今回も前回からの続きで、鶴岡市にあります鶴ヶ岡城を出て向かった先は、同じく鶴岡市内にあり、鶴ヶ岡城から歩いてすぐの場所にあります致道博物館です。
致道博物館は、前回、紹介した鶴ヶ岡城の三の丸跡にあたり、庄内藩の御用屋敷となっていた場所で、御隠殿と呼ばれる藩主の隠居所の一部と、国の名勝に指定されています酒井氏庭園が現在も残っており、10/25付けのブログで紹介した庄内藩校である旧致道館の資料や、庄内地方の民俗資料等が収蔵、展示されているんですが、私の目的は、そういったものではなくて、この致道博物館には、その広大な敷地を利用して、鶴岡市内にあった、3棟の貴重な建造物が移築されており、そのいずれもが国の重要文化財に指定されているので、訪れた次第です。
まず、最初に向かったのが、旧鶴岡警察署庁舎で、昭和32年(1957年)に致道博物館に移築されたそうですが、平成25年(2013年)から5年にわたり保存修復工事が行われ、今年の6月から公開が再開されました。
次に向かったのが、旧渋谷家住宅で、この住宅は昭和40年(1965年)に致道博物館に移築されたそうですが、鶴岡市の田麦俣と呼ばれる地域独特の民家だそうで、養蚕を生業としていたらしく、内観は、私がこれまで見てきた民家とさほど変わりがあるようには思えなかったんですが、外観は、これまで私が見た事がない形をしていました。
最後に向かったのが、旧西田川郡役所(上記写真参照)で、昭和47年(1972年)に致道博物館に移築されたそうですが、この建造物は、上記で紹介した旧鶴岡警察署庁舎と設計者が同じだそうで、なおかつ、明治14年(1881年)に明治天皇が東北御巡幸の折には、宿舎として使われた事もあるそうです。
この致道博物館は、国の重要文化財が3棟もある事から、前々から行って見たかった博物館でして、そのどれもが非常にユニークで、いずれの建造物も堪能する事が出来ました。
さて、致道博物館を出た後は、同じく鶴岡市内にあります文化財に向かったんですが、どこに向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。
致道博物館は、前回、紹介した鶴ヶ岡城の三の丸跡にあたり、庄内藩の御用屋敷となっていた場所で、御隠殿と呼ばれる藩主の隠居所の一部と、国の名勝に指定されています酒井氏庭園が現在も残っており、10/25付けのブログで紹介した庄内藩校である旧致道館の資料や、庄内地方の民俗資料等が収蔵、展示されているんですが、私の目的は、そういったものではなくて、この致道博物館には、その広大な敷地を利用して、鶴岡市内にあった、3棟の貴重な建造物が移築されており、そのいずれもが国の重要文化財に指定されているので、訪れた次第です。
まず、最初に向かったのが、旧鶴岡警察署庁舎で、昭和32年(1957年)に致道博物館に移築されたそうですが、平成25年(2013年)から5年にわたり保存修復工事が行われ、今年の6月から公開が再開されました。
次に向かったのが、旧渋谷家住宅で、この住宅は昭和40年(1965年)に致道博物館に移築されたそうですが、鶴岡市の田麦俣と呼ばれる地域独特の民家だそうで、養蚕を生業としていたらしく、内観は、私がこれまで見てきた民家とさほど変わりがあるようには思えなかったんですが、外観は、これまで私が見た事がない形をしていました。
最後に向かったのが、旧西田川郡役所(上記写真参照)で、昭和47年(1972年)に致道博物館に移築されたそうですが、この建造物は、上記で紹介した旧鶴岡警察署庁舎と設計者が同じだそうで、なおかつ、明治14年(1881年)に明治天皇が東北御巡幸の折には、宿舎として使われた事もあるそうです。
この致道博物館は、国の重要文化財が3棟もある事から、前々から行って見たかった博物館でして、そのどれもが非常にユニークで、いずれの建造物も堪能する事が出来ました。
さて、致道博物館を出た後は、同じく鶴岡市内にあります文化財に向かったんですが、どこに向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。