共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

小さな大曲 ~ ロッシーニ《小荘厳ミサ曲》

2016年06月18日 20時10分16秒 | 音楽
今日もカラリと晴れ渡った、暑い夏日となりました。多少湿度が下がったからいいようなものの、暑いに違いはありません…。

そんな中、今日は川崎市麻生区のカトリック百合ヶ丘教会に行きました。今日はここで、過日、稲城市民オペラで《椿姫》のプリマドンナを務めた音大の後輩のソプラノ歌手が出演するコンサートが開催されました。今回の曲目は、イタリアオペラの巨匠ジョアッキーノ・ロッシーニ晩年の大作《小荘厳ミサ曲》です。

若くしてオペラ作曲家として大成功を収めたロッシーニですが、序曲がとりわけ有名になってしまったオペラ《ウィリアム・テル》を最後に、オペラ作曲家としての活動に終止符を打ってしまいます。この時、ロッシーニはまだ39歳でした。

その後のロッシーニは趣味の美食に興じることが多かったようです。今でもイタリア料理には『○○のロッシーニ風』という、彼の名前を冠した料理がいくつか残っています。代表例としては、牛フィレ肉ステーキに同じ大きさの分厚いフォアグラをドン!とのせた『牛フィレ肉のロッシーニ風ステーキ』なる、とんでもなく高カロリーな料理もあります。そんな美食が祟ってか、晩年は痛風と糖尿に悩まされていたとか…。

そんな中でもロッシーニは、晩年はオペラこそ作曲しなかったものの、それ以外の管弦楽曲やピアノ曲、教会音楽といった様々な作品を発表していました。

この《小荘厳ミサ曲》はロッシーニ最晩年の1863年に作曲された作品で、『小』と言いながらも、実は全曲演奏すると90分近くかかるほどの大作です(これはベートーヴェンの大作《荘厳ミサ曲》とほぼ同じ長さです!)。では何が『小』なのかというと、初演時の編成が12名の歌手と2台のピアノ、1台のハルモニウム(足踏み式リードオルガン)という、至ってコンパクトなものであったからと言われています。

数々の名作オペラを世に送り出してきたロッシーニの作品ですから、さぞかし華やかなものか…と思いきや、そこは齢71という当時としてはかなり高齢の巨匠の作品だけに、演奏する側にも聴く側にも一筋縄ではいかないものを呈示してきます。

先ず、2台のピアノとハルモニウムだけの伴奏ですが、だからといって2台のビアノが分厚く絡み合う場面は殆ど無く、どちらかのピアノが主導権を握っているところにもう片方がオクターヴやオブリガートを寄り添わせる程度のアンサンブルで展開していきます。ましてやハルモニウムのパートは殆ど彩り➕αくらいのもので、歌と重なってしまうと可哀想なくらい聞こえません。その上に、複雑なフーガを展開するわけでもなく、主にハーモニーの重なりに重点を置いた合唱が終始流れていくかたちなので、モーツァルトのミサ曲のように華麗でポリフォニックな豪華さは殆どありません。

因みにこのミサ曲は初演時から評判を呼び、後に伴奏部分をオーケストラに編曲して再出版されました。ただ、ロッシーニ自身は乗り気ではなく、むしろ渋々編曲に応じたようです。今日ではそちらの大編成版で演奏されることが多いようですが、私はオリジナル編成の方が圧倒的にいい曲だと思います。これはフォーレの《レクイエム》にも言えることですが、評判を呼んだ後に商業ベースにのった『後出しジャンケン』的なものというのは、必ずしもその作品の魅力を伝え切るものではないようです。

話を戻しますが、実はこの曲はソリストのパートもなかなかの曲者で、ソプラノに歌わせるには低過ぎたり、逆にバリトンの歌わせるには高過ぎたりする箇所がいくつもあるのです。各オペラ歌手の特質を知り尽くしていたであろうロッシーニの作品としてみたら、ちょっと首を傾げてしまうような部分が随所に見受けられます。

バリトンが高かったりするのは、《セヴィリアの理髪師》のフィガロをはじめとして数々のオペラに前例がありますからまだいいとして、ソプラノソロが異様に低いというのは何とも不思議です。特に第3曲『Credo』の中にある『Crucifixus』というソプラノソロ曲はむしろメゾソプラノに歌わせた方がいいくらいの音域で書かれていて、軽い声質のソプラノ歌手が歌っているのを聴いていると何だか気の毒にさえなってきます。

それでも、恐らくロッシーニは敢えてソプラノに低めの曲を歌わせたのではないかという気もします。朗々と歌えてしまうメゾソプラノよりも、ちょっと苦しい息の下でソプラノが歌うことによって、教会音楽としてのミサ曲が過度に華やかになることを防いだのかも知れません。

さて、長々と書き連ねましたが、やっとこさ今日の感想をば。

今回の演奏は8名の歌手と1台のピアノだけという、初演時よりも更にシンプルな編成でのものでした。合唱は8名で、ソロは前列の4名でというかたちで歌われ、ピアノが終始孤軍奮闘していました。

最初は『超小編成アンサンブルで淋しくならないかな?』と思っていたのですが、始まってみると、どっこいピアノ1台でもこのミサ曲の世界観を十分に表現していて、前奏から一気にロッシーニの音楽世界に引き込まれていきました。初演当時の合唱は12名だったわけですが、8名の声楽アンサンブルでも十分に厚みを感じさせてくれるもので、これまでに重ねてこられたリハーサルの内容の濃さが偲ばれるものでした。

ソロパートも、教会音楽ということもあり、またそれほど天井の高くない御御堂ということも考慮してか、割と抑制の効いた歌唱を聴かせてくれました。ソプラノソロも『Crucifixus』では磔刑に処され苦しみを受けて葬られたイエスの様子を切々と歌い上げ、『O salutaris hostia』では打って変わってオペラ作曲家としてのロッシーニの片鱗が窺える技巧的な旋律を聴かせてくれました。その他の歌手陣も、それぞれに高度なアンサンブルを堪能させてくれました。個人的に今回の演奏では、第4曲のピアノソロによる『宗教的前奏曲』と、終曲の『Agnus Dei』の完成度の高さに大いに感動しました。ただ欲を言えば、第5曲の『Sanctus』のイントロだけは、折角御御堂内にオルガンがあったのだから、オリジナルに近いかたちでオルガンで弾いても
よかったのではないかな…と、ちょっとだけ思ったりもしました。

なかなか生で聴く機会のない大曲を今回オリジナルに近いかたちで聴くことができて、非常に有意義なひと時を堪能させて頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。有り難うございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする