太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

脱力タイム

2017-11-19 08:39:03 | 日記

TVを見ていて少し疲れる時がある。タレントが自分はこう映らなければならないという過剰な意識が垣間見えるとき、あるいはディレクターがこの人はこう映るべきだと決めつけているような感じを受けるときである。好きとか嫌いではなく正直見るのがシンドイと感じる。女性タレントでは柳原可奈子と小島瑠璃子である。どちらも発言していない時、ワイプの小窓に映るときの表情のオーバーリアクションである。目を見開いて眉を吊り上げて時に大口を開けて感情を表現しよとする。正直演技だろうが見ていて辛い。多分普段は大人しい可愛いお嬢さんなのだろうが本人も周りもこうあるべきと思っている節があり痛々しい。若いタレントさんならいたしかたないと思うが男性タレントにも居る。片岡鶴太郎氏と竹中直人氏である。どちらもお笑い出身の演技派俳優だが、片岡氏は目に力が入り過ぎ、竹中氏は声に力を入れ過ぎのように思う。それはCMにも如実に現れている。演技派大物としての映りを気にしているのかディレクターが指導しているのか分からないが、多分普段はもっと脱力したやさしいオジさんなんだろうが、映像はその姿を許さない。見ている方は疲れる。

完全無欠のリーダーは本当のリーダーにはならないと書いたことがある。そのような人では自分には出来ないと思い部下はついて行けない。偶には後頭を掻きながらしまった、チョンボしてしまったと言える人こそリーダーになれると。部下は普段の厳しさの中に人間味とか親近感お覚え内心安心する。緊張の中の脱力タイムは必要である。

日馬富士の傷害事件で次々事実が明らかになってきたが、相撲好きタレントが面白いコメントをしていた。横綱の品格とか言うけど皆30前後の若者ですよ。歳がいって分かり、言えることでそれを横綱に求めるのは無理がある、と。その通りである。土俵の上での所作、取り口ばかりでなく普段の生活でもその振る舞いに横綱らしさを求めるのは難しい。30前後のサラリーマンに上司がお前には品格が無いと言ったらどうだろう。それも外国から入社してきた社員である。日本人MLB選手がマスコミから、伝統あるアメリカ野球選手にあるまじき行為とバッシングを受けたら耐えられるだろうか。

繰り返しだが、傷害事件そのものを許すと言っているのではない。言わば脱力タイムに起こった事件であることは知っておくべきである。タレントの例を出すまでもなく、四六時中演技などはできない。モンゴル人と酒の話を先日ブログに書いたが、偶然同じ様な実態を昨日TVで放映していた。ウランバートルに溢れる酔っ払いの問題である。やはりモンゴル人は酒に節度(上限)が無いと現地の人が言っていた。もう25年も前だが数こそ少ないが街中の酔っ払いを見掛けることはあった。

同じようなことは当時行った南太平洋の島国でも経験した。今は環境問題で水没しそうな国である。当時若者は島には仕事も無く遠洋漁業の出稼ぎに行くことが多かった。漁の合間に島に帰ってきても娯楽は無い。現金は手にしており、つい酒を飲むことになる。夜中に宿舎の近くの浜辺で大音量の音楽を流し、缶ビールの酒盛りをしている。宿舎のおばさんがこの島には酒ぐらいしか楽しみが無いとぼやいていた。酒の飲み方はその国の文化でもある。

相撲はゆったりとした仕切りから格闘技であるという感じがしないかも知れない。しかし立ち合いを見ると、あの大男が至近距離から全力で頭と頭をぶつけ合う。一度健康診断のとき全力士の頭部CTを撮る必要もあるのではないだろうか。ボボ・ブラジルや大木金太郎などのプロレスラーの頭突きの比ではない。よく頭骸骨が割れないな、額が切れないものだと感心する。勝負こそ全ての世界である。ましてや外国人力士ならそこに賭ける思いは尚更だろう。脱力タイムの飲み会であっても勇み足はある。土俵の丸の外にもう少し大きな土俵があることくらいは30過ぎたら理解しても良さそうにと思うと残念である。