先日の日曜日、まだまだ寒い日が続きますので、遠出はしませんでしたが、近場での‘文化財巡り’に行って参りました。
行って来たのは、大阪府池田市にあります池田城でして、現在は池田城跡公園として整備されていて、平成12年(2000年)に、櫓風の模擬天守(上記写真参照)や、門が建てられ、憩いの場となっているようで、私が訪れた際も、家族連れの方や、散歩等で来られている方が何人かいらっしゃいました。
元々の城は、いつ築かれたのかは定かではないらしいですが、南北朝時代には‘池田城’という城は存在していたのではないかと言われており、ただ、その当時の‘池田城’が現在の地にあったかどうかは疑問の残るところらしいです。
現在の城跡公園の地に、池田城が築城されたのは室町時代だそうで、小規模な城だったそうですが、戦国時代の永禄11年(1568年)に、当時の城主であった池田勝正(この後出てくる武将等も詳しくはインターネット等でお調べ下さい)が織田信長に攻められ、落城した後、家臣となり、その時に池田城も大規模な拡張を行ったそうです。
その後、池田勝正は、重臣であった荒木村重に追放され、その荒木村重も織田信長に忠誠を誓った後、謀反を起こしたりしたんですが、結局、天正8年(1580年)に織田信長の命により、池田城は廃城となります。
戦国時代に、畿内の時の権力者達によって、色々と翻弄された城で、日本史好きの私としては、城自体は、立派な天守や、櫓等が残っていないとは言え、なかなか興味深かった城で、一度足を運んでみたいと思っていたので、この地で起こったであろう出来事を考えると感慨深かったですね。
さて、この日は、池田城を出た後、もう1件、自宅から車で30分もかからない場所に立ち寄ったんですが、その場所については、明日以降のブログにて紹介したいと思います。
行って来たのは、大阪府池田市にあります池田城でして、現在は池田城跡公園として整備されていて、平成12年(2000年)に、櫓風の模擬天守(上記写真参照)や、門が建てられ、憩いの場となっているようで、私が訪れた際も、家族連れの方や、散歩等で来られている方が何人かいらっしゃいました。
元々の城は、いつ築かれたのかは定かではないらしいですが、南北朝時代には‘池田城’という城は存在していたのではないかと言われており、ただ、その当時の‘池田城’が現在の地にあったかどうかは疑問の残るところらしいです。
現在の城跡公園の地に、池田城が築城されたのは室町時代だそうで、小規模な城だったそうですが、戦国時代の永禄11年(1568年)に、当時の城主であった池田勝正(この後出てくる武将等も詳しくはインターネット等でお調べ下さい)が織田信長に攻められ、落城した後、家臣となり、その時に池田城も大規模な拡張を行ったそうです。
その後、池田勝正は、重臣であった荒木村重に追放され、その荒木村重も織田信長に忠誠を誓った後、謀反を起こしたりしたんですが、結局、天正8年(1580年)に織田信長の命により、池田城は廃城となります。
戦国時代に、畿内の時の権力者達によって、色々と翻弄された城で、日本史好きの私としては、城自体は、立派な天守や、櫓等が残っていないとは言え、なかなか興味深かった城で、一度足を運んでみたいと思っていたので、この地で起こったであろう出来事を考えると感慨深かったですね。
さて、この日は、池田城を出た後、もう1件、自宅から車で30分もかからない場所に立ち寄ったんですが、その場所については、明日以降のブログにて紹介したいと思います。