本日は改姓なり!

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2018年文化財巡り

2018-12-31 13:36:37 | 日記
今日は大晦日、本年も本日で終了という事で、今年最後のブログは昨年と同様、今年1年で巡ってきました‘文化財巡り’で特に印象に残った場所等を紹介したいと思います。
順位付けをするつもりは全くありませんので、日付順で紹介していきますが、本ブログを読んで頂いている方にも、今回紹介した場所の近くに行かれた際には、立ち寄って頂き、少しでも感動をしていただければと思います。

では・・・

4/21 重要文化財 旧朝香宮邸 東京都港区
5/3 天然記念物 糸井の大カツラ 兵庫県朝来市
5/19 国宝 三仏寺奥院(投入堂) 鳥取県東伯郡三朝町
6/3 重要文化財 中家住宅 奈良県生駒郡安堵町
6/16 天然記念物 御仏供スギ 石川県白山市
9/17 国宝 姫路城 兵庫県姫路市
10/13 国宝 羽黒山五重塔 山形県鶴岡市
10/14 重要文化財 旧風間家住宅 山形県鶴岡市
10/14 特別天然記念物 東根の大ケヤキ 山形県東根市
10/21 重要文化財 旧福岡県公会堂貴賓館 福岡県福岡市中央区

特別公開等で、ある期間にしか見れない建造物、予約しないと見れない建造物、天然記念物はどの季節が見頃かという事もありますが、普段から公開されている文化財等は、一度足を運んで頂きたいですね。
あと、3/31に訪れ、日本さくら名所100選にも選ばれている紀三井寺の満開の桜や、8/5に訪れた東京都町田市にあります白洲次郎、正子夫妻(詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)の旧邸宅である武相荘、10/21に訪れた福岡県太宰府市にあります太宰府天満宮も印象に残っています。

さて、来年も今年に負けず劣らず‘文化財巡り’を楽しんでいきたいと思います。

また、今年1年、本ブログを飽きる事なく読んで下さった方々、大変感謝しております・・・来年も宜しくお願い致します。

中国人

2018-12-26 22:48:11 | 日記
今月から、私の勤務先で、中国人の派遣社員が採用され、そろそろ1ヶ月となります。
この方、まだ年齢は20代前半と非常に若いんですが、高校時代から、日本にいるらしく、日本語もペラペラというわけではないんですが、日常会話程度はそれほど問題ないですし、ヒアリングはほとんど理解していて、しかも、英語も話せるそうです。
私も、そういった事は、上司から聞いたんですが、高校時代から日本に留学していたという話を聞きまして、そうとうインテリというか富裕層の方なんだろうなと思っていましたら、過去に親が日本企業で働いていたそうです。
上記で書いたように、そろそろ採用から1ヶ月となるんですが、CADを使用した図面等を書いていまして、これまでの勤務態度を見ていても、非常に真面目(ま、1ヶ月も経たない内に、いい加減な態度をしていれば問題だとは思いますが)な上に、有能なようで、こんな感じなら、1日でも長く勤務してもらいたいものだと上司も思っているようです。
ただ、私の勤務先では、本社等も含め、未だに外国人の正社員を雇った実績がないので、これからどうなるかという感じなんですけどね。
しかしながら、来年以降も、勤務先に新しい人材が1人でも増えてくれると、ありがたいと個人的には思っています。

石舞台古墳

2018-12-20 20:42:30 | 観光スポット
今回は前回からの続きで、奈良県橿原市にあります橿原神宮内の、国の重要文化財に指定されています旧織田屋形、現在の文華殿を出た後、向かった先は、同じく奈良県の明日香村にあり、国の特別史跡に指定されています石舞台古墳です。
橿原神宮を出た後、時間がありましたので、どこか近場に行きたい場所はないかなと父母に聞くと、母が久しぶりに石舞台古墳を見てみたいというので、立ち寄ったんですが、母は記憶にある限り、およそ20年以上ぶり、父は、近年にも来た事があるらしく、私はと言えば、10代の初めの頃に来た記憶があり、下手をすると、30年ぶりくらいで訪れました。
10代の頃に訪れた記憶では、だだっ広い場所に、とんでもない石がでんと置いてあるだけのイメージだったんですが、現在は、完全に観光地化してまして、ただ、巨大な石の印象は、昔、訪れた時と全く変わらなくて、横穴室石室の中にも、当然ながら入りましたが、非常に懐かしかったのと共に、個人的に嬉しくもありましたね。
石舞台古墳の埋葬者は、蘇我馬子(詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)と言われていますが、今回、ボランティアの説明員の方がいらっしゃって、興味深い話もいくつか聞く事が出来ましたので、思い立って訪れて大正解でした。
また、その時に、説明員の方が話して下さったんですが、春には石舞台古墳が桜に囲まれる形で、素晴らしい景観となるそうで、その頃にまた訪れたいと思いましたが、そういった時期は、観光客もとんでもない状況でしょうけどね。

さて、年の瀬も近づいて来ていますが、やっとこさ‘文化財巡り’関連の記事が終わりまして、次回からは、通常のブログとなります・・・ま、しかしながら、今年の最後の記事は昨年同様、1年を振り返る話題になると思うんですけどね。

旧織田屋形

2018-12-18 22:05:51 | 重要文化財
12月に入って最初の‘文化財巡り’は、久しぶりに父母と共に、奈良県橿原市にあります橿原神宮へ行って参りました。
本ブログを熱心に読んで頂いている方(そんな方は、ほとんどいらっしゃらないとは思いますが)なら‘前に本ブログで紹介した事がなかったかな’と思われる方がいらっしゃるかも知れませんが、2016年2/24付けのブログで紹介していまして、その折にも書いていたんですが、橿原神宮内には、国の重要文化財に指定されています旧織田屋形、現在の文華殿という建造物がありまして、11/25から期間限定で特別公開されていましたので、今回、再び、橿原神宮に足を運んだ次第です。
大書院と玄関の2棟が、国の重要文化財に指定されているんですが、旧織田屋形という名前からわかる通り、現在の奈良県天理市にありました柳本藩の藩主であった織田家(藩祖はかの織田信長の孫にあたります)の藩邸の一部である表向御殿でして、江戸時代末期に建立され、明治時代には、小学校の校舎としても使用されたそうですが、昭和42年(1967年)に橿原神宮内に移築、復元されたそうです。
建物自体も歴史があって、見応え十分なんですが、何と言っても驚かされるのが、内観でして、玄関を潜って、玄関の間から廊下を通って、大書院に向かうんですが、特に大書院は、藩主が家臣と対面した場所だけあり、まず、下段の間が3部屋ありまして、それも中段の間に近づくにつれ、上座になっていまして、中段の間は、床が一段上がっており、さらに上段の間は、もう一段、床が上がっていて、身分の差がはっきりと現れ、なおかつ部屋ごとの装飾も格式が高くなっていく造りになっています。
また、下段の間の3部屋ある内の1つ、中段の間と隣接している部屋と、中段の間と上段の間の境には、欄間が設けられ、見事な彫刻の上、極彩色鮮やかに彩られています。
大書院から見える庭園も見事で、時期的に、紅葉している木々もあり、私も何枚か写真を撮影しましたが、母などは、建物と共に、風景もかなり撮影していました。

さて、当初の予定では、この日は、橿原神宮を参拝して、旧織田屋形を出た後は、帰路に着く予定だったんですが、時間がそこそこありましたので、急遽、母の希望で、もう1ヶ所、文化財を巡って来たんですが、どこに向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。

結城秀康

2018-12-16 21:55:32 | 重要文化財
今回は前回からの続きで、浜松市にあり、国の天然記念物に指定されています北浜の大カヤノキを見学した後、向かった先は、同じく浜松市内にあり、国の重要文化財に指定されています中村家住宅です。
さて、本ブログを読んで頂いている方で‘結城秀康’という戦国時代から江戸時代にかけての武将をご存知の方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか。
いつものように、詳しい事はインターネット等で調べて頂くとして、結城秀康という武将は、かの江戸幕府を開いた徳川家康(この方も詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)の次男でして、ただ、母が、徳川家康の正室の奥女中だった事と、当時、忌み嫌われていた双子だった(と言われています)事から、父である家康から冷遇されたそうで、1584年、徳川家康と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉ですが、この方も詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)が争った小牧・長久手の戦いの後、戦の和睦条件として、羽柴秀吉のもとへ養子とは名ばかりの人質として差し出され、後に、秀吉に実子が誕生すると、北関東の名家であった大名、結城氏の婿養子となり、最終的には、後の福井藩であります越前北ノ庄藩の大名となります。
前置きが長くなりましたが、その結城秀康の母が、結城秀康を出産した場所が、今回訪れました中村家住宅でして、中村家というのは、浜名湖周辺の船や兵糧の奉行を務めていたため、そういった関係から、あまり身分の高くなかった結城秀康の母の出産の場所として選ばれたのではないかと言われ、中村家住宅内には、その時の胞衣(後産)を埋めたとされる胞衣塚が現存しています。
建造物自体は、立派というわけではないんですが、主屋が大規模なのと敷地が広くて、現地で説明して下さった方の話によると、一時期は、敷地はもっと広かったそうです。
また、上記で紹介した結城秀康の話の絡みで、歴代の福井藩主は参勤交代の折、中村家で供応を受ける慣例が続いていたそうで、江戸時代、庄屋を務めていたそうですが、徳川家との関係が深かったため、一般の庄屋よりも格式が高い家柄だったらしく、現在の当主は32代目にあたるそうです。

さて、11月の‘文化財巡り’は、これで終了で、次回からはやっとこさ12月の話題に入っていくんですが、当然ながら、次回も‘文化財巡り’の話題となりますので、お付き合い下さい。