大好きな叔父が亡くなった。
人間、誰だっていつかは。
そう考え、そう思って。
午前三時に亡くなり
僕が駆け付けた午前十時、
叔父の亡骸にはまだ温もりが残っていた。
僕は、
まったくいい歳をして、
叔父の亡骸の前で突っ伏し、
その底から只事ではない涙を流した。
叔父が生きている間、
僕は叔父に一体何をしてあげられたんだろう。
今まで僕(等に)向けてくれた愛情の、
一体どれほどを返せたんだろうか。
何も出来なかった、
何も出来てなかった気がする。
そう思うと、悔しくて悔しくて、
涙は止む事を許さなかった。
葬儀の日、納棺された亡骸に向かい、
僕は再び滂沱の涙を零した。
進行する葬儀の間、
僕の理性は「送る言葉」ようなものを
探していた。
が、まったく浮かばない。
焼香の順番に気が付かなかった。
ああそうか。
僕は受け入れていないんだ。
僕はまだこの現実を、
受け止めてさえ、いないんだ。
そうだ、「この日の覚悟」などは
本当に上辺だけの、社交辞令のような、
言葉としてのただの
形骸に過ぎなかったのだ。
棺桶に花を手向け、
皆が当たり前のようにそうしているのを
見ながら
僕はまるでこれが違う世界の事のように感じていた。
ああ、叔父さん、ごめんなさい、
僕はこんなのイヤだよ。
「棺桶に花なんか添えたら、なんか、
叔父さんがマジでどっか行っちゃうみたいじゃねえか!
なんで皆んな、そんなことが出来るんだよ」
子供のように手を振り回して
皆を止めたかった。
心が痛い。
人間が永遠の存在ではないことなど
解り切ったことじゃないか。
心が痛い。
解ってる、解ってるよ。
だけど解りたくない!
お骨を拾う時、思った。
今まで何度、誰かのお骨を拾ったこと
だろうか。
今まで何度、葬儀に参列し、焼香をし、
手を合わせて来たことだろうか。
今までに一度でも葬儀に際し涙を流したことがあっただろうか。
本当にごめんなさい。
多分僕は心に欠陥を抱えた人非人なのだ。
今、漸く僕はこの歳にして初めて
本当に心臓を串刺しにする
哀しみ、痛みを叔父から与えられ、
少しだけ理解した。
僕は叔父に対して、
永遠の甥っ子だったのだ。
子供の頃と変わらない、
ただただ、全力で、
純粋な甥っ子だったのだ。
ああ、この気持ちを
誰に解って欲しいとも思わないが、
叔父の死は僕にこの世界での
大切なことを指し示してくれた。
月並みな言葉は要らない。
そうだ、大切な人を亡くした生者は
皆、同じ心境を通過し経過するのか。
皆、こんな哀しみを経過しなければならないのか。
この日、一切の笑みと無縁の僕は、
もう暫く、そうだろうと考えながら、
その一方でそれを許したくない
無限の葛藤に落ちた。
僕はメソメソして、それでも、
それはそんな悪いことじゃないと思った。
ああそれを解き流すのは
ただただ、時間でしかないんだろう。
無償の愛情、と
言葉にすれば陳腐になる。
それを注ぐことが
今後の僕に出来るだろうか。