共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

今日は本居長世の誕生日〜横浜所縁のあの名曲

2024年04月04日 17時30分17秒 | 音楽
昨日の雨はすっかり上がりましたが、今日は朝から曇りがちな空模様となりました。日差しがない分気温も予報ほどには上がらず、折角咲き始めたソメイヨシノの開花も足踏み状態です。

ところで、今日4月4日は本居長世の誕生日です。



本居 長世(もとおり ながよ、1885〜1945)は、数々の童謡で知られる日本の作曲家です。

本居長世は1885年(明治18年)に、東京府下谷区御徒町に生まれました。名字を見るとお分かりかと思いますが、国学者として著名な本居宣長(もとおりのりなが、1730〜1801)の和歌山学党6代目に当たる人物でもあります。

生後1年で母と死別した長世は、やはり国学者であった祖父、本居豊穎に育てられることとなりました。やがて祖父の期待に反して音楽家を志すようになり、1902年(明治35年)に東京音楽学校(現東京藝術大学)予科に入学して、幸田延、アンナ・レール、ラファエル・フォン・ケーベルにピアノを師事しました。

1908年(明治41年)東京音楽学校本科を首席で卒業した長世は、日本の伝統音楽の調査員補助として母校に残ることとなりました。因みに同期には、長世同様に後に作曲家となった山田耕筰(1886〜1965)がいます。

1909年(明治42年)には器楽部のピアノ授業補助、翌1910年(明治43年)にはピアノ科助教授となってピアニストを志しましたが、1915年(大正4年)に発症した脳溢血の後遺症による右手指の障害で断念することとなってしまいました。このときの教え子には、《シャボン玉》や《てるてる坊主》で知られる中山晋平(1887〜1952)、《春よ来い》や《鯉のぼり》で有名な弘田龍太郎(1892〜1952)等がいます。

この頃、鈴木三重吉による児童雑誌『赤い鳥』が創刊され、従来の唱歌に代わる「童謡」と呼ばれる新しい歌が人気を博していました。これに呼応して1920年(大正9年)中山晋平の紹介によって斎藤佐次郎による児童雑誌『金の船』で《葱坊主》を発表し、更に同年、新日本音楽大演奏会で発表した《十五夜お月さん》は長世の長女みどりの歌によって一躍有名となって、以後詩人の野口雨情(1882〜1945)等と組んで次々に童謡を発表することとなりました。

本居長世の作品には《十五夜お月さん》の他にも《七つの子》《青い目の人形》《汽車ぽっぽ》などがあります。その中で、今回は《赤い靴》をとり上げてみようと思います。



横浜の山下公園に銅像もある童謡《赤い靴》は


1. 赤い靴(くつ) 履いてた 女の子
異人(いじん)さんに 連れられて 行っちゃった

2. 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに 連れられて 行っちゃった

3. 今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう

4. 赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える


という、歌詞で有名です。因みに4番の詩は原稿段階では

「赤い靴 見るたび 思い出す」

だったものを、後に「考える」と直した跡があるそうです。

この歌詞は、実話を題材にして書かれたという定説があります。

作詞した野口雨情が1907年(明治40年)に札幌の北鳴新聞社に勤務している時に、岩崎かよという女性と知り合いました。定説によると、この岩崎かよの娘である佐野きみ(「佐野」は戸籍上の名前)という少女が、その赤い靴を履いていた女の子のモデルとされていました。

岩崎かよは1903年(明治36年)に北海道に移民として渡って平民社農場で開墾に携わりましたが、開拓生活の厳しさもあって1905年(明治38年)から1907年(明治40年)頃に娘のきみを養女に出すことにしました。かよは娘のきみの養育を、アメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにしました。

やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になったのですが、その時きみは結核に冒されていて渡米できずに孤女院に預けられることになり、そこで母親に会うこともないままわずか9歳で他界してしまいました。しかし母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこみ、東京の孤児院で結核で夭折したことを知らないまま一生を過ごしたのでした。

野口雨情は札幌の北鳴新聞社に勤めていたときにかよとの親交を深め、娘のきみの話を聞かされていました。その後、1921年(大正10年)にこの話を題材にして《赤い靴》が野口雨情によって作詞され、1922年(大正11年)に本居長世の作曲で童謡になった…というのが定説ですが、最近ではこの定説を疑問視する向きもあるようです。

雨情の詩に長世がつけた旋律は、幼い我が子を外国にやらなければならなかった母親の悲哀を表すかのようです。結局アメリカへ渡ること無く、母親に会うことも叶わず亡くなってしまった幼いきみは、どんな思いでその生涯を閉じたのでしょうか。

そんなわけで、今日は本居長世の代表作のひとつ《赤い靴》をお聴きいただきたいと思います。安田章子(由紀さおり)の歌唱で、横浜所縁の悲しい歌をご堪能ください。


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