本日は改姓なり!

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致道博物館

2018-10-30 22:15:32 | 重要文化財
今回も前回からの続きで、鶴岡市にあります鶴ヶ岡城を出て向かった先は、同じく鶴岡市内にあり、鶴ヶ岡城から歩いてすぐの場所にあります致道博物館です。
致道博物館は、前回、紹介した鶴ヶ岡城の三の丸跡にあたり、庄内藩の御用屋敷となっていた場所で、御隠殿と呼ばれる藩主の隠居所の一部と、国の名勝に指定されています酒井氏庭園が現在も残っており、10/25付けのブログで紹介した庄内藩校である旧致道館の資料や、庄内地方の民俗資料等が収蔵、展示されているんですが、私の目的は、そういったものではなくて、この致道博物館には、その広大な敷地を利用して、鶴岡市内にあった、3棟の貴重な建造物が移築されており、そのいずれもが国の重要文化財に指定されているので、訪れた次第です。
まず、最初に向かったのが、旧鶴岡警察署庁舎で、昭和32年(1957年)に致道博物館に移築されたそうですが、平成25年(2013年)から5年にわたり保存修復工事が行われ、今年の6月から公開が再開されました。
次に向かったのが、旧渋谷家住宅で、この住宅は昭和40年(1965年)に致道博物館に移築されたそうですが、鶴岡市の田麦俣と呼ばれる地域独特の民家だそうで、養蚕を生業としていたらしく、内観は、私がこれまで見てきた民家とさほど変わりがあるようには思えなかったんですが、外観は、これまで私が見た事がない形をしていました。
最後に向かったのが、旧西田川郡役所(上記写真参照)で、昭和47年(1972年)に致道博物館に移築されたそうですが、この建造物は、上記で紹介した旧鶴岡警察署庁舎と設計者が同じだそうで、なおかつ、明治14年(1881年)に明治天皇が東北御巡幸の折には、宿舎として使われた事もあるそうです。
この致道博物館は、国の重要文化財が3棟もある事から、前々から行って見たかった博物館でして、そのどれもが非常にユニークで、いずれの建造物も堪能する事が出来ました。

さて、致道博物館を出た後は、同じく鶴岡市内にあります文化財に向かったんですが、どこに向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。

鶴ヶ岡城

2018-10-29 21:06:39 | 
今回も前回からの続きで、前日、鶴岡市内にあり、国の天然記念物に指定されています熊野神社の大スギを見学した後、同市内の宿泊先で疲れを癒し、翌朝向かった先は、同じく鶴岡市内にあります鶴ヶ岡城です。
実は、当初の予定では、この日の最初は、別の文化財に向かう予定だったんですが、その場所に着いた時間が、まだ開館前だったので、すぐ近くにあります鶴ヶ岡城に足を運んだ次第です。
江戸時代は、庄内藩の藩庁であった鶴ヶ岡城ですが、現在は、堀や石垣等の遺構しかなく、本丸、二の丸跡の周辺は、鶴岡公園となっていまして、桜の名所として、日本さくら名所100選にも選定されています。
公園内には、庄内藩の藩主である酒井家の4人の藩主が祭神として祀られている荘内神社があり、私もお参りして来ましたが、鶴ヶ岡城自体も昨年、続日本100名城に選定され、史跡としても貴重な上、日本史上の舞台としても、それなりに重要な場所であった事が評価されたのではないでしょうか。

さて、とりあえず、すぐ近くにあります文化財の開館時間まで、鶴ヶ岡城や公園内をぶらぶらと散策しつつ、開館時間になったので、そちらの文化財に向かったんですが、どこに向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。

熊野神社の大スギ

2018-10-28 21:44:46 | 天然記念物
今回も前回からの続きで、鶴岡市にあり、国の史跡に指定されています旧致道館を出て、向かった先は、同じく鶴岡市内にあり、国の天然記念物に指定されています熊野神社の大スギです。
この日の最後の‘文化財巡り’だったんですが、熊野神社自体が小さな神社なもので、非常にひっそりとした上に、当然ながら参拝しているのは私だけで、その社殿の背後に小さな神社には似つかわしくないような、大木がそびえ立っているものですから、少々、寒気と言うか、一種、異様な雰囲気がありましたね。
現地の説明板によると、古くから‘石山の大スギ’の名で知られていて、昭和7年(1932年)に落雷のため、火を発し、その折は消火活動により焼失は免れたそうですが、昭和32年(1957年)の台風で、当初は40メートル以上あった主幹が20数メートルの高さで折損してしまい、現在に至っているそうです。
ただ、それでも、大木の迫力があるのは間違いないんですが、上記で書いたように、熊野神社が非常にひっそりした感じなのと、大スギ自体も、漫画やアニメ、ゲーム等に出てくるような、顔のある木のお化けのような雰囲気を漂わせていまして、これまで見た国の天然記念物に指定されている樹木の中で、初めて、恐怖とまではいかないにしても気味悪さみたいなものを感じた樹木でした。

