ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

天皇陛下を利用する暴君・小沢一郎1

2009-12-19 10:55:01 | 小沢
 『週刊文春』と『週刊新潮』は、取材力に定評のある週刊誌である。『文春』と『新潮』は、ともに平成21年12月24日号で、天皇陛下特例会見ゴリ押し事件(と私は呼ぶ)について、トップで報道した。『文春』は「小沢と鳩山は天皇に土下座して謝れ」、『新潮』は「天皇陛下を中国共産党に差し出した小沢天皇の倣岸」と題して、この事件を速報した。
 『文春』は、リードで「天皇と習近平・中国国家副主席の会見は、民主党の小沢幹事長による前代未聞の『ゴリ押し』によって実現したものだった。もはや『政治利用』ではない。"独裁者"が陛下を『私的利用』したのだ」と糾弾。
 『新潮』も同じく、「『ルール無視』『政治利用』と、囂々たる非難が渦巻く中、天皇陛下との"特例会見"が実現した背景には小沢幹事長の『官邸恫喝』があった」「"1ヶ月ルール"を破り、こともあろうに天皇陛下を中国共産党に差し出した民主党の小沢一郎幹事長(67)。もはや自らを"小沢天皇"と錯誤しているとしか思えない傲岸である。総理はおろか陛下をも意のままに操ろうとする暴君に告ぐ。君、国売りたもうことなかれ!」と忠告した。
 両誌の記事を総合し、また全国紙等のメディアから得た情報を加えると、今回の天皇陛下特例会見ゴリ押し事件の概要は、次の通りである。

●天皇陛下ご会見の「1ヶ月ルール」

 中国の習近平国家副主席は、3年後に国家主席になる可能性が高いと見られる政治家である。
 『文春』によると、天皇陛下と習氏のご会見に関する交渉は、10月下旬ごろから始まっていた。外務省関係者は、次のように憤る。「こちらは1ヶ月ルールを中国側に説明し、早急な日程確定を迫った。しかし中国側は、『12月の中央経済工作会議の日程が決まらないとわからない。来年の経済政策の方針を決定する大変重要な会議で、習副主席は必ず出なければならない。決まったらこちらから連絡しますよ』と真剣に受け取らなかった」
 「1ヶ月ルール」とは、天皇陛下と外国要人のご会見は、1ヶ月前までに相手国が文書で申請を出さなければならないとするもの。「30日ルール」ともいわれる。天皇陛下の御年齢と御体調を考慮し、平成7年(1995)3月にルール化された。宮内庁式部官長が外務省儀典長あてに「原則として希望日の1ヶ月前に要請」という公文書を出している。ルールが作られたのは、自民党・社会党・新党さきがけの連立政権の時代。鳩山首相は当時、与党さきがけの代表幹事だった。鳩山氏は当然、このルールについてよく知っているわけである。
 「1ヶ月ルール」ができてから、政府はこれを守ってきた。平成15年(2003)に陛下は前立腺ガンの摘出手術をお受けになったが、それを機に、陛下の御健康を考慮して、厳格に守られてきた。平成16年(2004)2月3日に式部官長が儀典長あてに「1ヶ月ルール」の徹底を求める公文書を送付している。「1ヶ月ルール」は、内閣総理大臣を首班とする歴代政権が承知し、それを守ってきた以上、下級役人が勝手に決めたというものではない。

●1ヶ月を切ってから、中国外相が小沢氏に要請

 『文春』によると、最終的に中国側が「12月14日から3日間」という習氏の日程を伝えてきたのは、11月下旬になってからのことだった。この時点で1ヶ月を切っていた。中国側は、当然のごとく天皇との会見を求めてきた。この時の中国側の態度について、「ハナから『次の最高権力者が行くんだから、1ヶ月ルールなんて何とでもなるだろう』という態度だった」と外務省関係者は、『文春』に語っている。
 この間、11月19日、楊潔篪外相の随行者が、習氏の12月中旬頃の訪日を内報し、わが国の外務省が宮内庁に会見を要請した。内報とは、内密の知らせを言う。平野官房長官は、この時点で、習氏が来日することを認識した。
 『新潮』によると、翌20日小沢幹事長と中国の楊外相が会談した。その席で楊氏が小沢氏に「習副主席を陛下に会わせて欲しい」と持ちかけた。中国の外務大臣が、日本の一政党の幹事長に、こういうことを頼むのは、異常である。頼むなら、わが国の外務大臣に頼むべきだろう。小沢氏は、何年も政治家をやっているから、「1ヶ月ルール」を知っていたはずである。また習氏の来日予定が30日間を切っているからこそ、楊外相が自分に頼んできたことを理解しただろう。
 その後、小沢氏は、会見の実現に向けて裏で動いた形跡がある。小沢氏は、自分の実力を中国側に示したいと考えたのではないか。それは実力の誇示ではなく、中国共産党指導部への忠誠の証でしかないのだが。
 11月23日、中国側が習氏の訪日日程を正式に伝達してきた。26日、外務省のアジア・大洋州局長が宮内庁式部官長に会見を正式に要請した。宮内庁は「1ヶ月ルールで難しい」と内々に返答したが、翌27日、あらためて外務省に会見は「不可能」と伝達した。これを受け、外務省は都内にある中国大使館に「ほぼ不可能だ」と内報した。外務省は30日に鳩山首相、平野官房長官と協議し、その後、中国側に「不可能」と正式に伝達した。
 ところが、『文春』によると、11月26日以後、中国側はありとあらゆるルートを使って、天皇陛下と習副主席のご会見を実現させるべく工作に奔走していた。

