前回のブログの終わりでも予告していましたが、昨日、またもや父母と共に‘○○巡り’に行って参りました。
行って来たのは、滋賀県大津市にあり重要文化財に指定されています旧伊庭家住宅、現在は住友活機園と呼ばれる場所で‘住友’という名が示すように住友財閥の2代総理事であります伊庭貞剛が、隠居所として建築し、1904年(明治37年)から、亡くなる1926年(大正15年)までこの地で生活され、現在も所有、維持管理は住友グループが行っています。
ただ、この住友活機園は、年に2日、各回完全入替制で1日に3回ずつしか公開されず、定数は2日でだいたい200名、なおかつそれも往復ハガキによる応募のみでして多数の応募があるらしく、実は私は昨年も応募していたんですが、昨年は見事に外れてしまいました。
今年も応募したわけなんですが、今回、少々、やきもきした事がありまして、往復ハガキで応募してますので、当然ながら当選落選に関わらず返信ハガキが送られてくるわけなんですが、返信ハガキの発送時期から1週間程経っても、返信ハガキが自宅に届かず、どうしたのかなと家族と話していると、私が勤務中に自宅に電話が掛かってきまして母が対応したんですが、個人情報の流出を防ぐため、落選ハガキは1枚1枚確認して処分しているらしく、その中に私の当選ハガキが混ざっていたそうで、担当者の方があわてて発送した後、私の自宅にえらく恐縮した様子で電話してきて下さって、母に何度も謝罪されたそうで、届いた返信ハガキにも丁寧に謝罪文が書かれていました。
というわけで、晴れて昨日、念願の住友活機園に行って来たわけなんですが、さすがに時の住友財閥のトップだった方が建てただけあり、これまで見て来た住宅の中でもトップクラスの満足度でした。
邸内には、洋館と和館がつながって建てられており、洋館は大阪府立図書館(現在の大阪府立中之島図書館で重要文化財に指定されています)を設計した野口孫市(詳しくはインターネット等でお調べ下さい)が設計し、和館は近代数寄屋の第一人者とも呼ばれる八木甚兵衛(この方も詳しくはインターネット等でお調べ下さい)が設計したそうなんですが、施主である伊庭貞剛がどちらの建物も清楚でシンプルなデザインで建てて欲しいという注文だったらしく、どちらの建物も外観にしろ内観にしろ、一見しただけでは非常に質素な感じに思えます。
ただ、説明員の方の話によると、使用している木材は当時の最高級品、使われている技術は、当時の最先端の技術、そして職人も当代きっての職人が腕をふるっており、派手さはないものの、非常に玄人好みの建築物になっています。
私も家族共々、説明員の方の話を聞きながら見て回りましたが、そういった木材や技術が取り入れられているため、現在でも木材のゆがみや大きな修理を要するような箇所がほとんどないらしく、築100年以上が経過している建築物ですが、古さというものを全く感じないような建築物でした。
また、この住友活機園は、2,000坪以上の敷地があるんですが、当初は、10,000坪以上の敷地があり、敷地内から琵琶湖を眺められたそうで、眺望は抜群だったそうです・・・また、住友活機園は重要文化財に指定されている建築物としては珍しく、宅地(いわゆる庭園や山林)も重要文化財に指定されているそうで、庭園も非常に見事でした。
いつもは、こういった場所に行くと、個人的に結構、写真を撮る傾向にあるんですが、今回は内観が撮影禁止になっている事もあったのと、それよりもこの素晴らしい建築物を目に焼き付けようと思った事が大きいですね・・・そんな事もあって、外観は撮影出来たにも関わらず、今回は全体的に撮影した写真がそれほど多くありませんでした。
唯一、残念だったのは、現在、敷地内のすぐ横に新幹線が通ってまして、新幹線が開通する際に、土地を売却したそうなんですが、見学している間も新幹線のけたたましい音が耳につき、目では素晴らしい景色等を楽しんでいるのに、こんな場所に新幹線とは無粋な事だと‘○○巡り’で新幹線は必要不可欠になっているにも関わらず、そんな事を思ってしまいました。
説明員の方に説明してもらいながら、1時間程の見学時間でしたがあっという間に時間は過ぎた感じで、出ていく際もこれほど後ろ髪をひかれる感じがしたのは、久しぶりですね。
あと、これは余談ですが、今回説明して下さった方は女性の方だったんですが、見学が終わった後、母がその方に訪ねた事がありまして、それが自宅に電話して来て下さったのはあなたではないかという事で、母がその方の声をなんとなく記憶していたからなんですが、母の予感通り、自宅に電話して来て下さった方で、非常に丁寧な説明と共に、腰の低い態度にこちらも非常に有意義な時間を過ごせました。
その方が、またぜひいらして下さいと言って下さったんですが、また応募して抽選で当選しないといけないわけで、すぐに来年もというわけにはいかないでしょうが、住友活機園を出た直後に、ぜひまた来てみたいと思わせるに足る今回の‘○○巡り’でした。
