本日は改姓なり!

うだうだな日記ですがどうぞよろしく

徳島城

2017-10-03 20:15:25 | 
今回も前回からの続きで、名西郡石井町にあります田中家住宅を出て向かった先は、徳島市にあり、日本100名城にも選定されています徳島城です。
実は、未見の城を訪れるのは、2015年9/14付けのブログ‘吉野川’で紹介した洲本城以来でして、それこそちょうど2年ぶりくらいの新規の城訪問となりました。
1585年、徳島藩の藩祖である蜂須賀家政(詳しくはインターネット等でお調べ下さい)によって築城された徳島城は、江戸時代を通じて蜂須賀家の居城となり、明治維新を迎えます。
多くの城と同様、明治維新後の廃城令によって、ほとんどの建造物が撤去され、唯一、現存していた城門である鷲之門も、1945年(昭和20年)7/4の徳島大空襲により焼失しましたが、1989年(平成元年)に鷲之門は復元(上記写真参照)されています。
しかしながら、石垣はかなり現存しているのと、国の名勝に指定され、千秋閣庭園とも呼ばれている旧徳島城表御殿庭園が見事で、ここではかなりの写真を撮影したのと、その景色を目に焼き付けてきました。
また、旧徳島城表御殿庭園の隣には徳島市立徳島城博物館があり、徳島藩や蜂須賀家に関する歴史資料等が多く展示されていました。
上記で書いたように久しぶりの城訪問となったわけですが、やはり日本の城と言うのは、たとえ天守や櫓等がない城であっても良いものですね・・・しかも、四国には名城と呼ばれる城が数多くありますので、いつか巡ってみたいものです。
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大坂城遺構

2016-08-19 20:37:49 | 
前回まで長々と続けて参りました‘長野、国宝&重要文化財指定○○巡り’ツアーの記事を書いている最中にも、行って来た場所がありますので、今回はその事を書いていこうと思います。
行って来たのは大阪市中央区にあります大坂城なんですが、当然ながら‘○○巡り’をするようになってからも、既に大坂城天守閣は訪れていまして、今回、行って来たのは天守閣ではなく、大坂城内にあります櫓や蔵です。
というのも、今年の1/9から春、夏、秋の3回の期間で、大坂場内にあります重要文化財に指定されている多聞櫓、千貫櫓、焔硝蔵の3ヶ所の内部が特別公開されていまして、内部を見れる貴重な機会なので行って来た次第なんですが、3棟共に江戸時代に建てられたとは言え、現在も内部が良い保存状態で残っており、最近、民家でよく見かける天井の梁等も、さすがは城郭建築で使われているものだけあり、民家にあるようなものとは桁違いな大きさと太さで、少々感心してしまいました。
ただ、今回特に驚かされたのが火薬庫として使われていた焔硝蔵(上記写真参照)で、火薬等を管理していただけあり石造りの堅牢な倉庫なんですが、このような建物が大阪城内にあるのも初めて知りましたし、こういった倉庫を見るのも初めてで、床、壁、天井全てが分厚い花崗岩で覆われ、出入口が2つあるんですが、その2つの出入口共に三重の金属製の扉で密封され、防火や盗難に対する備えも万全、なおかつ空気穴も巧みに配され防湿対策も施されていて、火薬庫として比類のない出来になっているらしく、明治以降も陸軍が引き続き使用していたそうです。
しかし、城の遺構というのは、まだまだ色々なものがあると改めて城というものの奥深さを痛感させられました。
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富山城

2015-07-11 05:08:51 | 
今回も前回の続き‘中部地方国宝&重要文化財&城巡り’ツアーの第2弾です。

安国寺を出て向かった先は、富山県富山市にあります富山城で‘浮城’の異名もあるこの城は、昭和29年に模擬天守が建てられ、現在も富山市郷土博物館として、他の各地にあります復興された城同様、内部は資料館になっています。
この城は、1543年に神保長職(詳細はインターネット等でお調べ下さい)という武将によって、築かれたのが最初とされているんですが、その後、上杉謙信や一向一揆の攻防があり、1582年に織田信長の家臣であります佐々成政が富山城主となります。
本能寺の変後は、同じく織田信長の家臣であった豊臣秀吉と敵対したため、1585年に豊臣秀吉の征討を受け、当時の富山城は破却されています。
江戸時代になると、百万石を誇る加賀藩の第3代藩主、前田利常(かの前田利家の四男・・・この方はとんでもないエピソードがたくさんあります)が次男の利次に10万石を与えて、富山藩が成立し、以後、明治に至るまで富山前田家13代の居城となりました。
現在の天守は、太平洋戦争後の復興第1号天守だそうで、戦後復興のシンボルとして富山市民に愛され、現在もその価値は変わらないようです。
現存天守等に比べると、確かに歴史の重みはないかも知れませんが、その現存天守を参考にデザインされているからなのか、なかなか格好良い城で、私は個人的に気に入ってるんですけどね。

