ロードスターのリアフェンダ、ってゆうか正式な部品名は知らん。
納車の時から気が付いていたが、擦ってあった。・・・・・で、汚い。
ずっと気になってが、キレイにしてみようと思った。
まあ、7年放っておいて今更だけど。
さて、外す。とりあえずペーパー掛け。
・・・・・こりゃ、ただ単に擦った跡に塗装しただけだ・・・・・。
めげずにキズにパテを擦りこみ、ペーパー掛けを3度繰り返す。
良い感じに凹凸がなくなったので、シリコンオフで拭いてからサーフェイサー吹き。
有ろう事か途中でサーフェイサーが無くなった。
ああ、これ買ったの5年以上前だもんなあ・・・・・とか何とか言いながら買いに行く。
サーフェイサー終了。
ちょっとまたパテ埋め、研磨、サーフェイサー。
乾燥させて1200番のペーパーで軽く表面をならす。
シリコンオフで拭き取り。
タミヤのスプレーで塗装。
有ろう事か乾燥中(屋外)、落っこちてキズが・・・・・。
スプレーは使い切ってしまっている。
泣きながらペーパーで水研ぎ。
「デコってなきゃあいいや」
「大らかにいこう、こうゆうのは自分でやる事に意義があって、何もオリャ、プロじゃねえんだ」
そしてソフト99のクリア吹き。
今度は落とさぬよう、ちゃんと吊るす。
さて、後は乾いたら研ぎ出しして、コンパウンドで仕上げりゃ良い。
きっとクルマも喜ぶじゃろうて。
J・P・ホーガン著
「星を継ぐもの」「ガニメデの優しい巨人」に続く三部作完結編。
前作・エピローグは本作に繋がるエンディングだったので読まないわけにはいかないだろうな。
「星を継ぐもの」ではハント博士が、「ガニメデの優しい巨人」ではダンチェッカー博士が終盤、一気に謎を解明してきた。
今回、謎を解くのはどっちだろう。
本作では、地球人達の地球覇権争いに見せかけた異星人達の太陽系覇権争いに加え、人類の発生に対する更に深い謎が解かれる。それも所々で明かされるので、物語の結末が一体何を目指すのか・・・・・そう思いながらラストで「あっ」と驚くどんでん返し。
もう、見事としか言いようがないなあ。
人類の創生に対するSF的解釈での解明は、読んでいてとても面白い。
そうでありながら現在の世界を風刺しもする。
僕はホーガンに人間という「種」に対する愛情を感じる。
1997年、ドゥカティはキャブレタ最終モデルとして「900SS・FE(ファイナルエディション)」を発表。
1998年、インジェクション+P・テルブランチデザインの「SS900ie」として生まれ変わった。
1999年、ビモータdb4発表。一度廃止されたキャブレタLツインだ。
・・・・・ここで疑問に思った。「SS900ie」がありながらわざわざキャブレタとは・・・・・?
そうでなくてもビモータは、既存のエンジンのインジェクション化に積極的に取り組んできた。YB4しかり、db2SRしかり。
インジェクションをわざわざキャブにするには、電装もまったく違うものにしなければならない。
もしかしてdb3のエンジン一式をそのまま使っている?と、すればdb4のエンジンは
1995年式って事になる(db3には95年式と96年式がある)。でもdb4のメータ類は「SS900」と同一だ。
2000年、「SS900ie」のエンジンで、ビモータは「db4ie」を発表。と同時に「db4」生産終了。
何故こんな事を考えて調べているのかと言うと、僕のdb4のエンジンは今、ピンチだからだ。プラグがかぶってしまうのは、今、調査中だけど、デスモ機構の仕組みから考えると吸気バルブのバルブシール・バルブガイドの磨耗でエンジンオイルが燃焼室に入ってしまう「オイル下がり」が考えられる。走行距離は20000キロだ。
でもプラグの煤がオイルなのか、ガソリンなのか、そこは未確認だし、
マフラエンドに付着した煤も事程左様。
なんてゆうか、最悪で言えばヘッドOHになる。空冷LツインのヘッドOHはショップに預けても、そこから内燃機関屋に送られる事になる。
そんな訳で予算的には20~25万円を覚悟しなければならない。
もしここでコンロッドにガタが有るようなら、更に・・・・・。
と、僕はこんな事を心配している。
「ヘッドOH考えるんだったら、思い切ってエンジンを載せ替えちゃえば?
