ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権5~人権観念の発生

2012-08-05 06:16:49 | 人権
●人権の観念は近代西欧で生まれた

 人間とは何かについて権利との関係から述べてきたが、次に人間が持つとされる権利、いわゆる人権について、基本的な検討を行い、その基礎づけを試みたい。
 人権は今日、一般に人間が生まれながらに平等に持つ権利とされる。こうした観念が発生したのは、近代の西欧においてである。西欧の封建制社会では、権利は身分に伴う権利だった。封建制社会が解体される中で、人間は人間として生まれてくるだけで等しく権利を持つという考えが芽生えた。
 近代西欧に人権という観念が発生するまで、人類には権利とは身分や資格に伴うものだった。先に書いたように、社会は家族を単位とし、家族には4つの類型がある。その類型によって価値観が異なる。家族においては、親子・夫婦・兄弟等の立場は、相互に代わることのできない身分であり、資格である。それゆえ、個人の権利はその家族内的な立場に伴うものであって、それを離れた個人の権利は、考えられなかった。家族を単位として構成される社会においても、基本的に権利は社会的な身分や資格に伴うものであって、社会的な身分や資格とは関係なく、誰もが個人として生まれながらに平等に持つ権利、普遍的で生得的な権利という考え方は、近代にいたるまで、世界的にほとんど見られなかった。例外がないわけではない。古代ギリシャのヘレニズム時代や古代ローマの地中海帝国時代、古代シナの春秋戦国時代には、一部の思想家に万人の平等を説く思想が現れた。だが、その社会的な影響はごく限られ、思想史の片隅に記録されているのみである。
 人類の歴史はさまざまな文明の興亡盛衰の歴史である。それらの文明はまた幾多の国家の生成消滅に彩られてきた。アーノルド・トインビーは、世界史において「充分に開花した文明」が過去に23あったとした。サミュエル・ハンチントンは、現代世界には7または8の主要文明があるとする。また主要文明以外に、下位の文明が存在する。私が周辺文明と呼ぶものである。
 これらの文明社会はみな独自の法を持っている。固有の文化に基づく法である。これを固有法という。法は権利―義務の規定を含む規範の体系であり、それぞれの固有法は独自の価値観による権利義務を定めている。今日の世界で代表的な固有法には、西欧法、ユダヤ法、イスラム法、ヒンズー法、シナ法、日本法がある。歴史的には、古代のバビロニア法、ギリシャ法、ローマ法等も存在した。これらの固有法において、普遍的・生得的な人権という思想が発達したのは、近代の西欧法のみである。
 西欧法は、西洋文明に形成された法思想である。西洋文明は、ギリシャ=ローマ文化、ユダヤ=キリスト教、ゲルマン文化という三つの主要な文化要素を持つ。法思想としては、ローマ法、ユダヤ法、ゲルマン法が西欧法の源流になっている。それらが合流して、西欧法という独自の法が形成された。
 それではなぜ西欧法では、人権の思想が発達したのか。言い換えると、なぜ西洋文明のみが人権の思想を法の体系において発達させたのか。私は、その理由として、第一に核家族の価値観、第二にユダヤ=キリスト教の人間観、第三に西欧における近代化の開始という三点が挙げられると考える。
 第一は、核家族の価値観である。先にトッドの家族類型論に書いたように、西欧には平等主義核家族と絶対核家族が支配的な地域が存在する。核家族は、父と子の間に自由主義的な価値観があるのが特徴である。特にイギリス・オランダ等に多い絶対核家族は、自由を主要な価値観とし、個人の自立を重んじる。絶対核家族は世界で西欧にしか見られない特異な型である。またフランスのパリ盆地等に多い平等主義核家族は、自由と平等をともに価値観とする。絶対核家族・平等主義核家族に共通する価値は、自由である。自由を価値観とする核家族的な社会においては、個人の権利という意識が強く、個人の自己意識も強い。そこに、人権の思想が発達する家族型的な土壌があったと私は考える。
 第二は、ユダヤ=キリスト教の人間観である。西洋文明では、人間をユダヤ=キリスト教の神(ヤーウェ)が創造したものと理解する。神は土くれから人間を神の似姿として創造したと考え、人間は神から知恵を授けられたとする。人間の理性は神から与えられたものであり、不完全ではあるが神の理性を分有するものとみなす。こうした人間観に基づき、人間の権利は神または造物主から与えられたもの、自然法や神的な理性に基礎を持つもの、またはそうした思想を前提としつて自明なものなどと考えた。こうした思想が、すべての人間が神の下に平等であるという観念と結びついて、人権という観念につながっていった。
 第三は、西欧において近代化が始まったことである。イギリスでは封建制の崩壊が西欧で最も早く進み、近代資本主義が発達した。農村共同体が解体し、共同体から分離した個人が都市に集住し、都市化が進んだ。近代資本主義社会では、人々は共同体の歴史・伝統・慣習等を失い、裸の個人に還元されていった。大ブリテン島の大部分は、絶対核家族が支配的な社会であり、第一に書いたように、もともと自由を価値観とし、個人の権利意識・自己意識が強い。それが近代化によって助長された。先行するイギリスに続いて、フランス・アメリカ等でも、近代化が進行した。個人の自由を価値とする思想は、人権の思想の発達を促進した。
 以上、核家族の価値観、ユダヤ=キリスト教の人間観、西欧における近代化の開始の3点が重なり合ったことが、西欧法のみで人権の思想が発達し、西洋文明のみが人権の思想を法の体系において発達させた理由であると私は考える。近代西洋文明以外の諸文明では、こうした条件を併せ持つことがなかった。

 次回に続く。

註 私は西洋文明及び現代文明について「西欧発の文明と人類の歴史」、近代化について、「“心の近代化”と新しい精神文化の興隆」をマイサイトに掲示している。本稿の人権論は、これらの拙稿と関連するものである。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion09e.htm
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion09b.htm

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