さて、この日の‘文化財巡り’は、これで終了で、熊野神社の大スギを見学した後は、同じく鶴岡市内にあります宿泊先に向かい、この日の疲れを癒して、翌日の‘文化財巡り’に備えたんですが、翌日、どこに向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。

旧致道館

2018-10-25 22:43:28 | 観光スポット
今回も前回からの続きで、鶴岡市にあり、国の重要文化財に指定されています鶴岡カトリック教会天主堂を出て、向かった先は、同じく鶴岡市内にあり、国の史跡に指定されています旧致道館です。
致道館とは、庄内藩の藩校でして、1805年に七代目藩主であった酒井忠徳(詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)によって創設され、八代目藩主、酒井忠器(この方も詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)によって現在地に移されたそうです。
孔子を祀る聖廟や、講堂、表御門等、3つの門や藩主が御成りの際に使われた御入間等が遺構として残っており、藩校建築としては、東北地方で唯一、現存している建造物です。
庄内藩と言えば、現在、NHKで放映されています大河ドラマ『西郷どん』の主役の1人、西郷隆盛(日本史上では‘超’がつくほどの有名人ですが、詳しい事はインターネット等でお調べ下さい)とも浅からぬ因縁がある藩でして、戊辰戦争の折、会津藩と共に奥羽越列藩同盟の中心勢力となり、白虎隊等の悲劇の後、会津藩は降伏しましたが、庄内藩は、徹底抗戦し、奥羽越列藩同盟の中では最後に恭順したものの、最終的に自領に新政府軍の侵入を許しませんでした。
しかしながら、新政府軍に敗れた奥羽越列藩同盟の諸藩は、当然ながら厳しい処罰が下されたわけなんですが、庄内藩への処罰は、寛大な措置で、その対応は、西郷隆盛が指示したものでした。
何故、庄内藩の処罰に西郷隆盛が、寛大だったのかはわかりませんが、そういった事もあって、現在でも庄内地方では、西郷隆盛が敬愛されていて、山形県酒田市には、西郷隆盛の功績を称えて祀ってある南洲(西郷隆盛の号)神社があります。

少々、話がそれましたが、致道館では、生徒一人ひとりの個性に応じてその才能を伸ばすことを基本とし、自ら考え学ぶ意識を高める事が重んじられ、そうした教育方針は、現在も受け継がれ、今なお、教育の根幹をなしていると言えるのではないでしょうか。

さて、旧致道館を出た後は、同じく鶴岡市内にあります文化財で、この日、最後の文化財に向かったんですが、どこに向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。

鶴岡カトリック教会天主堂

2018-10-24 22:02:39 | 重要文化財
今回も前回からの続きで、鶴岡市にあり、国の天然記念物に指定されています文下のケヤキを見学した後、向かった先は、同じく鶴岡市内にあり、国の重要文化財に指定されています鶴岡カトリック教会天主堂です。
教会敷地の入り口が武家門になっていて、その向こう側に白壁に赤い塔屋の天主堂が建っているんですが、その光景は、和洋折衷と言うよりは、異彩を放っているといった方がしっくりくるかも知れません。
ただ、それもそのはずで、元々、この場所は庄内藩の家老屋敷があった場所だそうで、明治36年(1903年)にフランス人神父の設計で、日本人大工が棟梁となり建築されたそうです。
これまで、国の重要文化財等に指定されています教会は、いくつか見てきましたが、その中でも落ち着きがあるというか、心が癒されるような空間で、通常であれば、教会の窓と言えばステンドグラスが付き物ですが、この教会では‘窓絵’と呼ばれる技法が使われ、なおかつ、天主堂の祭壇には、天主堂が完成した記念にフランスの修道院から贈られた‘黒いマリア像’が祀られていて、そのどちらもが、日本ではこの教会にしかないらしく、大変、貴重なものだそうです。

さて、鶴岡カトリック教会天主堂を出た後は、同じく鶴岡市内にあります文化財に向かったんですが、どこに向かったかは、明日以降のブログにて紹介したいと思います。