ジョシュア・D.グリーン『モラル・トライブズ:共存の道徳哲学へ』竹田円訳, 岩波書店, 2015.
道徳心理学。著者はハーバード大の心理学者で、原著は2014年。直観的レベルの道徳的価値観を共有していない者同士が、どのような原理に従って相互の行動を規制または容認したらよいかを説く内容である。結論は、それがもたらす効用を比較することによって解決できるとする。すなわち功利主義である。その優位を示すのに、直観主義がもたらす判断のブレやバイアスを指摘するという、回りくどい証明法を用いている。その主張に曖昧なところは少なく、訳文もこなれていてわかりやすい。けれども、こうした方法のためその議論を追うことは少々苦労するかもしれない。
冒頭で、通常の道徳というのは、集団の構成員間の協力関係を促進するために進化したもので、異なる集団間の価値観を調整するには不向きであることが論じられる。それでは、異なる集団間で相互に行動を調整しなければならないとしたらどうしたらいいのだろうか。そのためには、まず道徳的判断の心理的プロセスを分解してみる必要がある。というわけでそうしてみると、それは義務論的な道徳的判断すなわち直観主義と、熟考にもとづいた功利主義的な道徳判断に分かれるという。著者はそれぞれを、カーネマン(参考)にならって「速い道徳」と「遅い道徳」と名づける。道徳的判断は独立した二つの脳内の処理過程によって構成されており、相互に矛盾する判断が起こることがありうる、と。
義務論的な「速い道徳」の難点を検証するために紹介されるのが「5人の命を救うために1人を死なせる」というトロッコ問題である。結果は同じなのに、大男突き落し版と線路変更版で支持者の数が変わるのはなぜか。この疑問に対して著者はトロッコ問題のバリエーションを使って調査を繰り返す。そして、問題解決の手段として人間を利用することに対する生理的嫌悪や、目的-結果連鎖に直結しない被害が視野から外れることが、「速い道徳」の処理過程に埋め込まれていると推論する。こうしたバイアスのせいで、「速い道徳」はより多い幸福をもたらす決定を促さない可能性がある。例えば、貧しい人への寄付金も、パンフレットに不幸な子どもを一人紹介するほうがたくさんの貧しい人を採りあげるより多額となる現実があるように。
一方の「遅い道徳」すなわち功利主義には欠陥はないのか。よく批判されるように、多数者の幸福を最大にするために少数者を犠牲にする可能性があるのではないのか。著者は、理論的にはその可能性はあるが、現実的にはないと答える。ここは現代先進国の価値観に依拠して「ない」と答えているだけで、やや弱いところかもしれない。また著者は、功利主義の批判者はそれが目的とする「幸福」と、実態としての「冨」を混同しているという。収穫逓減の法則があるために、「持たない人」から奪って「すでに持てる人」に与えることを、功利主義は支持しない。なのに、批判者はそのような傾向があると誤解している、とロールズを引き合いに反論している。
最終的には、異なる道徳感を持った集団を調整するには、直観を離れ、行為の帰結を理性的に比較考量するほかないという結論が提示される。一方、「権利」に訴える道徳理論は、議論自体を停止させるもので、自身の直観を偽装して正当化するようなものだと手厳しい(ただしそのメリットについても書かれている)。
以上。四六版二分冊ではあるが本文合わせて500頁以下と、個人的にはそんなに長い印象はなかった。功利主義擁護の論陣が前面に出てはいるものの、この本の独自性はそこよりも、中盤の道徳判断の二重過程の説明にあるだろう。数々の実験から明らかにされる判断のバイアスは、カントやロールズといった錚々たる哲学者たちも陥っていたであろうもので、論敵の議論を打ち崩すものとしてなかなか面白い。なので、上巻であきらめずに必ず下巻まで読むべし。一方、功利主義擁護論はもうすでにいくつか存在する。過激すぎてちとついていけないシンガーが代表的だが、その統治レベルでの有用性を説いたRobert E. Goodinという人もいる。後者の邦訳が欲しい。あと、シジウィックも。
