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ゲイの著者曰く「LGBとTの利害は一致しない」

2022-04-10 22:39:05 | 読書ノート
ダグラス・マレー『大衆の狂気:ジェンダー・人種・アイデンティティ』山田美明訳, 徳間書店, 2022.

  アイデンティティ・ポリティクス批判の書で、ゲイ、フェミニズム、人種、トランスジェンダーを俎上にのせている。著者は『西洋の自死』で知られる英国のジャーナリストで、自身も同性愛者だという。オリジナルはThe madness of crowds : gender, race and identity (Bloomsbury, 2019.)で、邦訳では2020年のペイパーバック版のあとがきが付されている。Woke運動やキャンセルカルチャーにまつわる騒動を、アカデミックな文献に頼らずにマスメディアでの報道やSNSでの炎上騒ぎをもとに描き出しているのが本書の特徴である。学術的な議論をしようにも、「インターセクショナリティ」ほかこうした文脈でよく使われる概念の歴史は浅く、十分検討されたものではないとのこと。

  著者はアイデンティティ・ポリティクス周りの議論の混乱を指摘する。伝統的に、マイノリティが平等を求める根拠は、「性や人種のような後天的には変更不可能な属性によって、有利な職業など特定の社会的地位に就くことが妨げられるべきではない」というものだった。生まれつきの属性ではなく、能力による選抜を要求してきたのである。しかし、21世紀に入ると、性や人種は社会的に構築されたものであると主張されるようになり、マジョリティが糾弾され、社会構造の刷新がその求めるものとなった。生まれつきだったはずの属性が操作可能な概念となり、トランプ大統領を支持したカニエ・ウェストやピーター・ティールのように、マイノリティの運動に従わない黒人やゲイは、批判されてグループからその属性ををはく奪されるということが起こった。(日本ならばフェミニズムによる特定の女性への「名誉男性」というレッテル貼りが思い起こされる)。

  トランスジェンダーなる概念は2010年代以降の短期間に広まった。著者は、生物学的に明らかであるトランスジェンダーの存在を認めつつも、身体的にそうした特徴が表れないグループもまた存在していて、社会の側が後者の言い分をノーチェックで認めてしまうことに疑義を呈している。しかし、彼らの主張はLGBTの運動と一緒くたにされて「正しい」ということにされてしまったために、古参のフェミニストがキャンセルされ、またトランスジェンダーが女性の領域に進出することで生まれつきの女性が排除されるという結果がもたらされた。また、医療機関が彼らの主張を早急に受容してしまった結果、思春期の子どもの性の自己認識が安易な方向に誘導され、ホルモン療法や性転換手術のような、身体的負荷が高くて場合によっては後戻りできないような治療が進められるようになってしまったという。

  以上、わざわざ地雷を踏みに行くような内容である。しかしながら、あとがきによれば、意外にもハードカバー版出版後に予想していた反発は少なく、好意的な書評が多かったとのこと。そのような雰囲気がある一方で、アイデンティティ・ポリティクスをめぐる運動が収まる気配がないという観察も吐露されている。英国の混乱した状況の途中経過報告である。
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