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国内の各社会勢力の入替りをうまく調整できる制度が勝つ

2014-08-23 10:09:46 | 読書ノート
フランシス・フクヤマ『政治の起源:人類以前からフランス革命まで(下)』会田弘継訳, 講談社, 2013.

  前回の続き。上巻は「国家」すなわち能力主義的な中央集権国家と、血縁的な登用システムおよび地方分権体制との相克を描いていた。下巻は「法の支配」と「政府の説明責任」の歴史的展開についてである。

  「法の支配」とは世俗的権力をも拘束する法概念のことである。これは宗教の存在で説明がつくという。西洋では、カトリック教会と王権が分離していた中世において発展した。特に、聖職者の独身と教皇の聖職者の任免権がカトリック教会の能力主義的な官僚システム化を促し、これが該当地域の近代的政府のモデルになったという。インドやイスラムでも世俗超越的な宗教が法の支配を促したが、他の二つの要素が揃わなかった。中国ではそのような宗教は存在せず、法の支配は伝統的に、そして現在でも存在しないという。

  「政府の説明責任」として、そのものズバリの発展史ではなく、国内にあるグループ──王、貴族、中産階級(都市住民)、農民──との勢力バランスが語られる。絶対王政を確立したかのように見えたフランスやスペインは、官職の売買を通じて「家産制」が入り込んだために効率的な行政システムを発展させられなかった。ハンガリーは、英国のように権利の章典で王権を制限するのに成功したが、土地貴族が強すぎて統率のとれた防衛を採ることができずにオスマン・トルコに滅ぼされる。ロシアは王権が強すぎて貴族にとっては恐怖政治の世界だった。英国だけが、国内グループの対立をうまく均衡させて経済発展の軌道に載せたというのだが、中世の司法権から清教徒革命、名誉革命と細かく辿るので複雑な論証となっている。

  全体としては経路依存的な説明で、多くの変数が結果に影響するということである。その中で特に行政制度に着目してみるというのが狙いなのだろう。ただ「考えながら書いた」ような内容で、明快な論理展開にはなってはいない。また、重要だとされる三つの要素のラベリングは適切ではなく、説明される内容を十分表していない。さらに、近年の中国の発展を根拠に所有権は「ほどほどに保護されればよい」とダグラス・ノース(参考)および制度派経済学者を批判するのだが、それを言ったら「法の支配」も「政府の説明責任」も現中国の「近代性」の必要条件ではないのでは、と反論したくなる。とはいえ、そもそも中国やロシアの非近代性を指摘する意図があるようなのだが、では著者の定義する三要素が「近代」の条件としてどれほど説得力があるかという議論に返ってくる。

  以上のように、大枠の議論に荒っぽさがあるという印象は拭えない。が、細かく各国の歴史の特に制度部分に立ち入ってその結果を検証・比較するという記述の面白さはある。個人的には特にハンガリーの盛衰史は興味深った。政府の専制をふせぐ憲法的な抑えは出来た。だが、それは上流層の既得権益に結び付き、都市中流階級の成長を抑え込んだ。結果として「軍事的に弱い国」になってしまった。こうした細かいところに多くのヒントがある著作である。
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