行って来たのは、滋賀県大津市にあり重要文化財に指定されています旧伊庭家住宅、現在は住友活機園と呼ばれる場所で‘住友’という名が示すように住友財閥の2代総理事であります伊庭貞剛が、隠居所として建築し、1904年(明治37年)から、亡くなる1926年(大正15年)までこの地で生活され、現在も所有、維持管理は住友グループが行っています。
ただ、この住友活機園は、年に2日、各回完全入替制で1日に3回ずつしか公開されず、定数は2日でだいたい200名、なおかつそれも往復ハガキによる応募のみでして多数の応募があるらしく、実は私は昨年も応募していたんですが、昨年は見事に外れてしまいました。
今年も応募したわけなんですが、今回、少々、やきもきした事がありまして、往復ハガキで応募してますので、当然ながら当選落選に関わらず返信ハガキが送られてくるわけなんですが、返信ハガキの発送時期から1週間程経っても、返信ハガキが自宅に届かず、どうしたのかなと家族と話していると、私が勤務中に自宅に電話が掛かってきまして母が対応したんですが、個人情報の流出を防ぐため、落選ハガキは1枚1枚確認して処分しているらしく、その中に私の当選ハガキが混ざっていたそうで、担当者の方があわてて発送した後、私の自宅にえらく恐縮した様子で電話してきて下さって、母に何度も謝罪されたそうで、届いた返信ハガキにも丁寧に謝罪文が書かれていました。
というわけで、晴れて昨日、念願の住友活機園に行って来たわけなんですが、さすがに時の住友財閥のトップだった方が建てただけあり、これまで見て来た住宅の中でもトップクラスの満足度でした。
邸内には、洋館と和館がつながって建てられており、洋館は大阪府立図書館(現在の大阪府立中之島図書館で重要文化財に指定されています)を設計した野口孫市(詳しくはインターネット等でお調べ下さい)が設計し、和館は近代数寄屋の第一人者とも呼ばれる八木甚兵衛(この方も詳しくはインターネット等でお調べ下さい)が設計したそうなんですが、施主である伊庭貞剛がどちらの建物も清楚でシンプルなデザインで建てて欲しいという注文だったらしく、どちらの建物も外観にしろ内観にしろ、一見しただけでは非常に質素な感じに思えます。
ただ、説明員の方の話によると、使用している木材は当時の最高級品、使われている技術は、当時の最先端の技術、そして職人も当代きっての職人が腕をふるっており、派手さはないものの、非常に玄人好みの建築物になっています。
私も家族共々、説明員の方の話を聞きながら見て回りましたが、そういった木材や技術が取り入れられているため、現在でも木材のゆがみや大きな修理を要するような箇所がほとんどないらしく、築100年以上が経過している建築物ですが、古さというものを全く感じないような建築物でした。
また、この住友活機園は、2,000坪以上の敷地があるんですが、当初は、10,000坪以上の敷地があり、敷地内から琵琶湖を眺められたそうで、眺望は抜群だったそうです・・・また、住友活機園は重要文化財に指定されている建築物としては珍しく、宅地(いわゆる庭園や山林)も重要文化財に指定されているそうで、庭園も非常に見事でした。
いつもは、こういった場所に行くと、個人的に結構、写真を撮る傾向にあるんですが、今回は内観が撮影禁止になっている事もあったのと、それよりもこの素晴らしい建築物を目に焼き付けようと思った事が大きいですね・・・そんな事もあって、外観は撮影出来たにも関わらず、今回は全体的に撮影した写真がそれほど多くありませんでした。
唯一、残念だったのは、現在、敷地内のすぐ横に新幹線が通ってまして、新幹線が開通する際に、土地を売却したそうなんですが、見学している間も新幹線のけたたましい音が耳につき、目では素晴らしい景色等を楽しんでいるのに、こんな場所に新幹線とは無粋な事だと‘○○巡り’で新幹線は必要不可欠になっているにも関わらず、そんな事を思ってしまいました。
説明員の方に説明してもらいながら、1時間程の見学時間でしたがあっという間に時間は過ぎた感じで、出ていく際もこれほど後ろ髪をひかれる感じがしたのは、久しぶりですね。
あと、これは余談ですが、今回説明して下さった方は女性の方だったんですが、見学が終わった後、母がその方に訪ねた事がありまして、それが自宅に電話して来て下さったのはあなたではないかという事で、母がその方の声をなんとなく記憶していたからなんですが、母の予感通り、自宅に電話して来て下さった方で、非常に丁寧な説明と共に、腰の低い態度にこちらも非常に有意義な時間を過ごせました。
その方が、またぜひいらして下さいと言って下さったんですが、また応募して抽選で当選しないといけないわけで、すぐに来年もというわけにはいかないでしょうが、住友活機園を出た直後に、ぜひまた来てみたいと思わせるに足る今回の‘○○巡り’でした。