モーゼル川に流れ込む幅広いザール渓谷を見渡す高台に、カステルという人口300人前後の小さな村があります。
ザール川流域
その渓谷を望む地域は巨大な砂岩で出来ていて、〈カステルにあるクラウゼ〉 というのは、その砂岩にフランシスコ会の修道士が掘り込んだ避難所兼礼拝堂で、その起源は十字軍の遠征 (1096 – 1270年) までさかのぼります。当時、2つの部屋が砂岩に掘られました。
砂岩に掘られた部屋 1 & 2
砂岩に掘られた部屋 3 & 4
貯泉水池と水路
そして1600年頃、そのすぐ横の、渓谷に向かって出っ張った所に2階建ての礼拝堂が建てられ、その上の階は砂岩の部屋に接続されていました。この時代に、岩塊の南側に沿って進む道やいくつもの貯泉水池が造られました。しかし18世紀の終わり頃のフランス軍による占領後、この施設は荒廃してしまったのです。
岩部屋と礼拝堂 ・ 岩部屋と礼拝堂とメモリアルクロス
礼拝堂とメモリアルクロス ・ 下の小道から見上げた礼拝堂
時は過ぎ、19世紀の前半にプロイセン王、フリードリヒ・ウィルヘルム4世が廃墟を手に入れて、その復活に着手しました。つまり、古い建物の残りの遺跡を利用したのですが、ステンドグラスの窓が挿入された、トリプレットアーケードの窓と屋根にイタリア風のベル・ゲイブルをもつ新しい礼拝堂を建てさせたのです。遺骨は古典主義様式の石棺に安置され、王家の系図はフレスコ画として礼拝堂に組み込まれました。19世紀の中頃にはウィルヘルム4世自身の提案に従って設計された祭壇が追加されました。この複合施設はフリードリヒ・ウィルヘルム4世のロマンチックな性格の証であるだけでなく、19世紀前半にラインラント地方の支配を引き継ぎ、ルクセンブルク王朝に取って代わったプロイセンの権力の示威でもあったのです。
こんにちカステル村は様々な中小企業やサービス業に加えて、農業、ブドウ栽培、果物栽培を行っています。さらに、この地域の他の場所と同様にハイキングコースが発達しており、文化のみならず自然にも興味を持って訪れる観光客に人気の遠足場と巡礼地になっています。
入場門
私たちはカステル村に駐車して、クラウゼに向かって軽い坂道を登って行きました。入場門を入ってチケットブースを通過するとすぐに、豊かな木々の緑の中に巨大な岩塊、岩陰の空間、ベンチ、小道、そして幾つもの展望台から成る魅惑的な世界が広がります。クラウゼへは岩に刻まれた階段を下ってのみ到達することができます。さまざまな角度の階段や坂道が縦横に走り、かなり体力を使う見学でした。
クラウゼへ続く道 ・ 新しい礼拝堂
岩に掘られた部屋も大きな礼拝堂も廃墟といった様相を呈していますが、比較的新しい礼拝堂もひとつありました。何といっても、渓谷に突き出た2階建ての礼拝堂とその下に広がるザール川流域の景色は圧巻です。
ここを訪れた去年の秋はまだ武漢コロナ禍の真っただ中で、村で飲食出来るところはありませんでした。それで、またしても妻が作った食事の紹介です。
鶏胸肉のハム 1 & 2
〈鶏胸肉のハム〉 では、まず 鶏の胸肉にフォークで穴をあけて、砂糖と塩を少しずつもみ込みます。そしてジップロック・フリーザーバッグの中でオリーブ油、塩麹、黒コショウ、およびニンニクと混ぜて一日置きます。それを低温料理で、すなわち70℃で30分オーブンで熱を加えて、ハムに仕立てるのです。胡椒を振ってネギと共に食べます。
キャベツとトマトのサラダ 1 & 2
〈キャベツとトマトのサラダ〉 は簡単で、キャベツを千切りにして塩をし、ぐったりなるまで手でもみます。そしてマヨネーズと少しの砂糖を入れて混ぜます。トマトは切っただけです。
〔2022年3月〕