ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

上荘町・平荘町探訪:野の仏たち①・セイメイさん

2009-03-16 10:40:20 |  ・加古川市上荘・平荘町

Taira_092_2 上荘町・平荘町は、石造物が市内でも特に集中しているところである。

 そんな、石造物を訪ねたい。

 まず石造物のうち石仏探索に出かけよう。

 きょうは、上荘町国包の「セイメイさん」(写真)です。

 ◇セイメイさん◇

 八幡小学校の500メートルほど西のお堂でセイメイさんは祭られている。

 セイメイさんについて、説明板(加古川文化財保護協会)は「・・・・家型石棺の蓋に像が彫られているもので、像容が非常に稚拙なので素人が彫ったものではにいかと思われますが記録がないので、いつ造られたものかわかりません・・・」と、ややそっけない。

 セイメイさんについて、地元の畑偕夫(ともお)さんは自著の中で次のように書かれている。

 ・・・セイメイさんは、厄神駅をつくる際、付近の深い井戸を掘っているとき、井戸のふたとして埋まっていたものだという。

 流紋岩の石棺のふたに彫られた石仏である。

 重いためトロッコで近くにあるお堂に運び、祭ったという。

 掘るときにツルハシが当たって、お顔が少し欠けている。

 人間の頭より一回り大きい頭部、つりあがった目と眉、長い鼻、ちょっと口端が上がりぎみで異様な感じがするセイメイさんである。

 セイメイさんは、何でも病気を治してくれるといい、ハメ(まむし)の神様だという。

 ・・・(中略)・・・セイメイさんの名は、お堂の青面堂からきているものと思われる。

 少し蛇足を加えておきたい。青面は「しょうめん」で、青面(金剛)は、江戸時代にさかんであった庚神信仰(こうじんしんこう)の仏である。

 ともかくセイメいさんは、「さん」を付けて呼ばれ、文化財として、『加古川市史』等でも紹介されない仏であるが、地元では大切にされている。

*『加古川市史に読む、わがふるさと国包』(畑偕夫著)参照

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