛いところを突かれると…

2012年04月10日 | 第3章:無意識の世界
“人は本当のことを言われると怒るよね”と友人が呟くのを聞いて、
なるほど、言われてみればそうかもしれないと思ったことがありました。
友人は自分の体験からそう結論しましたが、私よりずっと、
人を大事にすること、愛することをを実践していたからこそ、
体験的に人間の感情というものを、よく理解していたのだと思います。

今の私なら、その通り深層心理学でもそう言っていますと応じるところですが、
怒りは人を理解する上で、数多の感情の中でも大変重要な感情だと思っています。

こんなことぐらいで、こんなに腹が立つなんて!??
自分の怒りに手を焼く情況は本当にイヤなものです。
あまりの大人気なさに嫌気がさして、自己嫌悪に発展することもありますが、
なぜ怒っているか、自分が腹を立てる深層心理が解れば少し状況は変わってきます。

人は本当のことを言われると怒る。痛いところを突かれると腹が立つ。
自分でなんとなく認めたくない場所を突かれると、心がざわつく。
とくに、自分としては精一杯、試行錯誤で苦労してやっているのに、
それをちっとも汲んでくれないで批判するなんて…と思うとき、怒りは激しくなります。

他人からの批判や自分の失敗、挫折に対する感情的な反応は人それぞれですが、
そこに深い意味があること、感情的な反応には大事な示唆があることが解れば、
激しい怒りや虚無感に落ちてゆくことだけは避けられそうです。

まずは自分の反応を観察してみるところから始めるとよいかもしれません。
他人から批判されたときや失敗したとき、どんな感情が湧いてくるか。
自分のことが解れば過剰反応する人にも、以前にはなかった共感的な理解が生まれるかもしれません。
自分の感情的な反応を大事しようとすることが、人を大事にすることにも繋がるようです。

(生き甲斐の心理学・第一章 “愛の領域”を参考にしています)

満たされたい、切実な願い

2012年04月07日 | 第3章:無意識の世界
その人とメールのやりとりを始めると、最初の印象は、
大変丁寧な返信に、なんて誠実に返してくれる人だろうと感激するかもしれません。
こちらの文章を区切っては、短い応答の言葉が打ち込まれていて、
メールで傾聴してもらった気持ちになると思います。

そんなふうに始まった傾聴し合うメールのやり取りが、
だんだん苦痛になるのは、相手からのメールがどんどん長くなり、
こちらは相手の話を聴くだけというメールが増えてくる頃です。

友人関係のような対等な人間関係では、その人の中の、
<絶え間なく注視と賞賛を希求する自己顕示的態度>の要素は、
はじまりは心地よくても付き合ってゆくうちに、友人の方が、
一方的に悩みの聞き役を強いられている気がしてきたり、
“なんだか自慢話ばかり聞かされている”気持ちになるようです。

自己顕示的な態度の背景に“愛の孤独感”があるというのは、本当だと思いますが、
誰かに注目され賞賛されることで一時的に気持ちがよくなっても、
それは一時的な慰めになるだけで、愛の孤独が癒されるわけではありません。

人生を振り返り、自分が愛の孤独におかれたときを思い出すと、
相手の満たされたい切実な願いはよく解りますが、こちらにも限度があります。
その人に自分の孤独感と本気で向き合う気持ちがあれば、道は開けますが、
それがないときには、友はやるせない思いで、その人から遠ざかるほかないのです。
向き合うことは勇気が要りますが、それをしない限り果てしない堂々巡りは続きます。。。

(生き甲斐の心理学・第一章“愛の領域”を参考にしています)

願望が内向すると…

2012年04月05日 | 第3章:無意識の世界
こうなりたい、こうありたい熱烈な願望は、
押し付けがましさとか、人を巻き込む形で現れなくても、
内向するという形で、その人に居座るケースもあります。
言動や行動に表れないので周囲に気づかれることもなく、
知らないうちに理想と現実の混濁が進んで、
その人が本来進むべき幸福な人生から、
生き甲斐ある人生からどんどん逸れてしまう可能性もあります。

