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明治維新は武士の支配を理論的に正当化する試みがもたらした逆説的な結果

2015-04-27 09:19:26 | 読書ノート
渡辺浩『日本政治思想史:十七~十九世紀』東京大学出版会, 2010.

  江戸時代から明治時代初頭までの期間に現れた諸々の政治思想を解説した書籍。「わかりやすい」とすでに高く評価されている本書ではあるが、和製漢文や候文などの文語文が訳文無しで頻繁に引用されており、高校までに習う古文をしっかりマスターしていないと読み進めるのにストレスを感じるはず。この点で一般向けというにはやや辛い。わかりやすい理由は、当時の課題に対する思想的取組を「当時の論理」を使って解説しているからだろう。あまり西洋由来の概念を用いず、儒教由来の概念を使って現代人にもわかるように議論を再構成しており、古臭いと思われている儒教に普遍性のある政治コンセプトが含まれていることを理解させてくれる。

  その歴史を強引に要約すると以下。江戸幕府が成立してから、徳川家が民を支配することを理論的に正当化する理論として、中国から儒教および先端思想である朱子学が注目された。それぞれ身分差からくる対立を和らげる統治理論として意義のあるものである。だが、徐々にその影響が浸透したとはいえ、江戸時代前半を通じて儒学者が政権をふるうことは稀なこと(例外なのが新井白石)であった。18世紀になると統治の正統性は、儒教が統治者に採用されていないのになぜ日本の統治は上手くいっているのか、という問題に変化し、本居宣長による国学が中国的な「理」(論理あるいは一種の普遍主義)よりも日本的な「情」を優位に置くことによってその疑問に答えた。日本の遅れが認識された幕末になると「理」の優位に反転する。

  江戸時代後半になると商業が発展する。また、統治者に対する農民の対応は巧みになり、なかなか年貢を上げられない。それで割を食ったのは下級武士で、インフレなのに収入が上がらず困窮していった。儒教および国学においては天皇が正統な統治者で、徳川家の支配の不合理性が時代を通じて徐々に認識される(江戸幕府内部においても‼!)ようになった。ペリー来航でその支配を唯一支えていた武力の綻びがあらわとなり、結果王政復古となった。下級武士が、尊王攘夷というスローガン以上に倒幕という目的に共感したためである。彼らは、儒教を通じて科挙という家格とは無関係な能力主義的な人材登用の存在を知っており、体制が支える身分制度の窮屈さを感じていたという。

  以上。この他、安藤昌益のようなマイナー思想家や、維新後の福沢諭吉や中江兆民などにも章が割かれている。後者二人による西洋の近代政治制度の解釈も、儒教の論理を通じて理解された、ということだ。とはいえメインとなる「武士の支配の正統性を追求したら自身のアイデンティティの危機に陥ってしまった」という展開のほうが興味を引く。外的環境の変化もあるとはいえ、筋の通った論理(儒教の「理」)の影響力をまざまざと分からせてくれる。ちなみに、かつて丸山真男がそのマキャベリズムに近代の萌芽を幻視してしまった荻生徂徠についてだが、反近代的な、反進歩・反発展・反成長を支持する思想家として本書では一蹴されている。

  評判通りの良書で、この主題における基本文献として本棚に置いておきたくなる本だ。読みながら思想家が活き活きと議論を展開してくるようで、僕としてはみなもと太郎の漫画『風雲児たち』を思い出した。
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