さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 ハルビン その1

2011年07月25日 | 海外旅行
大連からは飛行機を使ってハルビンに戻ってきました。

ハルビンは、19世紀末までは、松花河の川岸にある小さな漁村でしかすぎませんでしたが、ロシアの遼東半島租借条約によって東清鉄道が敷設され、それに伴い都市建設が進められました。ロシア革命の混乱が収束した後は、ロシアの他に欧米や日本の商社の支点が置かれて、東洋の小パリなどとも呼ばれました。

満洲帝国の成立とともに、日本の支配下に置かれたことから、日本関係の建物も多く残されています。

ハルビンの駅前には、旧ヤマトホテルがあり、現在でも龍門貴賓楼酒店として営業しています。



1903年にハルビン駅前に東清鉄道ホテルとして建てられ、日露戦争が勃発するとロシア軍の野戦病院や軍司令部、終戦後はロシア軍将校クラブとして使われました。北満鉄路の買収により満鉄の所有となり、改築されて1937年にヤマトホテルと名前を変えました。



ホテルの入り口。



入り口の庇に飾られている飾りですが、アール・ヌーヴォーの雰囲気があります。



入り口には、年代物の銅製の回転ドアが設けられています。



ホテルのロビーです。古い建物ですが、良く保存されています。



旧ポール・ウォレンスキー医院(現ハルビン少年宮)

フランスルネッサンス様式の建築です。



街中には、他にも似たような建物がありました。



旧桃山小学校

日本人小学校で、終戦後には引揚者の収容所にもなったため、ここに思い出のある日本人も多いようです。

現在は、「兆麟小学校」となっており、地元の名門校になっているようです。



ハルビンを代表するロシア建築が、この聖ソフィア大聖堂です。



1907年に帝政ロシア軍の従軍兵士用教会として創設されたのがはじまりです、その後に増設されて、1937年に現在の規模になりました。



現在では、ハルビン芸術展示館として開放されていますが、到着した時間が遅かったため、外観だけの見学になりました。



ハルビンには、かつてニコライ大聖堂と呼ばれる、満洲におけるロシア正教の総本山であった建物がありましたが、1966年の文化大革命の際に紅衛兵によって引き倒されてしまったといいます。

この聖ソフィア大聖堂を見ると、ニコライ大聖堂が現在もあって見られたならなあと思わないでいられません。



ハルビンは、満洲においてもロシアの雰囲気が強い街です。その感じは、キタイスカヤと呼ばれる中央大街を訪れるとさらに強まります。
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