さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 旅順 その6

2011年07月22日 | 海外旅行
旅順観光もおおむね終わりましたが、あと数か所を見学しました。

旅順博物館に隣り合うように、関東軍旧址博物館があります。

1904年に完成し、1934年に新京に移るまで、関東軍司令部として使われました。



入場料が必要なため、中をのぞくだけですませました。重々しい造りです。



関東軍旧址博物館の前には、中露友誼塔が立てられています。



アコーデオンの伴奏で歌う男女の姿は、今は無きソビエト連邦らしいですね。



旧粛親王邸(肃亲王府旧址)

粛親王 愛新覚羅善耆(ぜんき)は、清朝初代皇帝ヌルハチから数えて10代目にあたり、2代皇帝ホンタイジの長男の子孫で代々粛親王を継承し、八大親王と呼ばれる親王の中でも筆頭格の家柄でした。清朝滅亡後は、清朝復興、立憲君主制を主張して北京を追われ、日本の援助を求めて、日本の統治下の旅順へ一族で移住しました。

といっても、粛親王という名前よりも、川島芳子ゆかりの家という方が興味をひかれます。男装の麗人として知られる川島芳子こと愛新覚羅顯㺭(けんし)は、北京で生まれて、5歳の時に旅順へ一族で移動して7年ほどをこの邸宅で過ごしました。

川島芳子は、粛親王の顧問だった川島浪速の養女となり日本で教育を受けました。日本軍の工作員として諜報活動に従事し、溥儀が天津から満洲へ脱出した際、関東軍から依頼され、夫人の婉容を天津から旅順へ護送する任務に携わりました。また、第一次上海事変を勃発させたといわれています。戦後間もなく中華民国政府によって漢奸として逮捕され、銃殺刑となりましたが、その生涯には謎が多く、生存説まで流布しています。



いずれにせよ、川島芳子こと愛新覚羅顯㺭は、清朝の終焉物語の印象深い登場人物の一人です。

人民解放軍が管理していることになっているようですが、建物は放置されて荒廃が進んでいます。



日露監獄旧址博物館



内部は、多くの独房や拷問室、絞首刑室が設けられています。正面のグレーの建物をロシアが最初に建て、右手の茶色のレンガ造りの建物を日本が増築しました。

伊藤博文をハルビン駅で暗殺した安重根は、この監獄で処刑されました。

残念ながら、外からの見学だけでした。



旅順駅

1901年ロシアが東清鉄道の再南端の駅として建築し、1903年に大連からの鉄道が開通し、運営が始まりました。現在は列車の運行は日に往復2便しかなく、実際の用途からははずれていますが、100年前の姿をそのままとどめています。

東方に勢力を広げるために鉄道を延ばしてきたロシアの野望の終着駅としては、緑のドームをのせた姿は、似つかわないかわいい姿をしています。

旅順の観光も終えて、翌日はハルビンに戻ることになりました。
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