僕は「原作付き映画」に過度の期待はしない方が良いと思っている。
原作は読むヒトの脳内のイメージが個々に存在し、映画は時間内での割愛や妥協を内包し、そこに支持者は不満を抱き、結局口を揃えて「原作の方が良かった」的な意見になるからだ。
さて僕はこの作品を原作を知らずに観た。それに事前情報など無いほうが純粋に映画というものは楽しいと思う。「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」がメディアミックスを視野に入れた作品であるかは今回は考えず観る事が出来た。
映画感想だけど点数的なものは付けない。ただ、僕はこの作品が好きだ。
「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」は「説明セリフ」というものが一切排除されて、一人称で淡々と話が進んでいく。
キルドレと呼ばれる思春期の姿のまま成長しない人間が戦闘機に乗り、人々に平和を維持・意識させる為に戦争に参加する。
彼らは病気で死ぬ事はなく、「撃墜」されない限り永遠を生きるのだ。
彼らは戦闘機に乗り、煙草を吸い、酒を飲み、女を買う。
毎日を・・・・・何て言うか侵された精神で過ごし、戦争を行う。
彼らは同じ毎日を死ぬまで繰り返す、そういう人間なのだ。
撃墜されれば彼らはコピーされて、再生されて、また戦場へ戻ってくる。
死んでも、キルドレである以上、同じ毎日を繰り返すしかない、そんな存在なのだ。
「戦争で死ぬ人間が、大人になる必要があるんでしょうか?」
敵のエース、「ティーチャ」と呼ばれるパイロットは普通の人間で、「大人の男」だ。
主人公・カンナミ・ユーイチは終盤、自分がコピーされた存在だと確信する。そして今のこの時が何度も繰り返されてきた事を知る。「僕は父を殺す」。(というセリフは、ティーチャがキルドレ達の遺伝子に何らかの関与を示すセリフじゃないか?)と仲間の援護を遮って「ティーチャ」に単機で立ち向かう。そう、運命というものが、決まった結末が用意されているのなら、それに立ち向かおうとするのだ。
想像の付く結末ではあるが、これがキルドレの運命なんだ。ユーイチは無残に撃墜されてしまうが、基地にはまた次のコピーが着任する。
「ティーチャ」のスカイリィJ2はキルドレにとって絶対に倒す事の出来ない存在であり、この世界にはそういう「シナリオ」が出来ているのだ。
もう、これは、気が遠くなるほど繰り返されてきた事なのだろう。
そしてこれからもずっと。
キルドレある以上、この無限のループからは逃れられないんだろう。
悲しいと思った。切ないと思った。こんな輪廻を命と呼べるのか。
嫌、呼ぶのだろう。これがキルドレの「業」なのだろう。
「箱庭の中の戦争」で死ぬのは子供。大人は、ただの傍観者であり、そんな現状を作り出した加害者的スタンス。
永遠に続く子供達のダンス。いつか何かが変わるまで。
現実の僕は。「カッコイイオトナ」になれないまま、歳を重ねてきた。
考えさせられる映画だと思う。