本日は改姓なり!

うだうだな日記ですがどうぞよろしく

結城秀康

2018-12-16 21:55:32 | 重要文化財
今回は前回からの続きで、浜松市にあり、国の天然記念物に指定されています北浜の大カヤノキを見学した後、向かった先は、同じく浜松市内にあり、国の重要文化財に指定されています中村家住宅です。
さて、本ブログを読んで頂いている方で‘結城秀康’という戦国時代から江戸時代にかけての武将をご存知の方は、どのくらいいらっしゃるでしょうか。
いつものように、詳しい事はインターネット等で調べて頂くとして、結城秀康という武将は、かの江戸幕府を開いた徳川家康(この方も詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)の次男でして、ただ、母が、徳川家康の正室の奥女中だった事と、当時、忌み嫌われていた双子だった(と言われています)事から、父である家康から冷遇されたそうで、1584年、徳川家康と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉ですが、この方も詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)が争った小牧・長久手の戦いの後、戦の和睦条件として、羽柴秀吉のもとへ養子とは名ばかりの人質として差し出され、後に、秀吉に実子が誕生すると、北関東の名家であった大名、結城氏の婿養子となり、最終的には、後の福井藩であります越前北ノ庄藩の大名となります。
前置きが長くなりましたが、その結城秀康の母が、結城秀康を出産した場所が、今回訪れました中村家住宅でして、中村家というのは、浜名湖周辺の船や兵糧の奉行を務めていたため、そういった関係から、あまり身分の高くなかった結城秀康の母の出産の場所として選ばれたのではないかと言われ、中村家住宅内には、その時の胞衣(後産)を埋めたとされる胞衣塚が現存しています。
建造物自体は、立派というわけではないんですが、主屋が大規模なのと敷地が広くて、現地で説明して下さった方の話によると、一時期は、敷地はもっと広かったそうです。
また、上記で紹介した結城秀康の話の絡みで、歴代の福井藩主は参勤交代の折、中村家で供応を受ける慣例が続いていたそうで、江戸時代、庄屋を務めていたそうですが、徳川家との関係が深かったため、一般の庄屋よりも格式が高い家柄だったらしく、現在の当主は32代目にあたるそうです。

さて、11月の‘文化財巡り’は、これで終了で、次回からはやっとこさ12月の話題に入っていくんですが、当然ながら、次回も‘文化財巡り’の話題となりますので、お付き合い下さい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