さすらい人の独り言

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さすらいの風景 ヤズド その2

2014年01月29日 | 海外旅行
沈黙の塔の見学を終え、ヤズド市内に移動してゾロアスター寺院のアーテシュキャデを見学しました。アーテシュキャデとは「火の家」という意味で、ヤズドにいくつかあるゾロアスター神殿の中でも最も重要なものになっています。

神殿自体は、インドのゾロアスター教信徒の寄付によって賄われ1934年に建てられた新しいものです。



建物上部には、ゾロアスター教の守護霊フラワシの像が飾られています。この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在として善のために働き、助けを求めている人を救うであろうと信じられています。フラワシ信仰は祖霊信仰と結びつき、インドに渡って盂蘭盆の起源になったとも言われます。



寺院の中は質素な造りで、ガラスの奥に聖火が置かれています。



この聖火は1500年前から燃え続けているといいます。信者は、この火を礼拝します。

燃料が少なくなっているのか炎が小さく、消えないか心配になりました。

ゾロアスター教は、紀元前1600年頃から紀元前1000年頃にかけて生きた世界最古の預言者といわれるザラスシュトラによって創られました。

ゾロアスター教の教義の最大の特色は、善悪二元論と終末論であるといいます。経典「アヴェスター」によれば、世界は至高神であるアフラ・マズダー、およびそれに率いられる善神群と大魔王アンラ・マンユ(アフリマン)および悪神群の両勢力が対峙し、たがいに争う場であるといいます。善神群と悪神たちとの闘争ののち、最後の審判で善の勢力が勝利し、その後、新しい理想世界への転生が行われると説かれます。この来生観は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に影響を与えたといいます。

アケメネス朝ペルシャの王はゾロスター教を信仰しており、ササン朝ペルシャの時代になると国教として定められました。ソロアスター教の本拠地のイランがイスラム化すると、ゾロスター教徒は、非イスラム教徒に加えられる税金などで圧迫を受けて、改宗を余儀なくされました。

ササン朝滅亡の後、一部のゾロアスター教徒はインドに移住してパールシー(イラン人)と呼ばれる共同体を造って定着しました。現在では、インドがゾロアスター教徒の最も多い国になっています。パールシーは裕福な層や政治的な影響力をもった人々の割合が多く、インドの二大財閥の一つの自動車メーカーで有名なタタ・グループもこれに属しています。

また、指揮者のズービン・メータもパールシー出身です。現存の巨匠の一人に挙げられるメータのレコーディングの代表作にリヒャルト・シュトラウス作曲・交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」があります。このツァラトゥストラは、ニーチェの同名の著書に基づいていますが、ゾロアスター教の開祖のザラスシュトラのドイツ語読みです。メータのレコードは、録音も優れた名盤として知られていますが、ドイツ系指揮者でなく正統的演奏でないという偏見じみた意見もあったと思いますが、この曲については思わぬところで結びついています。なお、この曲は、キュ-ブリック監督の「2001年宇宙の旅」の冒頭の音楽として有名ですが、カラヤン・ウィーンフィル版が当時は指揮者とオケの名前を伏せて使用されました。

ゾロアスター教は中国ではけん教と呼ばれ、ネストリウス派(景教)やマニ教(明教)と共に唐代三夷教と呼ばれましたが、日本までは伝わりませんでした。世界史の教科書に登場するくらいでどこか神秘的な雰囲気のただよう宗教ですが、意外なところで関係を生じているようです。
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