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義務教育における抽象的思考の育成は暴力減少につながったと示唆

2015-02-13 12:43:31 | 読書ノート
スティーブン・ピンカー『暴力の人類史 / 下巻』幾島幸子, 塩原通緒訳, 青土社, 2015.

  上巻からの続き。下巻冒頭の7章では、上巻で記された殺人、拷問、戦争、ジェノサイドの減少という歴史的傾向と並行して、女性や子どもや動物の虐待や、同性愛者や異人種に対するヘイトクライムもまた減少していることがデータとともに語られる。第8章では、人間に暴力をふるわせる要因が挙げられ、それはプレデーション(邪魔者を消す、他人を道具として利用する等)、ドミナンス(支配や優位)、リベンジ、サディズム、イデオロギーであるという。

  対して、暴力を使用したくなる傾向を抑え込む要因が挙げられるのが第9章。それらは、共感、セルフコントロール、道徳感覚、理性、の四つである。共感については、それは近年重要概念になりつつあるけれども、場合によっては異民族排除や公正さの侵害につながることもあり、それだけでは人類全体に及ぶ暴力減少を説明できないと著者は言う。

  セルフコントロールについては、それが環境に左右され(例えば上巻では「破れ窓理論」が肯定されている)ることから、平和が続くことで自制を促す環境──未来のために貯金することが有利になるというような──が歴史的に整ってきて、ポジティヴフィードバックのスパイラルを形成してきたのではないかと推測される。

  道徳感覚もまた暴力に転ぶか平和に転ぶかの諸刃の剣ではあるが、ハイトの説等を著者は紹介しながら道徳の発展段階的な説を試み、通商が盛んになるにつれて、共同体への忠誠から個人の公平や自主性を重んじる考えが普及し、それが暴力を減少させる一助となったとする。米国でも、民主党支持のリベラルな地域を都市や郡単位で色分けすると、海辺や河川の要所など商業で成り立ってきたところが多いらしい。

  最後に理性だが、共感が可能にする感情的共有の環を超える、抽象的なレベルでの原則を認識させることになったという。特に、20世紀後半の暴力減少は、義務教育を通じて獲得された抽象的な思考が民主主義国の大衆の間で一般化されたためではないかと見る。普遍的な原則を理解する能力は、功利計算を行うのと等しく、遺伝に左右されるものではなくて後天的でであることのこと。訓練でなんとかなるのだ。

  最後の10章はゲーム理論を使ったまとめとなっている。

  以上。暴力の要因も、その減少の要因も複数あり、またそれが歴史的スケールで語られるというかなり複雑な議論となっており、すっきり腑に落ちたという感じではない。しかし、統計を用いながら、生物学、人類学、歴史学、経済学、心理学など様々な領域での知見を織り交ぜて、筋の通った説明を与えようとする議論の展開は圧巻。文系知識人はこうあるべきという(本人はそういう括りを拒絶するだろうが)見本である。
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