卍の城物語

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ダン・ゲァハルツ展@弘前中三

2008-03-18 04:03:15 | 美術鑑賞
「ダン・ゲァハルツ」って誰だ?
友達から中三で何やら展示してるよとの情報。そして前日訪れた弦やに何故かパンフレットが置いてあり、なかなか良い絵を描くなと思い、中三へ。

中三はデパートのくせに、中の上の階級って雰囲気がして嫌いだ、というどうでもいい話。
展示は6階のギャラリーアルス。

入ってまず度肝を抜かれる。「モロ好み!」と思った。いい女を見つけた時にでも言いそうなセリフだが、実際、絵のモデルはほとんど美女と花である。
展示数は20もなかったかと思うが、3分の2は女の絵。他は風景画や静物画。タッチは印象派だし、実際印象派の画家として扱われているようだが、印象派と写実の間といった様である。冷静と情熱のあいだといった感じでもなくもない。

多くの絵は、女をモデルとして中央に配置し、そして花をあざとく周りに配置するという構図。これは無敵の構図。

私の持論だけど、「絵は美しくなければならない」と思っている。なので絵画は「美しいもの」と「美しくないもの」に分けられる。
評価されている現代絵画はほぼ「美しくないもの」に部類されると思う。
美しい絵画を描くことが古典と思っているのか、独自性を出したいがあまりのアバンギャルドな絵に成り得るのであろうかは知らんが、私は理解も出来ずに、そいつらをスルーしてしまう。
私は美しいものが好きという単純な男である。しかも美しいものは万人に支持される。
じゃ、美しいものを描けばいいのだけど、実は、美しいものを描いても、美しくはならない。そこが画家の才能の有無になってるくるであろう。

絵画はキリスト教の普及という主題を持っていた為に、大きく繁栄した。更に、王侯貴族のための趣味として益々繁栄する。
宗教も貴族文化も排除した、純粋な芸術性のみを追求した大きな流れはやはり、印象派であろう。
私は純粋美として、印象派のメジャーな画家たちを愛している。印象派から絵画の良さを知った。
それはやはり、美しいからである。美しいものはそれだけで芸術であり、それを更に美しく描く事が天分の才を持った画家の使命である。
ダン・ゲァハルツは美しさを何か知っており、美しさを追求し、更に美しく描いている。女も、花も、風景も、煌びやかで繊細で美しい。

神の造りし最高の芸術作品は、美女である。美しい女を見てセックスしか考えない凡人とは違い、画家ならば描きたいと思わなければ異常であろう。
白い肌を持ち得た細身のアングロサクソンを黄色人種が羨望の眼差しで見つめてしまうのはいた仕方の無いことである。
絵から滲み出るアメリカの風景とは感じさせない柔らかな空気感は、ゲァハルツの発明なのかも知れない。

面倒臭いこと散々書いたが、結局言いたいのは、ゲァハルツの絵は美しい!この一点である。
現代美術の嬉しい進歩は、版画の技術が格段に向上したことだろう。庶民が格安で美しい本物の絵画を手に入れれるからだ。
展示してあった油彩画はオリジナルの1点ものなので、百万単位だけど、版画は数十万で手頃。二、三十万の美しすぎる絵が何点もあった。中でも「ライラック」はとても欲しかった。
でも私は貧困階級の労働者階級なので、買えないのだが、いずれ復讐するつもり。いずれ我が家に飾る日がくるであろう事を妄想して中三を後にした。