今ちょうど、900SS・FEが有るよ」・・・・・と、中古エンジンの登場だ。
OHとエンジン載せ替え、金額的には同じだと言う。
確かにこのエンジンなら年式は間違いなく1997年だ。db4のエンジンの年式が不明ならば一番確実なのはキャブ最終のFEのエンジンだろう。
しかしこのエンジンの状態はバラしてみないと解らないと言う。
・・・・・それって「賭け」じゃんか。載せ替えた直後にトラブルが出ない保証は、まったくない。
何だか本当に解らん。
が、ここで以外にも回答を得る事が出来た。
「db4」のエンジンは「SS900ie」をキャブ換装したエンジンを積んでいる。
メーカーからちゃんと説明があったし、電装を見て確信したそうだ。
とっぴんぱらりの、ふう。
そして僕は「珍機」が好きだ。
「今」を凌ごうと考えに考え、実際作って、やっぱり失敗だった、とか頑張ってこんなん出来ました、でも完成した時にはすでに時代遅れでした、とかね。
そういう事で旧日本海軍が開発した「震電」。世界でも珍しい「推進式(プッシャ)」レシプロ機だ。
アメリカのB52による大規模都市空爆に対して、超高空域(高度14000M)から一気に降下してB52を撃墜するという為の局地型。
対空戦闘機だけど、対都市空爆機要撃ってのが、もう日本の首都上空で、って事じゃない。
それだけ切羽詰まってたんだなあ・・・・・と。切ないね。
単純に考えて、プロペラを後ろに持ってくればパワー効率は高いだろう。
だから日本だけでなく各国でプッシャの試作は行われた。
プッシャの最大のメリットは機体をコンパクトに設計出来る点だ。が、それを補って余りあるデメリットも多い。例えば牽引式(プロペラが機体前方にある。トラクタ式と呼ばれる)のようにプロペラでエンジンを冷却出来ないというデメリットも生まれる。エンジンの冷却問題だけに留まらず、メリット・デメリットを相殺して、結局実績のあるトラクタがプロペラ機でのメジャーになった。
更に戦争末期、「超高速域」に対しレシプロエンジンはジェットエンジンに駆逐されていった。
「震電」は何とか完成に漕ぎ付け、何度かの試験飛行を繰り返すうちに、終戦を迎え、
完成機はこの国の国民によって破壊された。残る1機分の部品はアメリカに接収され、
スペアパーツ、設計図、資料全般が焼却処分された。
・・・・・もし震電が実用に耐えるものだったとしても、戦争がひっくり返ったとは僕には思えない。
悲運と言えば悲運と言える。が、「震電」だってただの「人殺しの機械」だ。
でも「桜花」のような悲しい飛行機に比べたら、それでもちゃんと着陸する事が考えられていたなら、何だかそれだけで、やはり人間の命について考えさせられるものがあるな、と思う。
「星を継ぐもの」の続編。
「木星の衛星・ガニメデに氷漬けにされた異星人の宇宙船。調査の結果、2千5百万年前のもので在る事が判明。彼らはガニメアンと名付けられた。そして突然、人類は外宇宙からUFOの接近を確認。ガニメデ軌道上で人類は史上初となる生きた異星人とのファーストコンタクトを迎える・・・・・」
「星を継ぐもの」は実に良く出来た小説だとおもう。し、だから別に続編が必要だとは思わなかった。何年かぶりに「星を継ぐもの」を再読し、やはりそのカタルシスに驚愕・驚嘆した。そして今回は続編も読みたくなってしまった。
月面の、5万年前の人類についての謎の解明にはガニメアンの存在は大きなキー・ポイントだった。そして「星を継ぐもの」ではガニメアンについては多くの謎を残したまま完結した。
「ガニメデの優しい巨人」では人類とガニメアンとの接触を軸に物語りは進んで行き、その終局には、やはり驚愕の事実が待っていた。
とりあえず、異星人は攻撃的ではなかった。それどころか人類の方が遥かに攻撃的な種族である、という設定は、兎角悲観的結末に陥りやすいい「異星人ファーストコンタクトもの」のなかで実に安心して読める。
「ガニメアンの存在によって人類誕生の謎が明かされる」がこの本の「ぶっちゃけ」だ。
・・・・・終盤、人類起源の謎は、その「悲しい生い立ち」も含め明らかになる。
しかし著者は、人類が絶望的なばかりではなく、希望に向かって変化しつつある事に期待して物語の幕引きとする。
何とも読後感の良い物語だと思う。
SFは「小難しい専門用語・理屈」で読み辛いと感じるヒトが多いようだ。
ちょっと待て、と言いたい・・・・・・し、言う。
科学は人間の発見した理論によって形を成す。
電子レンジだって「科学の力」じゃん。そりゃまあ電子レンジの仕組みを完全に理解する事は、難しい。
科学の力によって人間は良くも悪くも前に進んでゆく。
僕は特定の宗教を信仰していないし、かと言って絶対科学信奉者でもない。
まとまってはいないが、いいや。
SF小説の根底にあるのは、一般的な文学と何ら変わること無い、人間的な物語だ。と、僕は思うのだが。
1994年の話。
片側一車線。大渋滞。オートバイで走っていて、かなり疲れる。
僕は車が流れている時は四輪の後ろをノロノロ走り、流が止まれば四輪の左側を徐行して進んでいた。これが僕なりの安全運転だと思っているが、他人(オートバイ)にとってはかったるいんだろうな。
そんな時、僕の遥か後方から大きな音のオートバイがの排気音が追いてきた。
とりあえず、あの音はドゥカティだ。そう思った。
渋滞にはまって暫くしても、「音」と僕の距離は縮まらない。
ドゥカティのライダーも僕と同じ走り方をしているのだ。
やがて信号でドゥカティが隣に並んだ。
「ducati F3」だ。
「ducati F3」は発売当時、新車が120万円もした高額バイクだ。
・・・・・しっかし汚い。オートバイも、ライダーのツナギも。何度か転倒してるんだろう、相当に走りこんでいる証拠だ。
僕 「混んでますねぇ」
彼 「ねぇ」
僕 「相当、走り込んでますね」
彼 「汚いでしょ・・・・・でも本当に楽しいんですよ」
僕は「彼等」が放つ、何かを感じ取った。
彼等は・・・・・人間で言えば、ナイスカップルなのだ。
何て楽しそうな、幸せそうな雰囲気だろう。
ライダーとオートバイに主従関係ではなく友好関係が成立している。
ああ、何だろう、この感情。
そう、僕は初めて他人を羨ましく感じた。ドゥカティという高額商品にでは無い。
ライダーとオートバイの関係に、だ。
僕もこうなりたいと思った。
コーナリングに興味を持ち始めていた僕に、彼とducati F3は、新しい世界への扉を開いてくれた。
僕はこの事があってからducati 400SSを買った。
・・・・・彼等は今、どうしているだろうか。