さて、富山城を出た後は、同じく富山県内のとある場所に向かったんですが、どこへ向かったかは明日以降のブログにて紹介していきたいと思います。
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浜松城

2015-03-07 16:23:21 | 
今回も前回の続き‘静岡県文化財巡り’の第4回目にしてラストとなります。

前日、掛川城近辺のホテルで一泊した後、朝早くに宿を出て電車で向かった先は、浜松市にあります浜松城です。
徳川家康が、生まれ育った愛知県岡崎市にあります岡崎城から、次に本拠としたのが浜松城で、この時期は、徳川家康最大の負け戦とも言える武田信玄軍と戦った三方ヶ原の戦いなどがあり、この浜松城に命からがら逃げ帰って来たりした事もあります。
その時に、敗戦の教訓を忘れないために書かせたのが、苦悶の表情をしている徳川家康の肖像画(通称‘顰(しかみ)像’)で、現在、愛知県名古屋市にあります徳川美術館が所蔵し、家康絡みの絵画としては非常に有名ですので、インターネット等で見られた方もいらっしゃるかも知れません。
江戸幕府を開いた後は、主に家康ゆかりの譜代大名が城主となり、その歴代城主の多くが、幕府の重役に出世した事から‘出世城’とも呼ばれています。
多くの城と同様、浜松城も明治維新後に廃城令により破壊され、昭和33年に復興天守として再建されて、天守内は資料館となっていますが、浜松城の特徴は、自然石をそのまま組み合わせて積み上げる野面積みの石垣(上記写真参照)で、浜松城のホームページには、その石の中でハートの形をした石を見つけようなんていうページも存在します。
また、この城は桜の名所としても知られ、シーズン中には多くの観光客で賑わうそうです。

さて、今回の‘静岡県文化財巡り’も、これで終了です・・・次回からは、通常のブログ体制に戻りますが、そろそろ季節的にも暖かくなってくるので‘○○巡り’を活発化させていきたいところですね。
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掛川

2015-03-04 21:54:09 | 
今回も前回からの続きで‘静岡県文化財巡り’の第3回目です。

MOA美術館を後にして、熱海駅から電車に乗り、向かった先は、掛川市にあります掛川駅です。
掛川市と言えば、東海道の宿場町でもあり、掛川城の城下町でもありますので、当然ながら掛川駅から歩いて10分ほどの掛川城へ向かいました。
掛川城と言えば、日本100名城の1つにも数えられ、歴代城主は何人かいますが、一番有名な城主は司馬遼太郎原作の『功名が辻』で知られる山内一豊ですかね。
天守は、平成8年に再建された復元天守で、これまで行った復興復元された城同様、中は資料館になっているんですが、掛川城は、新しいながら日本初の木造復元天守で、なかなか堂々たる城となっています。
また、天守のそばには、1800年なかばに再建され、現在は重要文化財に指定されている御殿が現存しており、御殿内を見学する事も出来ます。
現存する城郭御殿としては、全国でも4ヶ所しかない内の1つで、御殿内の書院造りの各部屋を見学しながら、江戸時代の大名や武士たちの暮らしぶりに思いをはせていました。
掛川城のすぐそばには、もう1つ重要文化財に指定されています建築物がありまして、そこにも足を運んだんですが、それが旧遠江国報徳社公会堂です。
現在は、大日本報徳社大講堂となっているんですが、和洋折衷の立派な建築物で、現存する公会堂としては最古の建築物になるそうです。

この日は、熱海から掛川に移動し、掛川城の近くのビジネスホテルに泊まったんですが、部屋の窓からライトアップされた掛川城が非常に良く見え、日中とは違った城の雰囲気に、しばしの間見入ってしまいました。

さて、翌日は掛川市から離れ、また電車に乗って、今回の‘静岡県文化財巡り’のラストを飾る場所に向かったんですが、どこへ向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。
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