欧米で生まれた心理学に照らして自己分析しながら、
日本人である自分の思考と感情と行動が、生育史以前に
自分の個性に大きく関わっていることに気付くことがありますが、
理想と現実の混濁が内向するケースは、私の傾向であると同時に、
日本人に生まれやすい傾向でもあると思います。

ふり返れば現実離れした空想を修正する機会もないまま
うつうつと充足感がもてずに過ごした時期は、けっこう長かったような気がします。
見当はずれの理想にエネルギーを消耗するほどもったいことはありませんが、
現実離れした理想に生気を奪われて、人生の充足が得られないケースは案外多いと感じます。

そんなとき否定も肯定もされずに心の内をありのままに語れる場があれば、私がそうだったように、
温存してきた現実離れした理想を、これはへんだとはっとすることがあるかもしれません。
人は誰かに語り自分の耳で聴くことによっても、はっと気付くことがあるのです。

自分の理想はエネルギーを向けるにふさわしい理想かどうか?
意識、無意識に関わらず、理想の領域のチェックは案外難しいものです。
ねむの木のロン子

こうありたい、熱烈な願望

2012年04月03日 | 第3章:無意識の世界
自らの内に湧き上がるものを具現化する作業に没頭できる人。
具現化せずにはおられぬ人・・・芸術家とはそのような人かもしれません。
創作のプロセスにおいて、芸術家は自らの作品の創造者です。
創造者として理想の世界に没入して、その姿を周囲も容認しています。

一方、自らの理想の世界に没入して、その姿に周囲が辟易する場合があります。
その人の理想の世界は他者を巻き込まずには成立しないらしく、
ときにハタ迷惑な現象として世間に出現したりします。
知らず知らずその人の理想追求に巻き込まれたりすると、こちらはかなり消耗します。
うっかり関わるとエネルギーを吸い取られる感じです。
芸術家は我が身を削りますが、ハタ迷惑な現象では他者の身を削るようです。

私の場合は、どちらかといえば理想の世界への没頭が希薄で(これが欠点になることもありますが)、
他者のエネルギーを吸い取るだけの迫力を持ち合わせていないような気がします。
うっかり没入しても、没入している人に特徴的な押し付けがましさに欠しく、
多少の押し付けを相手が不快に思い評価を下げることはあっても、
よくもわるくも他者を消耗させるところまではいかないのではないかと自己分析しています。

<あたかも〜のような>と呼ばれる現象の奥にある、
その人の<こうありたい>という熱烈な願望を理解すると、
押しつけがましさに対する私の反応も以前より穏やか、不快も薄れるような気がしますね。
(生き甲斐の心理学“第1章 愛の領域”を参考にしています)
今日は強風小雨、時々陽が射します。

褒められれば嬉しい、でも…

2012年03月31日 | 第3章:無意識の世界
褒めて相手をその気にさせることは、人間関係ではよくあることです。
軽いことから重い事柄まで、その気になって人生がよい方へ展開することもあれば、
その気になったばかりに人生が混乱して、収拾がつかなくなることもあるでしょう。

褒められるのは嬉しい。でも果たして本当にそうなのだろうか。
褒められる内容に、自分は素直に同意できるかどうか。
自分の現実をよく吟味することなしに、褒め言葉にうかうかのってしまうとしたら、
私の中の“自己の重要性、ユニークさに関する誇大感”が刺激されたせいかもしれません。

その気にさせる褒め言葉にうかうか乗ってしまうのは、こころが鈍磨しているときで
防衛機制に問題がありそうです。深い深い抑圧が関係しているかもしれません。
ある時期の私は褒め言葉を吟味するだけの余裕がありませんでした。