 次回に続く。

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4 コメント

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中曽根康弘が (Unknown)
2009-12-19 11:08:29
中曽根が官邸に依頼したと聞いていますが。
アメリカから中国に「乗り替える」方がカネなるとの判断があった模様。それから、新潮や文春は記事の捏造能力に長けているんじゃないですか(笑)?
>Unknownさん (ほそかわ)
2009-12-19 11:15:54
 中曽根氏の動きについては、後日書く予定ですが、『新潮』は中曽根氏を痛烈に批判しています。
小沢曰く、全ては想定内! (横浜YJ)
2009-12-19 17:54:00
ここ数ヶ月、本ブログではマイクロクレジットの紹介からソーシャルワーキングへの提唱、更に人口学の紹介、闇のパワーエリート/国際論と多義に渡り勉強させて頂きました。
然らば、わが日本の行く末への警告として鳩山御殿の御曹司へと、しだいに寂しくなる様なテーマへと展開して参りました。

その昔、熊本のお殿様内閣や自虐内閣が残した功罪の記憶が蘇ってきます。
70数%の支持率で政権をとったと言えども、所詮は自民の資質低減に絶望したが故の支持であり、もとより、鳩山御殿の御曹司にリーダーシップなどを求めるのは、どだい期待するほうが無謀。しかしながら、我が日本の選挙民は利害が複雑に絡み合い、一枚岩になり得ない民主党内閣を作ってしまいました。

さて、小沢はいつ頃から爪を伸ばしてくるのか、そのタイミングは、と興味津々で静観しておりましたが、御曹司が迷走し自己主張が出来ないなか、訪中集団旅行や中国副主席会見へと吠え始めた。鳩山御殿の御曹司は自らの政治判断が出来ず右往左往(しないのではなく、出来ない)。
しかし、小沢にとっては、その全ては想定内の出来事として『機は熟した』とでも判断し始めたのか。
しかし、小沢にはスマートさが無いから、その振る舞いが見え見えなのですが、当のご本人は己の策に自我自賛か。

それにつけても、訪中集団旅行の参加議員どもよ、小沢の演出通りに動いているのであろうが、外国要人と握手するときは、威風堂々と己を演出して振舞えと叫びたい。TV映像に写っていた様を見ていて恐ろしく恥ずかしさに襲われ、スイッチを切った。
悲しいかな馬鹿面をした我が日本国議員集団とにこやかな笑い顔を作りつつも心は呆れ顔の胡錦濤国家主席の姿を見続ける事がきなかった。
百戦錬磨の胡錦濤国家主席には、実際、どのように映ったのか。想像するだけでも、ただただ恥ずかしくなる。小沢に言いたい、『小沢潮流を目指しているのだろうが、策を講ずる者は、策に溺れる』と。

残念ながら、我が日本の品格は地に墜ちたのか。戦後の対日本政策からすれば、大方想定通りの評価なのだろうが、その分、日本国国会議員は韓流アイドルと握手するのと同じ様な感覚で胡錦濤氏と握手されては、心ある日本人はどうしたらいいのか。

しかしながら、嘆いてばかりはいられません。
小泉内閣時代、郵政問題で離党した方、団塊世代の有志らが動き出している兆候に期待したい。また、この様なブログなどを活用して心ある方々の協力で品格ある日本の再生の世論を巻き上げたいものです。


>横浜YJさん (ほそかわ)
2009-12-20 15:27:07
>小沢はいつ頃から爪を伸ばしてくるのか、そのタイミングは、と興味津々で静観しておりましたが、御曹司が迷走し自己主張が出来ないなか、訪中集団旅行や中国副主席会見へと吠え始めた。<

 小沢氏のような売国的・金権的・独裁者的な政治家が、わが国の最高権力者になってしまった日本は、真の危機にあります。

>しかしながら、嘆いてばかりはいられません。<
>品格ある日本の再生の世論を巻き上げたいものです。<

 頑張りましょう。


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