道徳心理学。著者はハーバード大の心理学者で、原著は2014年。直観的レベルの道徳的価値観を共有していない者同士が、どのような原理に従って相互の行動を規制または容認したらよいかを説く内容である。結論は、それがもたらす効用を比較することによって解決できるとする。すなわち功利主義である。その優位を示すのに、直観主義がもたらす判断のブレやバイアスを指摘するという、回りくどい証明法を用いている。その主張に曖昧なところは少なく、訳文もこなれていてわかりやすい。けれども、こうした方法のためその議論を追うことは少々苦労するかもしれない。
冒頭で、通常の道徳というのは、集団の構成員間の協力関係を促進するために進化したもので、異なる集団間の価値観を調整するには不向きであることが論じられる。それでは、異なる集団間で相互に行動を調整しなければならないとしたらどうしたらいいのだろうか。そのためには、まず道徳的判断の心理的プロセスを分解してみる必要がある。というわけでそうしてみると、それは義務論的な道徳的判断すなわち直観主義と、熟考にもとづいた功利主義的な道徳判断に分かれるという。著者はそれぞれを、カーネマン(参考)にならって「速い道徳」と「遅い道徳」と名づける。道徳的判断は独立した二つの脳内の処理過程によって構成されており、相互に矛盾する判断が起こることがありうる、と。
義務論的な「速い道徳」の難点を検証するために紹介されるのが「5人の命を救うために1人を死なせる」というトロッコ問題である。結果は同じなのに、大男突き落し版と線路変更版で支持者の数が変わるのはなぜか。この疑問に対して著者はトロッコ問題のバリエーションを使って調査を繰り返す。そして、問題解決の手段として人間を利用することに対する生理的嫌悪や、目的-結果連鎖に直結しない被害が視野から外れることが、「速い道徳」の処理過程に埋め込まれていると推論する。こうしたバイアスのせいで、「速い道徳」はより多い幸福をもたらす決定を促さない可能性がある。例えば、貧しい人への寄付金も、パンフレットに不幸な子どもを一人紹介するほうがたくさんの貧しい人を採りあげるより多額となる現実があるように。
一方の「遅い道徳」すなわち功利主義には欠陥はないのか。よく批判されるように、多数者の幸福を最大にするために少数者を犠牲にする可能性があるのではないのか。著者は、理論的にはその可能性はあるが、現実的にはないと答える。ここは現代先進国の価値観に依拠して「ない」と答えているだけで、やや弱いところかもしれない。また著者は、功利主義の批判者はそれが目的とする「幸福」と、実態としての「冨」を混同しているという。収穫逓減の法則があるために、「持たない人」から奪って「すでに持てる人」に与えることを、功利主義は支持しない。なのに、批判者はそのような傾向があると誤解している、とロールズを引き合いに反論している。
最終的には、異なる道徳感を持った集団を調整するには、直観を離れ、行為の帰結を理性的に比較考量するほかないという結論が提示される。一方、「権利」に訴える道徳理論は、議論自体を停止させるもので、自身の直観を偽装して正当化するようなものだと手厳しい(ただしそのメリットについても書かれている)。
以上。四六版二分冊ではあるが本文合わせて500頁以下と、個人的にはそんなに長い印象はなかった。功利主義擁護の論陣が前面に出てはいるものの、この本の独自性はそこよりも、中盤の道徳判断の二重過程の説明にあるだろう。数々の実験から明らかにされる判断のバイアスは、カントやロールズといった錚々たる哲学者たちも陥っていたであろうもので、論敵の議論を打ち崩すものとしてなかなか面白い。なので、上巻であきらめずに必ず下巻まで読むべし。一方、功利主義擁護論はもうすでにいくつか存在する。過激すぎてちとついていけないシンガーが代表的だが、その統治レベルでの有用性を説いたRobert E. Goodinという人もいる。後者の邦訳が欲しい。あと、シジウィックも。