褒め言葉に対する反応も人それぞれで生育史の数だけ反応は違ってきます。
自分の中の“自己の重要性、ユニークさに関する誇大感”の要素を考えることで、
以前だったら“鼻に付くわ”とあっさり切り捨てていた相手の態度も、
どうしてそうなのかな?と興味が湧いて、相手を理解する余裕がでてくるかもしれませんね。
                              (生き甲斐の心理学・9頁を参照)
?形の尻尾のマヤ坊

人間は好きか、嫌いか…

2012年03月30日 | 第4章:愛とゆるし
なぜ、こんなあてつけがましいことするんだろう?
もしかすると、相手はあてつけているつもりはないのかもしれません。
でも自分の防衛機制をチェックして、現実吟味に思いをいたして、
それであてつけと感じるのなら、それがわたしにとっての現実なのです。

人のやり方が気に入らないので、あてつけのような態度をとる。
こんな態度に接すると、たちまちストレス曲線に追い込まれて人間がイヤになります。
自分を率直に表したり、人と接することも怖くなります。

人が怖くなり、シュンとして縮こまってしまう。
そんなとき、素直に語れる友人が一人いれば人間嫌いは回避できそうです。
怖くなったりシュンとしてしまった心を否定も肯定もせずに聴いてくれる存在。
感情に寄り添ってくれる友が一人いれば、不機嫌な言葉(あてつける言葉)は放っておいて、
私は私の道をゆけばよいのだと、ふつふつと元気が湧いてきます。

更に、あてつける言動でストレスを発散させているらしい。
どうもそれは変わらない傾向のようなので、振り回されないようにしよう。
心の仕組みを理解していると、イヤな態度に対しても判断がつくようになりますが、
知識と共に、否定も肯定もせずに傾聴してもらう体験、
あなたとわたしの信頼関係において成される受容されているという経験が、
よい聴き手になるために、何よりも大事なことなのだと思います。


「自分は人間嫌いのカウンセラー、自分は人間恐怖症のカウンセラーと自覚した上で、
カウンセリングの勉強をしていくことが重要です。」
生き甲斐の心理学〔2〕人間の本質は不安p8より

感情が、意識できると

2012年03月28日 | 第1章:意識と知覚
否定的な感情があると、それを言葉で伝えなくても、
否定的なニュアンスが言外に、気配で相手に伝わっていくようです。

感情が意識できているときと、まったく無意識的のときがありますが、
意識できないまま感情だけが相手に伝わっていくのと、
意識しながら相手にそれが伝わるのを予想して行動するのでは、
自覚的に生きるという意味で、私は後者を望みます。

意識できることは素晴らしい。
感情が意識できてはじめて、コントロールするという次のステップに進めるのだから。

意識しながら、相手にそれが伝わるのを予想して行動する。
どの程度の感情をよしとして、その感情に基づいて行動するのか。
これが案外、人の器の大きさを決めてゆくのかもしれないと感じます。
コントロールの有り様が個性をつくっているとも思います。

相手への批難や若干の否定感、糾したい要求を意識したときに、
そのまま突っ走るのでなく、しばし留まり自問自答して、
肯定的かつ建設的な意識で関わってゆく態度がとれること。
周りを見回して常々、“すごい”と私が感心するのは、
そのような人々なのだと、あらためて思います。

さて相手の意識・無意識を問わず、否定感を感じ取ったとき、
人に生まれる感情はストレス曲線の感情です。
すごい人もすごくない人も、生まれる感情に大差はありません。
しかしそこからが分かれ道で、不安や緊張感から瞬時に抜け出す人もいれば、
不安感が膨らんで怒りだして、否定的態度に発展してしまう人もいます。

自分の感情に意識的に関われることが、幸福な人生への一歩だと思います。

「学問は大切ですが、もっとも大切な物、それは現在の自分の本音。
倫理・道徳も大切ですが、今の自分の感情・本音を倫理・道徳を越えて、
正直に感じ取ること。」生き甲斐の心理学・7ページ〔2〕人間の本質は不安より